365日の質問034:俯瞰したときに何が見えますか?
おはようございます。てっちゃんです。
マツダミヒロさんの「1日1問答えるだけで理想の自分になれる365日の質問」という本にある質問に、毎日自分なりの答えを投稿してます。
ミヒロさんの質問に答えのルールは
・どんな答えでも正解
・答えはでなくても正解
・どんな答えでも受け止める
の3つです。
きょうの質問は
「俯瞰したときに何が見えますか?」
です。
ミヒロさんがいいこと言ってます
「人は、目の前のことはよく見えているものだ。しかし俯瞰して見ることは少ない。しかし、俯瞰してはじめて目の前のものが小さなものであることに気付く・・・」
なるほどです、その通りです。
僕は小中学生のとき絵を描くのがとても好きな子でした。特にスケッチとか風景画とかが得意でした。画用紙に向かって一生懸命に対象を写し取る。対象を見ればみるほどいろんな光に気付く。それをなんとか表現しようと無心で描きこんでいく。で、ときどき、出来具合、おかしなところがないかを確認するために、椅子の上に立って全体を確認する。そうしてまた画用紙に戻る。
最後のほうになってくると、描いている時間と椅子に立って見下ろしている時間は同じくらいになる。手動かしていたいのに全体を見ないといけないし、靴脱いだり履いたり、昇ったり下りたりで忙しいし、めんどくさいし、もう一人自分がいて同時にできたらいいのにとどれほど思ったことか。
まあ、楽しかったな。
画用紙から離れて何をしていたのか、と考えてみたら、自分の描きたい世界がちゃんと描けているかどうかを確認していたんだろうな。
というところで気がついた。
確かに時に俯瞰していまの自分の状況を確認するのも大事。でもそのときに、自分がいまの自分を取り巻く状況を、ほんとはこういう風な世界(あるいは世界認識)にしたいというイメージをもっていたら、その俯瞰作業はとても意味があるものになるし、何より、それが楽しくなる気がする。
ほんとはこういう風にしたい、こんな人生を生きたい、こんな自分でありたい、
そのイメージをもったうえで見るのと持たないで見るのとでは、やっぱり気づくところが違ってくるように思う。
そしてもしそこに開きがあるならそのギャップを埋めるために今の現実に没頭して手を動かす。そうしていつしかギャップが小さくなったとき離れて俯瞰してみると「お、なかなかいい絵描けてるじゃん、おれ」ってなる。そんな感じになっていけばいいなあ、って思う。
「俯瞰したときに何が見えますか?」
今の時点では、断食中で「腹減った」しか考えることがない自分が見えます。でも、もう少ししたらそのことも楽しんでいる自分が見えそうな気もしてます。
ということで残り24時間、がんばろう!おれ。
おしまい
皆は、きょうはどんな1日にしたいイメージですか?
では元気でいってらっしゃい!
てっちゃんでした