HITOSHI NAGASAWA|ロマン的魂と夢《2》|ピエール・ルイスが描いた宿命の女
19世紀後半、それは作家ピエール・ルイスが飽くなき欲望を持って女たちを追い、ギリシャ古典文化に耽溺し、詩を書き、そして小説をものにした時代だった。
早くも戦前日本で翻訳紹介されたこの詩人はしかし、当時の感覚からすればあまりにエロティックな作品が多く、なかば好事家好みの作家として少数の人だけに愛好されたようである。
『ビリチスの歌』、『アフロディテ』、『女と人形』、『ポーゾール王の冒険』あたりが翻訳もされて知られている作品だろう。
なかでも物語としての起伏があり、衝撃的な内容をもつのが『女と人形』だ。
筆者には特別の思い出がある本で、二十歳になるかならぬかくらいの頃、阿佐ヶ谷の古書店でみつけたが、高くて買えなかった。1952年創元社版で4500円もしたのだ。
まだ生田耕作が主宰する奢灞都館で新訳版を出す前。ともかくこの版くらいしか手に入れようがなかった。
しばらく経って行ってもまだ売れない。いや、何度行っても売れ残っているのだ。
神田の田村書店に行ったところで同じような価格だろうからと、何度目かで買った。
世紀末のセヴィリアでの謝肉祭(カーニヴァル)を舞台に、ひとりの中年男が18歳の性悪な小娘に恋し、彼女に弄ばれるがままに全財産を蕩尽してしまうという話。
美しい娘コンチャは、主人公ドン・マテオにとって〝ファム・ファタル(宿命の女)〟の化身だ。
コンチャを見初めたアンドレという青年が登場する。マテオは自分とコンチャとの何年にもわたる愛憎と浪費と破滅を青年に語って、コンチャにだけは絶対に関わってはいけないという。
物語の最後が怖ろしい。
アンドレにすべてを語って、自分はもうコンチャには何の興味もない、二度と会うこともないというマテオ。だがそのあとにコンチャの家でアンドレはマテオからの最後の手紙を読んでしまう。
そこには「君がいなければ、僕は生きてはいけない。僕はひざまづいて君のあらわな足に接吻する」と書かれていた。
一人の浮かれ女(め)を愛し、全財産を蕩尽し最後は襤褸屑のように捨てられてもなお、足に接吻したいと願うマテオ。
その弄ばれ方もまた凄惨で、これはある種のマゾヒズム小説と言えなくもないが、はたして作者ピエール・ルイスにそんな嗜好はあったのだろうか?
一説によると、ルイスは生涯に娼婦を含めて2500人もの女性と関係を持ったという。好色漢である。しかも彼はカメラ好きで女たちのヌード写真をたくさん撮った。
だが、さまざまな資料を見ても、ルイスが性愛を至上のものに置きながらもマゾヒズムの気があったようには感じられない。
となると『女と人形』の女性への隷属は、ルイスによるまったくの想像の世界だったのか。
じつはこの小説はマレーネ・ディートリッヒ主演で映画化されている。ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督による1935年の作品。
原作にかなり忠実に映画化されたものだが、スタンバーグのディートリッヒに対するマゾヒスティックな崇拝がきわみに達した風で、こちらも凄絶な作品となった。
しかも前年に公開されたディートリッヒ、スタンバーグ・コンビの『恋のページェント』同様、スタンバーグのセットの美意識が異様なバロック趣味に陥って尋常ではない。
ディートリッヒはとうに30歳を越えていたが、それでも数年をかけて男を肥に小娘から凄艶な美女に変貌していくさまをうまく演じている。
余談だが、スタンバーグがディートリッヒ主演で立て続けに映画を撮った時期、彼はディートリッヒに恋していたと思われるが、一度も相手にされたことはなかった。
スタンバーグ作品では、どんなテーマであろうが、ディートリッヒが男を支配するような強さを出す場面がある。これはあくまでスタンバーグの嗜好だ。ハリウッド映画だから結局は恋につながれた、か弱き女性に収斂されはするのだが...
でもおそらくスタンバーグはディートリッヒに〝支配〟されたかったのだ。その美に。
映画がらみでもうひとつ。
ピエール・ルイスの生涯そのものが映画化されている。『不実な女と官能詩人』(2019)。
原題は「CURIOSA」。キュリオザとはラテン語由来で「扇情的な印刷物」を意味する。なんとも説明的な邦題だが、ある意味、このタイトルは詩人の実相を物語っている。
ルイスは詩人・作家であるアンリ・ド・レニエと懇意だったが、彼の妻マリーは古くからの知り合いで結婚後も彼女と逢瀬を重ねていた。
実話に基づくという、この映画のポルノグラフィックで悖徳的な詳細はなかなかに衝撃的だ。ただし、作家としてルイス以上に筆者が評価するアンリ・ド・レニエが木偶の坊のように描かれているのは、ちょっと残念だった。
それはともかく衣裳考証が素晴らしく、衣裳を観るだけでも価値がある。
ルイス作品を未読の方に何がお薦めかというと、やはり生田耕作訳の『女と人形』だろう。同じ版元からの短編集『紅殻絵』も良いが、現在は古書市場で高めだ。
『アフロディテ』は文庫本で出ているが訳文のリズムが良くない。訳者の沓掛良彦はルイスの評伝も書いているが、翻訳文は読みづらい。比べてみようと1928年に国際文献刊行会から非売品として出た太田三郎訳の『アフロデット』を読むと、ずっと読みやすいではないか!
ただし、戦前のこの版は検閲で多数の箇所が白塗りとなり、突然文章が消える。まあ、それは現代訳を読めば、これが戦前の検閲をそのまま通るはずはなかろうとよくわかる。
同じ版元からは、1925年(大正14年)に『ビリチスの唄』が刊行されている。レスボスをテーマにしたこんな作品が! これも非売品だが、戦前の日本の好事家あたりでのルイス受容がわかって面白い。
ピエール・ルイスは1925年に54歳で亡くなった。若干24歳で『ビリティスの歌』を刊行した高踏派、象徴派の流れをくむこの詩人は、やはり世紀末の唯美主義者のひとりと言ってよいだろう。
1925年、アール・デコの時代はもうこの詩人には似合わなかったのかもしれない。死因は肺気腫だった。
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