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積極的分離の誤解

皆さんお元気ですか?Kaoriです👶

積極的分離論をめぐって
様々な人の意見が飛び交っていますが

ずっとnoteが相互尊重できるような
場所になれば良いなと思ってます。

積極的分離の段階は、個人の成長に照らし合わせて考えるものであって、
他者と比較して、優越感を覚えたり、絶望的になるものではないこと。

援助者の方が悩む人が積極的分離のどの段階で躓いているのかを見極めて、接し方を考えて行かないと上手くはいかないので、参考にするには良いとは思っています。

ロケーションの違いと思うことにもしています。

どちらが上とか下とか、敵や味方、優劣みたいな視点で見てはおらず

私は理論より、実践、実体験をもとに積極的分離の話をしていて、自分自身は穏やかな生活を送っているので、理論を掘り下げるつもりはなかったのですが

ある方に、『これから来る分離と実存的うつが怖い』『積極的分離論は高度な精神性を獲得することで、自分を大切にするとかそんなレベルの話ではない』『積極的分離論を人格成長などというからおかしくなる』と言われて、なぜそう思うのか、改めて積極的分離論による分離、統合、退行とは何かを調べてみました。

私の結論は、
『自己統合のプロセスを理解して地道に自分を整えて行けば大丈夫である』
『精神性が成熟していくことと、自分を大切にし自己を受容して行くことは切り離せない』
『精神性と人格の発達は相互作用がある』ということでした。

自己統合のプロセスを理解しないまま、積極的分離論でいう4〜5段階の利他精神、高次の統合を意識する余りに、苦しんでいる方がいるような気がしています。

利他精神や共感力による行動は子どもにもみられることはありますが、それと精神的に成熟しているかどうかも別になるようにも思います。

健全な最終統合を果たしたかどうかなどを判断できる人がいないと思うし、

最終統合は、死ぬ時にどのような状態で死を迎えたのか、そこで分かることのように思います。


私はまだまだ勉強中の身ですが、葛藤のある自分との折り合いをつけられるようになること、受け入れていくことができるようになっていくことが統合のプロセスで、最終統合、それは結果論であって、目標にしたり、目指したりするものでもないけれど、成長の道標にはなると思う程度です。

改めて調べるうちに、レベル1の人がレベルが低いから悪い?レベル5の人が利他精神も精神性も高いから良い?っていうのもおかしいな?

精神的に成熟していくには時間がかかることで簡単なことではない

レベル1の段階の人は、ギフテッドやHSPの方達のように、繊細で、深く深く考えたりしないからこそ世の中に適応していける人が多いのではないか?

私みたいに激しい積極的分離を体験して、いちいちドロップアウトしていたら世の中を回していくのは難しいのではないか?😅

悩みや葛藤は人間なら誰でもあるけれど、積極的分離のような体験はされていない、大人の安定した人にも助けられてきた経験があるので

疑問に思ったので、ChatGPTに質問したところ!

私のモヤモヤを晴らしてくれる解答が来たのでシェアします!

私の質問『積極的分離論(TPD)では、ほとんどの大人がレベル1に留まっていると言われますが本当でしょうか?積極的分離を味わなくても健全な成熟した大人はいると思うのですが?全員が利他精神で大きなことを成し遂げようとしているわけではありませんし、積極的分離を勘違いしている人達に、どのように説明して良いのか悩みます!』

ドンブロフスキーの**積極的分離論(TPD: Theory of Positive Disintegration)**では、多くの人が「レベル1(一次統合)」に留まるとされています。これは「社会的に適応し、一般的な価値観をそのまま受け入れる状態」を指し、内的な葛藤や変容を経ていない段階です。しかし、これは「未熟」や「劣っている」という意味ではなく、単に「環境に適応した安定した状態」にあるということです。


積極的分離なしでも健全に成熟した大人はいるのか?

はい、もちろんいます。TPDは、特定のタイプの成長プロセスを説明する理論であって、人間の成熟の唯一の道ではありません。積極的分離を経験せずとも、生まれつき安定した性格や倫理観を持ち、自己成長を遂げる人もいます。

例えば:

本質的に協調的で倫理的な人(特に内的葛藤を抱えずとも道徳的な選択ができる)

安定した家庭環境で育ち、自己受容が自然とできている人

芸術や哲学、宗教を通じて自然に自己深化する人

これらの人々は、積極的分離の激しい苦しみを伴わなくても、十分に成熟した価値観や利他精神を持つことができます。


「積極的分離論=全員がレベル5を目指すべき」ではない

TPDを勘違いしている人たちは、しばしば次のような誤解をしてしまいます:

「レベル1=悪、レベル5=良」 という誤解→ 実際には、レベル1の人でも社会に適応し、幸福に生きることができる。

「全員が積極的分離を経なければならない」 という誤解→ これは一部の人に当てはまる成長パターンであり、全員が通る道ではない。

「レベルが上がるほど優れている」 という誤解→ TPDはあくまで心理的変容の説明であって、価値判断ではない。

どう説明すれば理解してもらえるか?

① TPDは「成長の一形態」であり、唯一の成熟モデルではない

「積極的分離は、人間の成熟の"ある一つの道"であって、すべての人が経験するものではありません。むしろ、自己受容や倫理観を自然に持てる人は、積極的分離なしで成熟することも可能です。」

② すべての人が「利他的な目的」を持つわけではない

「積極的分離の理論では、ある種の人々が"より広い視点"を求めるようになると説明していますが、それがすべての人に当てはまるわけではありません。世の中には、自己成長よりも『家族や周囲との調和』を大切にする人もいます。」

③ 「積極的分離=苦しまなければならない」ではない

「積極的分離は、特定の人が内的な葛藤を通じて変容するプロセスですが、これは義務ではありませんし、苦しみを経なくても成熟できる人もいます。安定した家庭で育ち、倫理観を持って成長する人は、あえてこのプロセスを通る必要がないかもしれません。」

④ 「レベル5=優れた人」ではなく「異なる認識の段階」

「レベルが上がることが『優れている』わけではなく、ただ世界の見方が変化しているだけです。レベル1の人が幸せで充実した人生を送ることもありますし、それを否定するものではありません。」

まとめると、積極的分離論は「心理的な変容と成長の一つのモデル」であり、すべての人に当てはまるわけではないことを強調すると、誤解を減らせるかもしれません。

「必ずしも全員が積極的分離を通るわけではない」という前提を伝えれば、極端な解釈をしている人たちとも建設的な対話ができるのではないでしょうか。

こんな解答が返って来ました。皆さんはどう思われたでしょうか?

お陰で私の気持ちがスッキリしました。
ChatGPTさんありがとう✨

次は、成長のスピードは人それぞれなのだから大丈夫であるというお話をしたいなと思います。

書きたい記事があるのにどんどん脱線していく私でした😂


Brilliant Beauty Message Kaori✨✨


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