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2つの世界大戦を引き起こした白人植民地支配への終わりなき野望
二、植民地支配の手口
1、商人が行く(誘惑と洗脳)
先住民に西洋文明の優位性を見せつける
2、宣教師が行く(分断)
キリスト教を広め、それまでの価値観を破壊する(内通者養成)
3、軍隊が行く(侵略)
武力によって虐殺、略奪を行い領土を奪取
三、終わりなき植民地争奪戦
ヨーロッパ列強による激しい植民地争奪戦は、際限のない悲劇の連
鎖を生み出しました。
17世紀に入ると、イギリス、フランス、オランダなどが植民地争
奪戦に参加しました。
徳川幕府は我欲侵略主義の危険性を見抜き、鎖国政策を実施し、欧
米列強からの侵略を防ぎました。
18世紀中頃、イギリス、フランスは北米、スペイン、ポルトガルは中南
米、オランダはアジアを中心に植民地支配を拡大しました。
ロシアやオスマン帝国なども自国の周辺地域を次々と植民地化していきまし
た。植民地争奪戦に勝利したイギリスは、激しい搾取による繁栄を謳歌し、
産業革命を迎えました。
19世紀前半、多くの先住民は滅亡あるいはその寸前まで追い込まれまし
た。中南米において植民地支配者が出身国に対して独立を宣言したことはあ
りますが、先住民は相変わらず奴隷のままであり、先住民は人間として扱わ
れませんでした。
19世紀後半、植民地支配の波はアジアにも押し寄せ、黒船来航により、日
本は開国を余儀なくされました。
侵略に対する危機感を抱いた日本は明治維新を起こし、欧米列強の植民地支
配から自国を守るべく、近代化政策(殖産興業・富国強兵)を急速に推し進
めました。
このような非人道的行為は、東洋人から見れば、およそキリスト教精神とは
思えないものでありました。見境のない植民地略奪が、教皇の名によって正
当化されることさえしばしばありました。
彼らの理想主義は、あくまでも白人に対する理想主義であり、植民地支配さ
れた有色民族は無視されました。
四、2つの世界大戦を引き起こした白人植民地支配
白人社会は「植民地支配」を前提として繁栄を謳歌していたため、
世界各地における植民地争奪戦は、ますます激化し収拾のつかない
ものになりました。
侵略エリアが飽和する中、略奪勢力が激突するのは必然の結果であ
りました。
人類は2つの世界大戦という地獄絵図を見ることとなったのでし
た。
第一次世界大戦
19世紀末から20世紀初頭にかけてアフリカに対する植民地争奪
戦が一気に激化しました。オスマン帝国の利権を求めて、諸勢力が
中近東及びバルカン半島の地域に介入しました。
そして、アフリカにおける植民地状況が飽和点に達し固定化される
のを機に、この地域における諸勢力の対立が引き金となり、900
万人以上の兵士が戦士しました。
第二次世界大戦(大東亜戦争)
第一次世界大戦後、中近東・中央アジア及び東欧の独立によって、
植民地化の可能性は中国大陸だけとなりました。
エジプトのカイロを中心とする中近東地域の支配を強化しようとし
ていました。
イギリスにとっては中近東の独立は大きな痛手であり、それだけ
に、残された中国大陸への執着はより強くなったのです。
ロシア革命によって成立したソ連も、東欧の独立によって東欧共産
化の戦略が阻まれ、中国大陸の共産化に主力を注ぐこととなりまし
た。
アフリカも、西部開拓以来、中南米、太平洋・極東地域への独自の
勢力圏確保を推し進めていました。その戦略の行き着くところは、
やはり中国大陸でありました。
フランスもインドシナを拠点に中国大陸における勢力圏を拡張しよ
うとしていました。
このようにして列強は、世界最大の人口を誇り、世界最大の市場と
なる可能性のあった中国大陸に殺到していくことになりました。
これが第2次世界対戦の大きな原因となったのです。
今回はここまでとします。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回は白人の侵略に屈しなかった唯一の民族「日本」について書い
ていきたいと思いますのでご期待下さい。
よろしければコメントなどお待ちしております。
私は助け合い主義の主張に賛同し、モデル都市建設の活動を推
進しています。
現在の日本や世界に疑問があり、何としても解決しなければならな
いと立ち上がろうと考えている方は、こちらのモデル都市推進本部
のHPを御覧下さい。