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東日本大震災の震災伝承施設を巡って ~東日本大震災杉ノ下遺族会 慰霊碑~
この度お伝えするのは、宮城県気仙沼市にある「東日本大震災杉ノ下遺族会 慰霊碑」です。
こちらは、前回投稿した「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」からほど近くにある場所です。
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前回の投稿と重複しますが、2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災では、気仙沼市においては、最大震度6弱を観測し、1220人の死者(震災関連死を含む)、214人の行方不明者に及ぶ人的被害をもたらしました(令和5年8月31日現在)。
その中でも、気仙沼市の杉ノ下地区においては、住民312名中、93名の方が犠牲になりました。震災による被害は気仙沼市内においても特に大きく、杉ノ下地区を含む階上(はしかみ)地区は広範囲にわたり津波の浸水に遭いました。
杉ノ下地区は、津波による浸水範囲が広範囲に及ぶということがハザードマップ上からも明らかにされていました。
しかし、こちらの慰霊碑がある地点は比較的高台となっていたため、浸水範囲に震災当時は含まれておらず、気仙沼市の避難場所としても指定されていました。海岸より300メートルほどの距離で、標高13メートルほどの場所でした。
そのため、杉ノ下地区に住んでいた方々は、東日本大震災発生後にこちらの高台に避難することになります。
それまでの過去の地震やそれに伴う津波でも、この高台にまで津波は襲ってくることはなかったため、地域の皆さんは「ここに避難すればひとまず安心だ」という思いもおそらくあったものと思われます。
しかしながら、津波の猛威はこの高台をも飲み込むこととなりました。
そして、杉ノ下地区の犠牲者の中でも多くの方がこの避難場所で犠牲となってしまいました。
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杉ノ下地区では、過去の事例やデータから想定していたからこその命を守るための仕組みや機能が、結果としてとても痛ましい記憶の地となってしまいました。
過去のデータやシミュレーションを踏まえた想定は、災害に向けた備えを充実させ、人々に安心や安全を提供する方法であります。
しかし、「今まで来たことがなかったから今回も大丈夫だろう」「想定の範囲であるから問題ないだろう」と、時に思考停止に陥らせる怖さを併せ持っています。これは、心理的に起こりうる正常性バイアスとも言えるでしょう。
もちろん、東日本大震災の発生直後は情報が錯綜し、現地においては正確な津波予想高が分からなかったという状況もあったとは思いますが、そうした中では、なおのこと過去の事例に照らし合わして判断してしまうことはやむを得ないことであったのだとも思います。
しかし、想定をしていても、データやシミュレーションをしていても、科学的に推測をしていても絶対ということはなく、命を守るためには最終的には各々の考える最善を尽くすしかないのだと思います。
自然現象や自然災害は私たちがコントロールできるということはなく、どんなに想定をしていても想定外のことは起こりうるのだということを記憶に留めておくことが何よりも大切なこと。
そのような教訓を、杉ノ下遺族会の慰霊碑に足を運んだことで感じさせるものがありました。
一方で、想定外が生じ自身の最善を尽くすために行動しようにも、それが難しい場合もあります。
地域の住民の高齢化が進み、避難する場合にサポートが必要な方もいるでしょうし、何らかの障害を抱えて避難が難しい場合もあります。家から出ることが難しい方もいるかもしれません。もしも、家に大切なペットが残されていたら……。
そうした方や生き物へのケアをどうするのか。日中であれば、働きに出ることでその地域から不在になってしまい、サポートできる人が不足してしまうことも起こりえます。
限られた資源の中で、津波は待ってくれません。誰かのサポートをするために自身に危険が及んでしまうこともあります。
では、地域の人を置いて避難すればいいかと言えば、必ずしもそうとは言えないものとも思います。少なくとも私が同じ立場だったら、躊躇してしまうと思います。
杉ノ下遺族会の慰霊碑には、次の教訓が刻まれています。
『この悲劇を繰り返すな 大地が揺れたらすぐ逃げろ より遠くへ・・・より高台へ・・・』
この教訓を活かすために、私たちができることは一体何でしょうか。
てんでばらばらに逃げるための方法を考えることでしょうか。しかし、目の前に避難に困っている人がいたら? 大切な人が避難できずにまだ残っていたとするなら?
いざその場面に直面したとき、想定できない形がいくつも眼前に迫ってくる中で、どれを選択すればよいのか。何かを選択することは何かを選択しないこと。どの選択をすればよいのか究極的に判断しなければならないということでもあるのだと思います。
どの選択をとるのがよいのか、未だに私には答えが見つからない大きな問いです。
杉ノ下地区を含む階上地区では、「東日本大震災杉ノ下遺族会 慰霊碑」のある防災広場を会場として「震災の語り部」を開催しています。
主に、春~秋の期間にかけて、月命日(11日)の午前と午後の1日2回行われています。私も一度参加させていただき、地域の方から震災当時の状況から現在の街並みの状況までお話を伺うことができました。
「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」を訪問する機会があれば、併せてこちらにも参加してみれば、被災当時のことをより多角的に知ることができるものと思います。参加費は無料です。
以下のサイトに連絡先等も付記されていますので、ご関心のある方はぜひご覧ください。
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今回もお読みくださいましてありがとうございました。
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参考文献等
・発想法 指定避難場所の悲劇 - 証言記録 東日本大震災「宮城県気仙沼・杉ノ下高台の戒め」(NHK DVD)- https://tanokura.net/information/tragedy-of-evacuation-area/ 2022年3月11日