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新事実!大航海時代は世界への探検ではなく、略奪と虐殺の大侵略時代であった

助け合い主義第1章


我欲侵略の世界化

幸せな人生を誰もが探し求めてきました。

幸福な家庭を築き、平和な社会に暮らし、豊かな世界を満喫できれ

ば、これ以上のことはありません。

しかし、実際の人類歴史は無慈悲な抑圧と虐殺に満ちていました。

その、抑圧と虐殺が地球規模にまで広がるようになったのは、

15世紀から16世紀にかけての大航海時代からであります。

大航海時代は未知の世界への探検などではなく、略奪を目的とする

侵略の野望がもたらしたものであります。

大航海時代は正確には、大侵略時代と表現すべきであります。

第一節:凶暴な白人(アーリア人)による侵略


白人は自分たちこそが優秀な民族であり、他民族は未開であり

奴隷にしようと殺そうと構わないと考えてきました。

科学技術の発達は彼らの侵略性を世界に拡大することとなりまし

た。

15世紀以来、全世界は白人の暴虐な拡張主義の多大な犠牲となり

ました。

有色人世界の大半は植民地として支配され、地獄の日々を余儀なく

されました。

植民地支配を受けなかった国は、たったの五カ国でありました。

ーーー大侵略時代

一般的には大航海時代と呼ばれますが、そんな生易しいものではあ

りませんでした。

スペイン、ポルトガルの侵略によって、アメリカ先住民は、絶滅に

追い込まれました。

奴隷を必要とする白人は、今度はアフリカの黒人を無慈悲に狩り出

すようになりました。

イギリス、フランスによって、北米大陸は植民地支配され、

オランダはアジア各地を植民地とし、とりわけインドネシアは

350年に及ぶ悲劇を余儀なくされました。

産業革命によって力を増したイギリスは、インド全域を支配し、

東南アジア、中国、オーストラリア、オセアニアなどへ進出しまし

た。我欲に満ちた白人は更にアジア全域を悲劇へと巻き込んでいき

ました。

ヨーロッパ諸国の産業革命は、アフリカに対する植民地争奪戦をも

引き起こしました。

豊かな資源は、アフリカの繁栄に寄与するどころか、侵略者の格好

の餌食となりました。

非人道的で手段を選ばない白人の横暴は、先住民を抑圧支配し、滅

亡へと追い込みました。

ここで白人(アーリア人)の民族性について考察します。

アーリア人の歴史


世界史を学ぶ時、ふと疑問に思うことがあります。

私たちが学んでいた世界史は一体どこに視点をおいて分析されたも

のでしょうか?

