「HIPHOPとニューヨーク都市開発」その2
・結果
クロスブロンクスエクスプレスウェイの建設に伴い、黒人やヒスパニックなどの低所得者の有色人種たちは、都市開発によりブロンクスのスラムをぶち壊して作られた「プロジェクト」と言われる低所得者向けの高層アパート、日本で言う「団地」にぶちこまれる。
団地って何処と無く治安悪い気するよね、、、
更には、何千という役所の手続きなどままならない、ギリギリの生活をしている人達は、団地にすら入れず、ただただ住む場所を失った、、そして、こういった事業はその所業から「黒人排除」と呼ばれた、つらみ。
つまり、サウスブロンクスから上中流階級の白人が居なくなり、貧困層の有色人種が取り残されてしまったのである。
そりゃ、詰むなぁ、、。
しかしなぜ良くするための都市開発が最悪のスラムを生み出してしまったのか?
それはニューヨークの都市開発を知れば自ずと見えてくる。
・全部壊してゼロになれ
ここで「あんさん、そもそも都市開発ってなんやねん?」という所に触れていく。
簡単に言うと「え〜、スラムってゴミゴミしてるし〜人が密集してて危ないし〜臭いし〜疫病が蔓延しがちだから、一旦全部壊して〜その上に綺麗な都市作っちゃおうよ〜。」
「あと、これからの時代ウチらはやっぱ車の時代だから〜車最優先で行くっしょ!ウチら最強!!」
ってノリ、ではこの都市開発者達のノリは何処から来たのか?
元をたどると19世紀末のロンドン「エベネザー ハワード」と言う人の「田園都市」と言う考えが発祥で、田園都市は「オラ、都心部に人口が密集しがちだしゴミゴミ嫌いだからよ〜郊外にゆったりできる独立した都市を作って、分散させっぞ」みたいな、ワクワクすっぞ的なヤツ、日本だと関東大震災後にできた隅田川沿いの「田園調布」が有名。
そして、それを更に進化させたような画期的な考えを持った銀河ギリギリぶっちぎり強え奴が1920年代フランスに颯爽と現る、、
建築家「ル・コルビュジエ」パイセンだ、パイセンは夢の未来都市「輝く都市」と言うハンパない構想を発表する。
それは、コルビュジパイセンがパリの街を飛行機に乗り上空から見て「あーなんかゴミゴミしてんな〜全部壊して高層ビルの摩天楼群と高架式の高速道路バチコン通して新しい街つくりてな〜」と、考えられた都市。
「一回全部壊してゼロにする」基本みんなスラム壊したがりだ、、
クローズゼロの小栗旬も真っ青だろう。
やっぱ基本スラムは不衛生なんで新鮮な空気が大事らしい、コルビジュパイセンの考えは超高層のタワーに、上え向かって住民を収容し、商店や公共施設をブッ込んで、その分空いた土地に木をいっぱい植えてフレッシュでモダンな感じにし、空気と光を沢山取り込む、そして「車、車、車、車三つで高架式高速道路です!!」と車優先で考える、これはいわば田園都市がリザードンよろしくメガ進化した感じだ、「垂直の田園都市」とか「公園の中のタワー」とか言われた、そしてこれが団地へとつがっていく。
分かりやすく言うと、アキラのネオ東京や攻殻機動隊の舞台の近未来年、エヴァの第3新東京市、最近私が見ているサイコパスというアニメの舞台も「輝く都市」の感じのコンセプトだと思う、高層ビルと高架式道路、カネダバイク、タチコマ、ネルフ、使徒、暴走、伊吹マヤ下呂。
THE近未来、私たちが子供の時から想像していた未来都市は、1920年代のコルビュジパイセンの構想からあまり変わってないのだ。
いや、パイセン頭あがんねっす!
