夏季大学講座「中国随唐時代における『法華経』信仰の功徳話」から
このテーマには罠が(笑)。
もしかしたら、「なぜ、働くと本が読め(嫁)なくなるのか。」という他出版の著書のように、トリックがありそうだ。
と思いきや、功徳って何?
悪いことの実践記録なの?
という具合にもしかしたら松森教授は、お笑い芸人、ひいては落語が好きなんじゃないかと思わせた講座でした。
「弘賛法華伝」の⑤遺身、捨身では、灰身滅智から、自決し、心身を焼いて無に帰すことで、二乗の最高の果位である無余涅槃に入る。
身を焼いて真っ黒焦げを通り過ぎて、灰となってしまったら、身の皮を剥いで紙としても使えないし、髪の毛も筆として使えなかったら、人の役にも立たず、結局、二乗は二乗のまま、菩薩に上がれないじゃないか。と感じた。
また、殺生について、解釈が独り歩きし、とにかく誤解が多い仏教であるが、キリスト、ヒンズー教は、殺生については反対していて、仏教だけが殺生を否定しないということは、成仏のために身を焼いて、身を供養したりしていたということからか。
灰身滅智とは
心の智慧を滅失すること。小乗の教えー煩悩を断ち尽くして心身を無に帰すことで、二乗の最高の果位である無余涅槃に入る。
とのこと。
成仏のための自決なら当時は、許されるのか。
教授の話の文調は、よく分かったが、話が飛躍してしまう内容だけに誤解されやすい。
感情を入れなければ、これは酷いとか当時は小乗仏教だから仕方がないとか言ってもらった方がより良い分かる講座だったのではないか。とも感じた。
しかしながら、ナイツの塙さんのような面白くても自分で笑わない方もいて講座の教授に少し似ているとも感じた。たぶん、落語が好きなんじゃないかと思う。(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?