話すことは放すこと
人と話すことは、「放す」ことなんだと思う。
昨日、前の会社の同期たち4人で久しぶりに集まった。
その中でとくに印象的な話があったので、紹介したい。
それは、「”敬語じゃない関係値”っていいよね」ということ。
敬語って距離が遠い。
あと長い。
僕は前職がコールセンターだったので、仕事では嫌というほど敬語を使ってきた。
「さようでございましたか!」
「~ということでございますね?失礼ですが、○○をしていただくことをお願いできますでしょうか?」とか。
こんな言葉遣いを1日8時間、月160時間していた。ライターになり、人とほとんど話さなくなった今、なんだか不思議な感じもする。
話を戻す。
”敬語じゃない関係値”ってどんな関係値だろう?
一番に思い浮かぶのは、家族や恋人なんじゃないかと思う。
で、ここが大切で、その次に浮かぶのは友だちなんじゃないかと。
「友だちの定義って何?」ってここ10年くらいずっと考えてるけど、昨日の集まりでようやくわかった。
自分にとっての友だちって、敬語を使わない人のことなんだ。
逆にいえば、敬語を使っている人は友だちではない。
お金を払ってクライアントになっていたり、仕事の関係だったり、とにかく敬語を使っている以上、ある一定の壁が存在する。
ぼくはこの壁を壊したい。
メリット・デメリットとか、お客さんであるとか、受注者・発注者とかいろんな壁を越えたい。
もちろん壁を越えようとするといろんなことが起こる。
敬語で保っていた距離感は崩壊して、お互いの嫌な部分を見せ合うこともあるだろう。
でも、それが人生なんだ。
結婚生活なんてまさにそれの典型で、どれだけ相手のことを許せるか、歩み寄れるか、受け入れようとできるか、愛せるか、なんだと思う。
昨日ぼくは友人と話したことで、「敬語で話す」という行為を手放した。
前々からずっと敬語でない文体で書こうとしたけど、勇気が出なかった。
それは、人からどう思われるのか怖いという気持ちと、なんかポエムになりそうで嫌という気持ちから。
でも、そんなの関係ない。ようやく手放せてよかった。
*
*
*
ということで。
何か敬語煩わしいなあって思う方は、どうぞそのままの言葉で来てください。
ちゃんと適切に対応しますので。
僕ももっと近づきたいなぁと思う方には、少しずつ敬語を崩したりしてチャレンジします。
あ、気を抜くとまた敬語になってしまった・・・笑
*
*
*
最後に、僕が少し前に読んだ本で、心に響いた一節を紹介する。
出典は忘れたので、どの本か気になる方はぜひ直接聞いてほしい。
『私たちはその瞬間、”仲間”から”同志”になった』
それでは、本日はここまで。またね!