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駐妻生活を送る私は"可哀想"なのか?

駐妻生活は「日本と違う」の連続だと思います。

毎日品揃えが変わるスーパー。
定時で来る電車やバスなどの公共交通機関がない交通網。
いつ雨が降るかわからない天気。
なんて書いてあるかわからないメニュー。
その他諸々。
私が住んでいる地域は所謂都市部には該当しないので「田舎だから何もない」と言われているのをよく耳にします。

そんな状況に加えて、駐妻生活は何かと「せっかく海外に住んでいるんだから」という意識がついて回っているような気がします。

せっかく海外に住んでいるんだから、休日は出かけないと。
せっかく海外に住んでいるんだから、近隣諸国を旅しないと。
せっかく海外に住んでいるんだから、新しい経験をしないと。

それらができていないと、何だか他の人より損をしている気がする。
実際、日本に住む友人たちに「Vlogでも始めてみたら?」と言われましたし(これは単純にもの珍しさからだと思いますが)、駐在妻の皆さんがされているSNSでも「隣国のどこそこに行った」「新しくオープンしたところに行った」「ミシュランを獲得したお店に行った」など、やや前のめりとも感じる情報ばかりが飛び交っているように思います。

そんな中、私は特にVlogを始めることもなく、平日も休日も家で過ごしています。
たまに一人で散歩するか友人や夫と食事に出かけるくらいで、社会人をやっていた頃では考えられないくらいのまったり具合。

それを直接的ではないものの、「ずっと家にいるなんて、なんだか可哀想だね」というニュアンスで言葉をかけられたことがあります。
私は今の自分の生活を"不便だな"と思う瞬間こそあれ、"可哀想"だと思ったことがなかったので、そう言われたことは中々の衝撃でした。

可哀想かどうかは、自分のさじ加減でしかないと思うからです。

私はもともと一日中家にいても平気なタイプであるうえ、学生時代からいくつかの土地を転々としてきたので、その土地ならではの便利さ・不便さを感じながら生活していました。
なのでずっと家にいる=可哀想とはならないですし、不便=可哀想ともならない。むしろ今、最低限の家事さえすれば、空調のきいた家でゆっくりできるというのはありがたい限りです。
出かける等の行動で新たな経験を得ること=生活が潤っている、という感覚は分からなくもないですが、その感覚を勝手に他人の生活に当てはめて言葉に出して可哀想がるのは少し違うのかなと。どう思うかは個人の自由ですが。

結局のところ、「他人にどう思われようが、自分が自分のことを可哀想と思わなければそうじゃない」。これに尽きると思います。


つらつらと思ったことを書いていると、自分が無意識的に自身の生活ハードルを極端に下げることで強がろうとしているのではとも思い始めてきましたが、自分の機嫌は自分で取ってこその駐妻生活。
最近は日本の四季に合わせた期間限定メニューに思いを馳せています。なんてすてきな文化。


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