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映画『帰郷』感想 鈍色のアイドル映画
15時に引き続き、KBS京都放送で石立鉄男が主演する1970年代に放送されたドラマが再放送されている。2024年11月の現在は「水漏れ甲介」である。弟役の輝夫が原田大二郎がキャストに名を連ねている。ウィキペディアで原田大二郎を覗いて見ると今年80歳であった。1976年放送のこのドラマのウィキペディアを眺めると懐かしい、俳優の名前が多数あり感慨に耽りながらクリックを数回繰り返すと幾人かの名優が冥界へ旅立たれていて、時代の流れを感じる。
アマゾンプライムでハル・アシュビーの「帰郷」を探していたのであるが、1964年の吉永小百合が主演した日活版「帰郷」を観た。脇を固める俳優が森雅之、高峰三枝子、岸田伸介、渡辺美佐子と重厚なメンバーであった。森雅之は黒澤や溝口、成瀬巳喜男などの日本映画の黄金時代の作品でしか見知っていなかったので、晩年の姿を今回初めて伺い知れた。私は個人的に演劇論及び映画における演技に関しては全く無知なので、詳しくはコメント差し控えるがこの時代(1964年)に差し掛かって森雅之の演技が時代にそぐわなくなっているなと、素人目にも違和感を持った。
違和感は映画自体のストーリーにも見受けられる、原作の大佛次郎の「帰郷」は第二次大戦時代、海軍将校(森雅之)が公金に手を付け引責辞任後ヨーロッパの各地を放浪、マラッカでダイヤモンドの闇買い付けの女性(渡辺美佐子)と知り合うが密告されスパイ容疑で収監され、終戦後釈放の後帰国するも、すっかり変わり果てた戦後日本に背を向けて飛行機で去っていくと書いてある。日活版の森雅之は1957年のキューバ革命に軍事資金を投入した左翼運動家として描かれていて、反革命派に銃殺されたと日本で報道されていたが実は生存していて日本に残した妻(高峰三枝子)と娘(吉永小百合)に再会して再婚相手の父親(芦田伸介)と対峙することになる。娘は他の関係筋(ダイヤモンドブローカー渡辺美佐子)から父親の存在を告げられ父親との密会の場を奈良(法隆寺)で設ける。原作においては主要なメッセージになっていた戦前と戦後の対比はどこかへ行き森雅之と吉永小百合の邂逅が主要テーマになっている。
1964年当時は世界も日本も戦争の気配が後退して、アメリカではキューバ危機、ソ連との対立、公民権運動、ケネディ大統領暗殺等々が同時に起こり日本では、新幹線開通、東京オリンピックそれに伴うテレビの普及など戦後から脱却する時代であった。この映画で守屋伴子役の吉永小百合は20歳の設定
ウィキペディアで彼女を確認すると1945年生まれ、現在79歳であった。戦前の映画界にはさして詳しくはないが、現在でいうところの、アイドルと呼ばれる様な俳優は存在しなかったのではないか? 20世紀の前半は戦争の世紀(1917年~1945)であり若者は兵士であり軍需産業の工員でしかなかった。その後、ジェームス・ディーンなどがスクリーンに登場して1960年代は世界的に学生運動が盛んになった。
私が男性ということもあり、女性アイドルに限って話を進めると、光り輝くアイドル(女性)の陰影に多くの現実社会で日の当たらない男性(男の子)の様々な欲望や敗北や恩讐を見てしまう事もあってか、素直に鑑賞できない
気分になる。さらに時代は進んで、山口百恵の映画や角川映画の薬師丸ひろ子や原田知世においては10代の少女を川端康成的な失われていく、イノセンスを表現する装置となる。現在は映画自体も配信サービスがメインストリームになっているのでアイドル映画は成立しにくい時代を迎えている。
1960年代にザ・キンクスの曲でyoung and innocent daysと いう曲があるが、ポピュラーカルチャー自体も若く純真な時代であった。そして、当然の如くもうあの時代は帰ってこない。