夢のあとさき〜猫と僕の日々|#短篇小説
Chapter8.
夢のあとさき
モンの身体には力が無くなっていた。どのくらいの時間、雨で濡れて冷え切ってしまったのだろうか。
マンションに入ったら、傘を閉じてモンを背負った。エレベーターのボタンを押すにもカギを出すにも苦労しながら、何とか家まで辿り着いた。
出来るだけ雨を拭き取って、モンの身体をベッドに横たえ、暖かくなるように衣服を重ねて着せた。羽根布団も、何枚もそっと上に掛けた。
「モン・・・」
瞼を閉じたモンの額に手を当て、そのまま頬まで撫でて手のひらで包んだ。血の気が引いていて、冷たかった。細い小さな鼻は、透き通りそうなくらい青白かった。
(可哀相に・・・きっと、水分も摂れてないな)
ミルクにするか迷ったが、結局白湯をマグカップに入れてベッドサイドに持って来た。そして、自分の口に含んでから、モンに口移しで少しずつ飲ませた。
目を瞑っているモンの喉が鳴って、飲んでいるのが分かった。
出来ることなら、苦しんでいるモンと代わってやりたいと思った。頭の中が爆発しそうだった。
モンの寝ているベッドの脇に座ってうとうとしていたら、微かなうめき声が聞こえてはっと目覚めた。真夜中の時刻だった。
「うう・・・」
「―――モン、モン!どうした、大丈夫か」
僕は半分モンに覆いかぶさるようにして訊いた。
「喉が・・・乾いたわ・・・あと、お手洗いにいきたい・・・」
「よし、わかった。じゃあまず、トイレへ行こう。
起き上がれるか?・・・僕が支えるから。
肩につかまって・・・」
モンは、細い腕を弱々しく伸ばして、僕にしがみついてきた。モンがベッドから出られるように脇の下を持ち上げて、肩を支えながらトイレまで連れて行った。
そしてまたベッドへ戻った。ベッドに着くと、モンは倒れ込むようにして横になった。
「―――待ってて。また飲むものを持ってくるから。
白湯か、温かいミルクかどっちがいい?」
「ミルク・・・」
「分かった」
再びモンの額に触れた。モンを抱えたときに、ちょっと熱気があるかもしれないと感じたからだ。やはり、顔全体が熱くなってきていた。
「氷枕も、持って来るよ・・・」
結局僕は、朝までモンにずっと付き添った。水分を摂って確り睡眠すれば、少しは良くなるはず、と願った。
果たして・・・朝になったら、重ね着した服の中に潜りながら、モンは猫に戻っていた。
―――僕はまだ、モンが猫に戻る変わりめを見ていない・・・
猫になったモンは、まだやはり弱っていた。体毛がぺったりして力が無く、険しい顔つきをしていた。呼吸も少し乱れているようだった。
僕はパソコンから会社へ欠勤の申請をした。今まで敢えて行かなかったが、モンを動物病院へ連れて行こうと思った。
モンは動物病院で蒸気吸入器の処置をされることになった。弱っている身体を、さらに縮めて怖がっていた。
吸入している間、眼鏡を掛けている獣医がチェアをこちらに回して
「―――肺炎ですね」無表情で言った。
「抗生物質を出しますから、1日3回飲ませて下さい。餌に砕いて混ぜるなどして」
看護士の女性は彼からカルテを受け取り、受付に回した。
吸入のあと、モンは身体を濡れた古布みたいにぐったりとさせていた。僕はそうっとモンを抱き上げてケージに入れた。出来ることなら家まで抱いてやりたかったが、タクシーではそういう訳にはいかなかった。
肺炎は、想像以上にモンの身体を痛めつけた。何日も、目を閉じた顔で横になっている姿のままだった。
治るまでは、会社を休んで様子を看るつもりだった。薬が効くのを祈りながら。
―――
1週間ほどして・・・モンは少し起き上がった。ふらふらしながら座って皿のミルクを飲んで、餌の匂いを嗅ぎ始めた。
「モン・・・。大丈夫か?」
餌を齧りかけているモンに話しかける。モンは僕を見上げて、ほんの小さな声でにゃあ、と鳴いた。
モンが「大丈夫、」と話したような気がした。
―――この頃からだと思う。
僕は悪夢を見るようになっていた。
モンが少し大人の女性になり、純白のウェディングドレスを着てブーケを手にしている。
僕は教会の祭壇の近くで、振り返りながら美しいモンを見ている。
モンは微笑みながら僕に近付いて来るが、途中で突然姿を消してしまう。
えっ、と動揺したとき、周囲が雨の公園に変わる。すると、公園の遊歩道で、濡れ尽くした猫のモンが、横たわって死んでいる・・・
―――あまりにリアルで、思わず声を上げて飛び起きることがあった。動悸も酷かった。
(そうだよ・・・モンは、どうしても僕と「本当に結ばれる」ことは無いんだ。
仮にもし、幸せに思えたとしても・・・それはいっときでしかないんだ)
このことを噛み締めると、ベッドで顔を押さえながら涙が出てくるのだった。
僕がそんなふうに打ちのめされているとき、いつもモンは静かに近付いて来て、シーツの上に飛び乗った。そして、僕の手の甲を、にゃあ、と鳴いて小さな舌で舐めるのだった。
【 continue 】
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