KAYOKO TAKAYANAGI|オノユウコ|不可視の王国
都市とはなにか。
人々が集まり定住した時、都市が始まる。堅牢な城壁で周囲を巡らす都市もあれば、緩やかに境界を決めずに広がる都市もある。メソポタミアで、エジプトで、アジアで、ラテンアメリカで、いずれも政治・経済・文化の中心として、数千年も前から都市は栄えては滅んできた。
それぞれの都市は、まるで一つの人格のように、個性を備えた独創的な存在だ。失われた都市の文明は、文字や絵画に残されたわずかな痕跡を辿ることにより、その往時の姿を幻視させてくれる。
オノユウコの作品を観るとき、私はいつも在り得たかもしれない幻の古代都市に思いを馳せる。それはどこかエーゲ海に存在したクレタ文明にも似て、明晰でありながら謎を秘めた都市だ。
紀元前2000年頃から、クレタ島を中心に海上交易で栄えたクレタ文明は、伝説の王とされるミノスがダイダロスに建設させたクノッソス宮殿の逸話で有名である。城壁がなく開放的な宮殿と、半牛半人のミノタウロスが住んでいたという巨大な迷宮との共存は、どこかちぐはぐな齟齬を感じさせる。
光は闇なくしては成り立たない。
人々の痛みや悲しみは、燃える炎や吹きすさぶ風穴となって、都市を照らすのである。
夢の中に現れる燃え盛る都市。
左目でしか見ることができないその都市には、決して近づけない。
一つ目の鳥たち。三つ目の馬のような獣。目が覚めると消えてしまうその都市は、身体に開いた穴を通じて「みる」ことを問いかける。
我々は果たしてなにを、見て/観て/視ているのか。そもそも我々は本当になにかをみているのだろうか。
もしかしたら都市が夢みることで「わたし」は存在しているのかもしれない。
*
オノユウコが描く都市には全てが在る。
王のいない王国で、都市は神のように君臨する。
天使は片方の翼を失ったために、都市をみつけられない。丘の向こうにそびえ立つ都市に辿り着くことができないのだ。
クレタ文明の未だ解読されない線文字Aのように、都市は文字を抱く。文字は都市の営みを綴り、神を保証する。暗示的な記号も都市を祝福する。
それでも片翼の天使は、握りしめた枝葉をみつめるばかりで、永遠に都市の平穏には至ることができない。
都市は不可視の王国なのだ。
オノユウコの作品中に登場することが多い一角獣や天使は、ヒトガタであってもヒトではない。その身体は鳥や獣と一体化し、植物と交わり、鉱物にもなる。すっぱりと手足が切り取られた姿は、まるで彫像のように静かだ。
周囲を取り巻く装飾は、中世の豪華な稀覯本を思わせる。抽象と具象が入り混じった情報量が多い画面は、迷宮のように観る人を招く。アリアドネーの赤い糸を辿り、謎の答えに行き着くことができるかは、天使の采配ひとつで決まる。
神話的なその世界では、表象はそのまま形となり、一つの画面の中に様々な意味を持つモチーフが配置される。寓話のようだが、そこから教訓を読み取る必要などない。
作者が思い描く物語とは別に、観る人が自分だけの物語を付加することを許された自由がそこにある。
*
*
*
*
作家名|オノユウコ
作品名|左目から燃ゆるところ
鉛筆・アクリル・ペン・木製パネル
作品サイズ|27.3cm×19cm
*額なし
制作年|2022年(新作)
*
作家名|オノユウコ
作品名|丘の向こうの平穏
アクリルインク・水彩・水彩紙
作品サイズ|16.5cm×12cm
額込みサイズ|27cm×21.8cm
制作年|2022年(新作)
*
↓モーヴ街MAPへ飛べます↓