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スマブラステージ【AD.1918.戦車VS鉄条網】

このスマブラステージは、銃弾飛び交う戦場を進む、戦車を描いたものです。

・戦車が登場するまで

 野戦で決着をつけるにあたり、歩兵や騎兵(馬に乗った兵士)が敵の陣地へ突入して、敵兵を打ち倒して占領する、突撃戦法が行われてきました。

 中世ヨーロッパでは、鎧をつけた騎兵の突撃が野戦の切り札でしたが、パイク(長槍)の密集陣形や火縄銃の登場で一時衰退します。が、昔の銃は再装填に時間のかかるために連射ができず、19世紀前半には、突撃で敵陣を占領することは十分に可能でした。

 しかし、19世紀後半以降、歩兵と騎兵の突撃は全く通用しないものになってしまいます。

・理由その1 塹壕
 塹壕は戦場に掘られた穴や溝です。古代から戦争に用いられ、塹壕に隠れることで、敵の弓矢を回避したり、馬を走りづらくする防御効果がありました。銃の普及とともに、敵の射撃から身を隠すために塹壕が重用されるようになります。

・理由その2 機関銃の登場
 19世紀以降の銃の発達は著しく、1861年に開発されたガトリング砲は1分間に200発、1884年のマキシム機関銃は1分間に500発もの銃弾を放ち、連射速度が飛躍的に上昇します。
 塹壕に機関銃が設置されると、防御側は塹壕に隠れながら、突撃してきた敵兵に絶え間のない銃撃をあびせることが可能となり、突撃戦法は成功しにくくなります。

・理由その3 鉄条網
 有刺鉄線は、長い鉄線(針金)に、先のとがった短い鉄線を巻きつけて簡単なトゲを作ったもので、有刺鉄線で作られた柵を鉄条網と呼びます。鉄条網は、初めは害獣から田畑を守るために考案されたものでしたが、やがて戦場で敵兵を足止めするのに使われ始めます。
 鉄条網に兵士を殺す能力はなく、進撃を遅らせるだけでしたが、移動にもたついている間に機関銃が放たれ、突撃兵は次々に射殺されていきました

張り巡らされた有刺鉄線

・第一次世界大戦の膠着

 19世紀後半以降の野戦は、機関銃と塹壕と鉄条網の組み合わせによって、守る側に圧倒的に有利な状況となりました。
 それが特に顕著に現れたのは、第一次世界大戦(1914~1918年)の西部戦線(ベルギー南部からフランス北部)でした。

 攻める側が、犠牲を覚悟で大人数で突撃して敵陣まで辿り着いても、敵軍の塹壕が二重三重に掘られていて、すぐに奥に控えていた敵兵が攻撃してくるために、大軍で攻めても敵陣を攻め落とすことができず、近代以降の工業化とフランス革命以降の国民軍の形成によって、銃弾と兵士は尽きることなく前線に補充され、大量の戦死者を出しながらも戦争は継続し、何年も決着が付かない膠着状態となりました。
(中世以前は、騎士や傭兵が戦闘を行い、平民は基本的に戦わなかったが、革命によって国民が主権者となった近代国家では、平民にも戦う義務が生じていました)

・戦車の登場

 突撃する前に、敵軍の機関銃と鉄条網を破壊できればいいのですが、塹壕に隠れている敵には銃撃が当たらないし、鉄条網(有刺鉄線)は銃弾や爆弾で攻撃しても変形するだけで完全に破壊することができませんでした。
 戦果の上がらない突撃や、塹壕の不衛生な環境による伝染病の流行などで、いたずらに死傷者が増え続け、各国は塹壕を突破する方法を模索します。

 大戦初期に自動車に装甲を取り付けて、銃弾を防ぎながら、鉄条網を踏み潰して敵陣に乗り込む装甲車が考案されました。しかし、普通の自動車では、穴まみれな上に、泥で滑りやすい塹壕を走ることは困難だったので、履帯(キャタピラー)で動く、悪路に強い農業用トラクターに装甲を取り付けた戦車が考案されます。
 世界初の戦車はイギリス軍が1916年に完成させたマークⅠ戦車です。初めて実戦投入された戦車は、わずか5台でしたが、戦車に相対したドイツ兵は、前進してくる謎の新兵器にパニックを起こし、塹壕から逃亡、攻撃目標の丘の占領に成功しました。

塹壕を乗り越えて進む戦車


しかし、初期の戦車は
・すぐに故障する。
・製造に時間がかかり、数をそろえにくい。
・装甲が薄く、銃弾をそれほど防げない。
・方向転換しにくい
・操縦室とエンジンが同じ部屋にあるので、操縦士は高熱と騒音と排ガスにさらされる。
・サスペンションはなく、操縦室がものすごく振動する。
・窓からの視界が狭く操縦しにくい。
・動かすのに8人も必要で、訓練に時間がかかる
・操縦室は暗くてうるさいので乗組員の意思疎通がしにくい
・速度が遅い(時速5km程度)。

・・・など問題点が多いものでした。
 それでも、各国は戦車の可能性に注目し、より使いやすい戦車の開発を進めます。
 1918年に投入されたフランスの軽戦車ルノーFTは、エンジンと操縦室の区画を分けることで乗組員の負担を低減し、車体上部に旋回可能な主砲を搭載、現代まで続く戦車の原型が出来上がりました。

 戦車以外にも、飛行機からの敵陣への攻撃、毒ガス攻撃、トンネルを掘って地下から攻撃するなど、様々な手段で塹壕の突破が試みられましたが、全長数百kmの広大な西部戦線では、小規模な効果しか得られませんでした。

 1918年、食料不足やスペイン風邪(インフルエンザ)の流行で、兵力を補充できなくなったドイツが降伏し、西部戦線の塹壕は、最後まで突破されることなく第一次世界大戦は終結しました。


 このスマブラステージでは、戦車が地形に沿って前進するギミックを搭載。戦車は鉄線を巻き込みながら前進し、戦車にひかれたり、砲身に触れるとダメージを受けます。

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