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2024,11,16「わたしのためのカラダの時間」より

前回10月にやった「自分との対話」「ペアでの対話」の続き。。。

黒子さんより「自分との対話」はどうしてた?という質問。
五島が、前回は、私とエア私(隣にもう一人の私のカラダがあるとして)を設定して、ふるさとセンターの東側の窓に広がってる風景を、私はこう、感じる、もう一人のエアは、どう感じる、、、みたいなことを、やる前に想像してみた)と説明。

集会所は西側の上の方の窓から天王山が見える。
そっちを見ながら、この方法をやってみた。
隣にエアわたしを想定するということ自体がそもそもむつかしい、わからん、出来ない、という反応があったかな。
五島自身は、隣には想定できなくて、目を閉じる私のカラダと、うっすら目を開けるカラダ、という二つを切り替える実験をしていた。
結局、どちらかというと、目を閉じると背中で車の音とかを強く感じるカラダがあり、風景を見てしまうと前の方の意識が強くなる感じがあって、隣に二つあるという感じは、少し遠のいたようだ。

前の風景の山の中に自分がいると想定してそことやりとりしよう、という人もいた。
思うに、身体感覚(というのも漠然とした非常に曖昧な言葉だけど)、自分のカラダの中の様々な細胞レベルでの部分をその時々で敏感に感じまくる人もいれば、もっとぼうっとしてる人もいるし、風や湿気や光や音に、同調してしまう人、対面する人、などなど、様々ではないか?と思うし、自分と対話、というテーマの受け取り方、応じ方は、一つではないのだろう、と、思う。

次に、ペアで相手と対話するというのを、2組ずつやって、一人が見るのを順番に回して3回やってみた。

スズキ・藤原チームに対するある感想
目を合わせることはないのに、二人の波長が一緒になっていくのが早い感じで、そこに二人が要る必然を感じた。
黒子・五島チームに対すある感想
それぞれが自分の肉とカラダとの問答をしてる感じ。ジャングルの中で互いの野生の獣の生理がある。

ペアが4回目になってやり始めたところで時間切れで終わったが、「ペアになった瞬間に、なにかこうありたい、という二人の在り方が、素早く成り立っていた 。何度か繰り返すうちに、相手に対して自分はこんな感じで立つ、という判断がすぐに出来ていた」という感想があった。対話というコトバがあるので、普通の即興とは違うね、という話にもなった。

この日は、集会所で12時過ぎからお昼を食べながら、おしゃべりしながらぼちぼち始まったが、なかなかの時間だった。 (ご)

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