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東日本大震災の震災遺構を巡って ~気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館~


はじめに

こんにちは。暑い日が各地で続いていますね。

各地で自然災害や地震が発生しています。被災された地域の一日でも早い復旧を願うとともに、私たちも起こりうる想定を考え、日頃より備えていきたいですね。

さて、今回投稿するのは、宮城県気仙沼市にある、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。

こちらの施設は、元々、宮城県気仙沼向洋高等学校という水産系の課程が設けられた学校があった場所です。

海から約500メートルほどに位置し、日常の風景の中に海とともに歴史を刻んできた校舎でもありました。

2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災では、気仙沼市において、最大震度6弱を観測し、1220人の死者(震災関連死を含む)、214人の行方不明者に及ぶ人的被害をもたらしました(令和5年8月31日現在)。

気仙沼向洋高校では

震災発生時は、気仙沼向洋高校の校舎内には170名の生徒がいましたが、教職員の判断により、学校近くのお寺へ避難をします。

しかし、そこでも津波の危険性があると判断し、海から離れた、高台にある階上(はしかみ)中学校へさらに避難を進めます。

気仙沼向洋高校から階上中学校までの距離は約2km。到着したのは、地震発生から45分ほど経過したところでありましたが、避難した生徒と引率した教職員は全員無事でした。

また、校舎内に残った教職員と工事関係者(当時、校舎は改修工事中でした)の方々は校舎の屋上へ避難し、こちらも全員無事でした。

気仙沼向洋高校はその後、別の地に仮設校舎を設け学校を再開していましたが、2018年に元の場所より内陸側へ新校舎が完成し、現在はそちらで運
営されています。

震災遺構としての整備を経て

そして、元の校舎は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的として震災遺構として整備され、2019年3月に「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として開館されました。


気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の外観


遺構の内部(校舎1階)


遺構の内部(校舎1階)。ここは元々CAD室という実習用の教室があったところです。


遺構の内部(校舎1階)。ここは元々会議室だったところです。


遺構の内部(校舎1階)。ここは元々保健室があったところです。


遺構の内部(校舎3階)。3階地点まで津波により自動車が流されてきているという事実に驚きです。


自動車が流されてきた地点は、地上から約8メートルの高さに及びます。


遺構の内部(校舎3階)。当時の教材や冊子などもそのまま残されています。


遺構の内部(校舎4階)。これはレターケースという備品ですが、色の境目(下側の黒い箇所は錆)があるのはこの地点まで津波がきたという証でもあります。


レターケースが浸水した地点は、地上から約12メートルの高さに及びます。つまり、10メートル以上の津波が校舎を襲ったことになります。


校舎屋上より。奥側に見えるのが海で、その手前側の白い部分は震災後に造られた堤防です。校庭(グラウンド)だった場所は、震災後、復興工事用の仮設焼却炉になりました。今はパークゴルフ場として整備されています。住民の方々が利用されている姿が印象的でした。


校舎屋上より。ここには元々、学校の屋内運動場がありました。
↓の写真と見比べるとイメージしやすいです。


津波襲来時の写真。屋上に避難してきた方が撮影したものと思われます。


校舎屋上より。少しでも高いところへと、屋上に避難した教職員や工事関係者の方々は、少しでも高いところへと、屋上の突き出た箇所(塔屋)を目指した方もいたようです。
翌朝、流れ着いたボートを引き寄せ、全員無事脱出することができました。


学校に残った方々は、屋上に避難したことで幸い無事でした。しかし、もし、屋上に迫る津波がきていたらと想像すると、この判断が正しかったとも言うことができないかもしれません。

屋上の下の階の4階まで高さが上がってきたことを見れば、当時屋上へ避難された方々の中にはこのまま飲み込まれてしまうのではないかという恐怖があったのではないでしょうか。もし私がその立場だったなら、きっとそのように感じていると思います。


校舎4階のベランダ部分には、一部欠けている部分が見られます。
↓の写真をご覧ください。


これは、津波で流されてきた近くの冷凍工場が激突した跡です。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、激突した位置を、写真上にオレンジの〇で囲ってあります。激突跡はこの高さまで津波が来ていたという証でもあります。


校舎と校舎に挟まれ、折り重なった自動車。押し寄せる波だけでなく、海へと引いていく波によっても被害がありました。


こちらは、船でしょうか。


語りかける震災遺構として

こちらの震災遺構には、震災伝承館も併設されています。
気仙沼での被災当時の状況や避難所の様子、被災された方々の思いなどの映像、復興への歩みの記録などを見学することができます。

また、この辺り一帯は、気仙沼市の中の階上(はしかみ)地区と呼ばれるところです。岩井崎という景勝地もあり、地質・地形がもたらす豊かな海岸や自然環境が広がっています。

現在、震災遺構の周りは、広大な土地や畑が広がっています。穏やかでゆったりした時間に包まれますが、この震災遺構を目にすることで、本当にこれほど大きな被害をもたらす揺れや津波があったのかと信じられない気持ちになります。

地震や津波は一つの自然現象でもあります。災害が起きても、時が経てば風景は変わりゆく。短いスパンでは変化は分からないけど、5年、10年といった長い視点で見れば、目に見えて風景の変化は感じられる。ここ、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の周りの風景も同様なのではないかと思われます。

そうして、そこに災害があったということの記憶を含んだ”もの”も減っていく。

人々の営みや生活にも流れはあって、記憶を継承していくことの課題も生まれてくる。

それでも、この震災遺構に足を踏み入れると、私自身、2011年3月11日(金)のあの日、13年前のあの日に、身体が入り込んでいきます。

今でも残る、その教材、机、電子機器、冊子……。その時の生活がありありと目に浮かんできます。

そして、大きな波の塊がこのまちを飲み込み、多大な犠牲者や被害を生み出したこと。そうした記憶を気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は確かに私に語りかけます。

東日本大震災の教訓を知る上では、ぜひこちらの施設に一度足を踏み入れていただきたいです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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参考文献等

・気仙沼市ホームページ 被害の状況 https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s009/020/020/020/1300452011135.html  2023年9月12日

・Kappo(仙台闊歩) 震災遺構をあるく② 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館「津波の恐ろしさをリアルに伝える 震災遺構・気仙沼向洋高校旧校舎」 https://kappo.machico.mu/articles/4912  2021年3月12日


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