スマブラステージ【AD.1530.銃と鎧の騎士】
このスマブラステージは、銃弾をかいくぐり敵陣へ突撃する鎧の騎士を描いたものです。
・騎兵の誕生
人類が初めて馬を家畜化したのは紀元前4000年頃、当初は食用としての家畜でしたが、馬は牛、豚、羊と比べて必要な餌が多い割に太りにくく、食用よりは人への従順さや運動能力の高さを活かして荷車や農具を引くことに活用されるようになりました。
古代の戦争では戦闘用馬車のチャリオットが高い機動力で活躍しましが、チャリオットは小回りが利かず、馬が複数頭必要で維持費も高かったので、馬の背に座るための鞍や乗馬時に足を置くあぶみのような馬具が洗練されると、馬に直接乗って戦う騎兵が主流となっていきました。
・騎士の誕生
中世のヨーロッパの王や皇帝は、地方の領主に土地を治める権利を与えて、地方の領主は権利をもらった主君に忠誠を誓い、普段は治める土地を外敵から防衛しながら農奴から税を徴収し、主君の要請があると戦争に参加しました。さらに規模の大きい領主は自らも主君となって臣下の戦士たちに土地を与えて領有させました。こうして小さな土地を治めながら主君のために戦う騎士という身分ができました。
中世ヨーロッパの野戦では、槍をかまえた騎兵の突撃によって敵陣を崩す戦い方が主流でした。先述の通り、馬を育てて維持するには多くの餌が必要で、馬を乗りこなす技能の習得し、武器や防具をそろえられる経済力をもった者が騎兵になることができました。一般的な歩兵では騎兵の突撃に対応できず、騎兵は戦場の花形として名を馳せました。
・鎧の発展
古代の戦争では動物の皮を加工した鎧を着ていました。紀元前3世紀頃に金属のリングを大量につないだチェインメイル(鎖帷子)が作られ、紀元後1~2世紀のローマでは肩、胸、腹部を鎖より頑丈な金属板を紐でつなぎ合わせた鎧が登場します。
中世になり、騎兵が敵陣に突撃する戦法が多用されるようになると、敵陣に乗り込んだ後の騎士は四方八方から攻撃を受けることになるので、鎧の金属板の覆う箇所が増えてゆき、14世紀にはついに全身を板金で覆った鎧プレートアーマーが登場しました。
プレートアーマーは刃物を使った攻撃に強く、弓矢のような貫通力の高い武器もある程度耐えられました。プレートアーマーは30~40kgの重量があり、馬による突撃はさらに強力となり、全身の関節が可働するので下馬しても戦うことができました。
しかし、よく訓練された冷静な歩兵が密集して陣形を組む、棒で騎兵を引っかけて転ばせるなど、突撃攻撃への対抗策が編み出され、15世紀にはそれまで使いにくかった火薬兵器が改良されてプレートアーマーを貫通する威力をもった火縄銃が登場、銃弾を防ぐために鎧を分厚くすると重くなりすぎてまともに動くことができなくなるので、頭と胸だけ分厚い装甲をつける鎧が主流となり全身を覆う甲冑は廃れることになりました。
またプレートアーマーは非常に高価だったので、防具をそろえることができない騎士が続出し、戦いに参加せずに戦費だけ納める騎士も増えて、16世紀以降は土地を治めていない傭兵が戦いの主力となり、貴族であり戦士でもある騎士は姿を減らすこととなりました。
とはいえ、この時期(16世紀)の火縄銃は現代の銃と比べて命中精度が低く、悪天候では使用できない上に、連射もできないので、騎兵の突撃が必ずしも銃に勝てないわけでもありませんでした。
後の時代、19世紀はじめのナポレオン軍は、大砲や軽騎兵の攻撃で敵の陣形を乱したところで胸に厚い装甲を付けた騎兵を突撃させる戦法で連戦連勝を重ねて、突撃戦法が再び脚光を浴びることになります。
このスマブラステージでは地面が上下に動き、馬に踏まれるとダメージを受けるギミックを楽しめます。