しかし、パリではこの計画は「無理」ってなって実現されなかった、後にパイセンは1952年マルセイユに「ユニテ ダビタシオン」という輝く都市まではいかないものの、パイセンの考えを形にした集合住宅を作るのだが、個人的に非常に魅力的に見える、カッケェな。
この記事を書いている最中、最上級アーバン雑誌「BRUTUS Casa」でパイセンが特集されていたのを発見して秒で買ってしまった、更に2019年2月19日から5月19日まで上野公園の国立西洋美術館でパイセン展がある、なんと今日本でパイセンブームが来てる。そりゃ、元を辿ればパイセンがHIPHOPの産みの親なわけだしねww
話を戻そう、惜しくもパリでフラれたパイセンだが、その考えはアメリカで受け入れられる。
「パイセンの都市まじカッケーすね!!」つってモーゼス始めアメリカの都市開発達はパイセンのモダニズム圧が半端ない「輝く都市」に影響されまくる。
建築評論家の五十嵐太郎さんの記事を読んだ
20世紀初頭に誕生したモダニズムは、第二次世界大戦後、世界各地に広まっていった。モーゼスの手法も、基本的にはスラムを潰して団地を並べたり、都市を切り裂き高速道路を整備したりしている。しかしこれはル・コルビュジエが唱えた「輝く都市」のお手軽バージョンと言えよう。
「お手軽バージョン」という言葉に引っかかる、例えるとパイセンの「ユニテ ダビシオン」が「ガンダム」だとするなら、モーゼス達が作った茶色い団地郡は「ジム」量産型のただ人を沢山収容できる箱だ、さらに言うとパイセンは結構住む人の事考えてたけどアメリカのは沢山作って色んな企業が儲かるみたいな安っぽい奴。
そしてやっぱり団地の作り方も、伝家の宝刀「ジャイアンStyle」で圧が鬼だった。
・「タイトル1」の圧が鬼
1930年代、世界恐慌が起こりニューヨークは衰退していく、そんな状況を打破するために1934年フランクリン ルーズベルト(ベルトさん)大統領が打ち出した「ニューディール政策」の一環として「連邦住宅法」が制定される。
「政府が金出すから建物沢山作って、失業者いっぱい雇用して、景気回復しよぜ!」みたいなノリだと思う、調べてくれ。
過密地域の不衛生で危険な生活を排除し、市民の健康と安全を確保する
スラム壊して団地、政府がサポートするっしょ!てっぺん取るしかないっしょ!みたいな、、。
更に、1949年「連邦住宅法」がギャラドスよろしくメガ進化する、それが「タイトル1」と言われる法律だ
タイトル1の圧のかけ具合ときたらとんでもないものがある、まず市が「スラム撤去委員会」を設立。
「え〜っと、じゃあ、ここは何かゴミゴミしてるからスラム認定しま〜す」と言ってスラム地区を特定、「うん、大丈夫買うよ、土地買うから出てって」って言って強制土地収用権を適用して地区を購入、「それじゃ、お前んとこの会社でやってくれや!」って言って民間業者を選定しブルドーザーをぶち込んでスラム撤去と再開発をさせる。
もう、、、タイトル1の圧が鬼ぃ!!まさに「ジャイアンStyle」だ。
今でいうインサイダー取引的なやつもあったとかなかったとか、、
もちろんこれにより市民は「激おこプンプン丸」に、そりゃそうだ強制撤去とがエグすぎる、この強引なやり方からタイトル1は「多くの人の人生を変えてしまう事業」と言われた。
こう言った経緯で数々のスラムに団地が立てられた、低所得者たちがぶち込まれた簡素な団地群は次第に元のスラムよりも酷いスラムになっていく。
都市開発の流れやノリがわかったところで、やっとこれから「なぜ団地が元のスラムより更に酷いスラムになってしまうのか?」というところに触れていく。
その理由はニューヨークの都市計画を語る上では絶対に外せないある女性の考えを知ればわかる。
その女性は、一介のジャーナリストで主婦でありながら、当時は無敵だったモーゼスに、反旗を翻し画期的な考えを武器に「革命」を起こしていく、、
続きはその3で。
#HIPHOP #ヒップホップ #都市開発 #ルコルビュジエ