哲学や文学などを見ますと、古くはソクラテスはホメーロス、

近代においてもヘーゲルやニーチェ、イプセンのように、

ヨーロッパ人学者の名前がほとんどであります。

哲学や文学がヨーロッパ視点で作られているとすれば、歴史におい

ても同様の視点、つまりヨーロッパ視点、あるいは近代から現代に

においては、アメリカ視点で作られているのではないでしょうか。

歴史においては有史以来の大きな出来事になる紀元前2300年か

ら南アジアに位置するインド亜大陸では、インダス文明が栄えてい

ましたが、陵墓や宮殿跡、武器や王の彫像などはなく、庶民生活関

係の遺物が多く出土していることからも、穏やかな生活だったこと

が伺えます。この文明の真の滅亡原因は諸説ありますが、その中に

は、他民族の侵略破壊説もありました。

その侵入民族というのが、アーリア人であります。

東方系のインド=ヨーロッパ語族であるアーリア人は、もともと中

央アジアのコーカサス山脈北方(黒海とカスピ海の間)の草原地帯

で遊牧生活を営んでいましたが、紀元前2000年頃、大移動を開

始しました。

高貴(=アーリアの意味)な民族と自称したアーリア人は、紀元前

1500年頃、インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域

に侵入し、先住農民を征服、農耕、牧畜生活を営み、氏族ごとに村

落を形成しました。

更に侵略したインドでは、最初の階級制度が作られ、最上位から

純血アーリア人、混血アーリア人(混血度合いによって2段階)、

原住民の4つの階級がありました。

日本でも多くの信奉者を持つお釈迦様は、最上位の純血アーリア人

からお生まれになられました。

アーリア人には、他民族を自分たちよりも下位の存在とみなし、他

人のものは全て自分のものと考える極めて悪質な特徴があります。

この特徴そのままに、侵入した土地ではそれまで住んでいた人々を

皆殺しにするか、追い出してその土地を奪っていきました。

英雄とされているアレキサンダー大王やピョートル大帝、ナポレオ

ンなどは全てアーリア系の民族に属しています。

アーリア人の侵略


アーリア人の侵略は、その土地にいた人を殺し、奪おうという方法

が基本であります。

侵略地に別のアーリア人が住み着いていても変わりません。アーリ

ア人と言っても、アーリア系アカイア人やアーリア系ドーリア人な

どに分かれています。

アーリア人は大変獰猛かつ好戦的な人種であり、同一人種であって

もお構いなしに攻撃します。

例として古代ギリシャを挙げます。

紀元前2000年頃、アーリア人がコーカサス山脈北方から大移動

を開始します。黒海から西へ南下していきますが、この時現地に住

んでいた人を攻撃し、強引に土地を奪いながらギリシャにたどり着

きます。その時にブルガリア周辺の人は、南に追い出される形にな

り、エーゲ海を彷徨うこととなり、海の民と呼ばれるようになりま

した。ギリシャでは、紀元前3000年頃から、エーゲ文明に続く

文明が栄えていましたが、アーリア人の侵攻により、ミケーネ文明

に取って代わられました。

このギリシャ人になり変わったアーリア人は、アーリア系アカイア

人と呼ばれました。

紀元前1200年頃、同じようにアーリア人が、コーカサス山脈

北方から大移動を開始しました。

ギリシャに再度進行し、アーリア系アカイア人を追い出しました。

再度進行してきたこのアーリア人は、後のギリシャ人となりました

が、アーリア系ドーリア人と呼ばれました。

追い出されたアーリア系アカイア人は、先に追い出された海の民を

南に追い出し、エーゲ海を彷徨うことになります。

追い出された海の民は更に南下し、トルコ・シリアに行きつきま

す。そこに住んでいたフェニキア人(セム語形民族)は追い出さ

れ、彼らは南に移り、シドン、ティルスやベリュトスなどに都市を

築き、地中海の貿易活動に進出するようになりました。

さらに地中海各地に都市を建設しました。

紀元前814年に現在のチュニジアに建設されたのが、カルタゴで

あります。フェニキア人はアケメネス朝ペルシアの時代には、その

保護下で貿易活動をしていましたが、ギリシャやローマが地中海貿

易に進出してくると、ペルシア戦争が勃発しました。

紀元前480年のサラミスの海戦と同じ年に、シチリア島にギリ

シャ人に敗れ、紀元前264年になると、ローマとの抗争に敗れ、

フェニキア人とカルタゴは滅亡します。

アケメネス朝ペルシアのペルシア人は、インド=ヨーロッパ語族に

属するイラン人の一系統、つまりイランに侵攻したアーリア人であ

ります。

ローマ帝国のラテン人は、インド=ヨーロッパ語族に属するイタリ

ア人の一系統、つまりローマに侵攻したアーリア人であります。

ギリシャの例を挙げましたが、他にも小アジア(=現在のトルコ)

のヒッタイト人は、インド=ヨーロッパ語族で、

突然西アジアに侵入し、バビロンを占領、バビロン第1王朝を滅ぼ

しました。イギリス、フランス、スペイン、ギリシャに進出し、多

くの部族に分かれ、対立を繰り返していたのが、西ヨーロッパ地方

に住んでいたインド=ヨーロッパ語族の一派、ケルト人でありま

す。インド=ヨーロッパ語族のゲルマン人は、西ヨーロッパ地域全

域に及んで、先住アーリア人のケルト人を圧迫しました。

このように歴史は、アーリア人が侵攻し、アーリア人と闘うその繰

り返しで形成されてきました。

そのようにして世界を巻き込んで行きました。

アーリア人の文化


アーリア人の根本には侵略性があります。

15世紀に盛んとなって、16世紀まで続いたルネサンスを考えて

みます。

15世紀末に本格化する大航海時代、16世紀の宗教改革、さらに

イタリア戦争から顕著になる主権国家の形成など、アーリア人が再

び猛威を振るい始めます。

アーリア人は大変獰猛であり、大変狡猾であります。

イギリスはインドを植民地にしようと学者を動員して、インド民族

の劣等性を証明しようとしました。しかし既に述べましたが、イン

ド民族もそのルーツはアーリア人であります。結局この作戦は失敗

に終わりましたが、アーリア人は武力・知力の両方で攻め込んで来

ることがわかります。

アーリア人の軍事・産業


アーリア人は好戦的であり、軍事・産業に大変力を入れてきまし

た。より性能の良い武器を作り出し、有史以来、同民族間でさえ戦

い続けて来ました。戦争に長けたアーリア民族に、他の民族は到底

太刀打ちできませんでした。

アーリア人は惨殺しても、何とも思わない性質を持っています。

その民族性こそが、世界を加速的に侵略していく要因となりまし

た。

少し長くなりましたので、今日のところはここまでにします。

次回は具体的なアーリア人による大航海時代(大侵略時代)について考察し

ていきますので次回も楽しみにお待ち下さい。

ここまで読んで下さり有難うございました。

よろしければコメントなどお待ちしております。

私は助け合い主義の主張に賛同し、モデル都市建設の活動を推

進しています。

現在の日本や世界に疑問があり、何としても解決しなければならな

いと立ち上がろうと考えている方は、こちらのモデル都市推進本部

のHPを御覧下さい。












































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