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HITOSHI NAGASAWA|ロマン的魂と夢《3》|セベルジェ写真館が撮ったモード
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こちらに「ロマン的魂と夢」という連載を持っているくらいだからロマンティックなもの、ノスタルジックなものが好きだが、なかでも1900年前後、いわゆる〝世紀転換期〟の流行風俗はことのほか好きだ。
近代化の波が押し寄せつつも、まだ世紀末の優雅さ、あるいは前近代性が残っていたのが1910年代まで。第一次世界大戦によってこれらすべてが、それこそ砲弾を浴びせられたように「吹っ飛んで」しまった。
今回、紹介したいのはパリの写真館〈セベルジェ〉である。
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もちろん前者にはロマンティックな様相が色濃く残り、後者、すなわち30年代の風俗はもうモダーンで現代的でもある。
セベルジェ以前のパリの著名写真館といえば〈ルトランジェ〉が有名だった。こちらは世紀末の優雅さの華である。
19世紀後半は写真術が広範に広まり、多くの町に写真館が誕生し、その写真を使って絵はがきが大量に印刷されるようになった時代である。
「観光」というものが〝発明〟された19世紀、絵はがきは中流から庶民まで風光明媚な場所を知るよすがにもなれば、あるいはブロマイドと同じ役割を果たし、当世人気の劇場女優たちの写真を入手する手段ともなった。
ルトランジェ写真館は女優たちにたいそう人気があったのである。
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セシル・ソレルもクレオ・ド・メロードもリーナ・カヴァリエリもみなルトランジェで写真を残している。
筆者もフランスの古い絵はがきを多少集めていて、たいしたものは持っていないのだが、ルトランジェの作品が2枚ほどある(写真上)。
そうした世紀末の写真館写真は、日本でも単行本となって出版されている。倒産してしまった京都書院刊行の『ベル・エポック写真館』シリーズは、ルトランジェや同時代の写真を集め大判の本として刊行したものなので、興味のある方は古書を探してみることを薦めたい。
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「ベル・エポックのパリの庭園」
ルトランジェだけでも一本の原稿になるが、今回はセベルジェのほうの詳細を記してみたい。
というのもセベルジェ写真館の作品が好きで、本に収載されたもの、あるいは単行本になった洋書はほとんど入手して、いくつかは筆者の運営している古書店mondo modernでも販売してきたから特別な思い入れがあるのだ。
なかでも本稿に最もふさわしいのは『Jardins parisiens à la Belle Epoque』という写真集。
訳せば「ベル・エポック期のパリの庭園」。
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タイトルからしてもうロマンティシズムが漂ってくるではないか。
1900年代初頭から1910年代のパリの庭園での日常
......子どもたちの遊び、家族、あるいは公園での劇団の上演、サーカス、花電車などまで、じつにさまざまな光景が収められている美しい写真集である。
この本は偶然に海外のサイトでみつけて表紙の写真に惹かれて購入した。そのときはノスタルジックな絵はがき写真のように思って、写真家が誰かなど気にしないで見ていた。
ところが磁場というのは引き寄せるものである。
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「Elegance」
その後、1920~30年代のリゾートでのファッション・スナップ集『Elegance』という写真集を入手した。
サブタイトルに「The Seeberger Brothers and the Birth of Fashion Photography」とあったが、当時はジーバーガー兄弟って何者? ドイツ系のような名前だから「ジーベルガー」か? などと思っていた。
その後もう一冊、Seebergerが撮った写真集を入手したのだが、そちらは1900年代初頭のフランス各地の風俗を捉えたもの。
だからジーベルガー兄弟というのは、1900年代初頭から30年代まで写真を撮り続けたのだろうと思った。
ともあれこれはきちんと調べなければいけない、とも。
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セベルジェ3兄弟とは
ここでジーベルガー=セベルジェ兄弟の伝記的詳細を記しておこう。
1870年、ドイツ、バイエルン出身の貿易商ジャン=バティスト・ジーベルガーは妻とともにパリに移住し、それとともにフランス風にセベルジェと名乗ることになる。この移住は妻がフランスのリヨン出身だったからと思われる。
彼らがもうけたジュール、アンリ、ルイの3人の息子は成長して美術学校に入学し、卒業後はテキスタイルの工房で働き始める。母方がリヨン出身なのでおそらく地場産業だった絹織物に関係した一家だったのではないだろうか?
ドイツ人の父はそれらの輸入に従事したことで母と知り合ったのではないかと推測する。
ともあれ3兄弟が生地デザインに関わったことは、のちのストリート・スナップでのモードを見る目を培ったことだろう。
長兄のジュールが最初に写真に興味をもち、コンテストに応募し始める。やがて下の2兄弟も写真にのめり込み、大きな賞を得る。ここから3人は「JHLS」のイニシャルを写真に署名するようになった。
どこまでも仲の良い3人である。
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受賞とともに写真家に転向した3兄弟は、1909年に〈Frères Séeberger(セベルジェ兄弟)〉という看板を掲げて写真館をオープンするのである。
彼らの写真はモードだけでなく、ニュース性のある出来事や貧しい人の生活などさまざまだったが、いずれにしてもそれらは雑誌に掲載されたり、絵はがきとなって売れた。
1900年代初頭の工場や漁村で働く最下層の人々も撮っており、現代から見れば貴重な資料でもある。
経営は順調だったが長兄のジュールが1932年に亡くなり、第二次世界大戦の勃発、それに続くナチ・ドイツのパリ占領とともにアンリとルイも引退した。
もはやベル・エポックの優雅さは跡形もない世界にふたりの執着もなかったのだろう。写真館はルイの二人の息子、ジャンとアルベールに引き継がれ1977年まで存続した。
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二世代にわたったセベルジェ写真館だが、『パリの庭園』写真から『エレガンス』まで、後年まとめられた40年近くの写真は一世代目の3兄弟の作品である。ベル・エポックの風俗から1930年代のリゾート・ファッションまで、その詳細を写真で知ることができるのは、セベルジェ写真館が多くの写真を残してくれたから、ということに尽きる。
前々から言っていることだが、写真史は「芸術」と呼ばれる個人の営みに傾き過ぎ、「写真館」の存在とその価値を無視しすぎてきた。でも写真館の写真がなかったら......現在の私たちの過去への知識もずっと乏しいものとなっていたことだろう。
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ストリート・スナップについて書いておくと、1910年代にはエドワード・スタイケンやアマチュア写真家だったジャック=アンリ・ラルティーグが(当時の社交場でもあった)競馬場での最新モードのスナップを撮っていた。しかしモード界に対する写真の影響力がまだ弱すぎた。そういう意味で、現代の「ストスナ」の正統な源流はセベルジェ写真館による1920~30年代のリゾートのストスナだったように思う。
セベルジェ写真館が残したものはあまりに大きいのだが、その評価はあまりに小さいことがつくづく残念で、今回のテーマに選んだ次第である。
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長澤 均|グラフィックデザイナー・ファッション史家 →HP
装幀、CDジャケット、展覧会などのグラフィック・デザインのかたわらモードを中心に文化史にまつわる著作を多数執筆。『美女ジャケの誘惑』、『20世紀初頭のロマンティック・ファッション』、『流行服~洒落者たちの栄光と没落の700年』、『ポルノ・ムービーの映像美学』、『BIBA スウィンギン・ロンドン1965~1974』他。オンライン古書店モンド・モダーンを運営し、モード雑誌は1910年代からの『Gazette du bon ton』の完本を11冊、1920年代から70年代までの『Vogue』、『Harper's Bazaar』は150冊あまりコレクションしている。
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