見出し画像

徳島そして広島へ ③

翌朝になると、昨晩の天候が嘘のように空は澄み渡り、薄っすらと雪化粧した道路もすっかり雪が溶け、美しい街並みが広がっていた。

晴れ渡った徳島の朝

 
私達はホテルで朝食を済ませ、目的地に向けて出発することにした。
(ホテルのクロワッサンは表面パリパリ、中はしっとり、バターの香りが口一杯に広がる絶品だった)
目的地を選ぶとき、徳島に限定したとしても、とても一日で周り切れるものでない。それほど観光名所も多く、風光明媚な場所なのだ。更に四国全体に広げると一週間あっても足りない。
そこで、かなり狭めることにした。
今晩の宿泊地は愛媛県の新居浜市の予定なので、本日中に到着できるようにしなければならない。一番の近道は徳島自動車道を走行していくことだが、山岳地帯が多く降雪の心配もあり、安全を考えて高松自動車道を選択した。
本当は「祖谷のかずら橋」で有名な大歩危に行ってみたかったのだが。
その機会は次に譲り、そのときには四国全体を巡りたいと思う。
 
取り敢えずドライブだ。旧道に車を進めた。吉野川は美しいと妻から聞いていたので、吉野川沿いの堤防を進んでいった。ガードレールがない道で、ハンドルを握る手に力がはいる。
確かに吉野川は美しい。河口に近いため川幅が広く、水量も豊かで、しかもブルーに染まった水面は美しいの一言だ。運転に集中している私は写真を撮る余裕などなく、お見せ出来ないのが残念だ。

10kmほど進んだ所で堤防を右折し、川北街道を鳴門方面に進み、お遍路で知られている四国八十八箇所霊場 一番寺 竺和山 一乗院 霊山寺にお参りした。
お遍路の旅はここ霊山寺から始まる。
 

霊山寺の山門


霊山寺の山門


多宝塔

霊山寺は資料によると弘仁6年(西暦815年)行基により開創されたという。
その後、幾たびかの災禍にあい大半焼失したが、多宝塔だけは焼失を免れ、
応永年間(約600年程前)に建造された多宝塔が最古の建物となっている。


霊山寺にお参りした後、鳴門市に向かい「鳴門の渦潮」を見学することにした。
大鳴門橋の手前の鳴門公園の駐車場に車を停め、徒歩で大鳴門橋を臨める場所に移動した。
 



大鳴門橋


大鳴門橋付近の風景 絵葉書のように美しい

そして、大鳴門橋架橋記念館エディというミュージアムを見学した後、いよいよ渦潮を臨める大鳴門橋の下部にある専用通路を進んでいった。
既に沢山の人が入場している。外国からの観光客も多い。
(ここでカメラのバッテリーが切れる スマホに引継ぎ‼)
 
通路は横風が強く吹き込む。私達はコートのフードに顔を包み見学スポットに向かった。
途中、休憩場所があり、また下が見えるガラス張りの箇所もあり、周囲の景色を楽しむこともできるなど様々な工夫が施されている。
 
肝心の潮の流れであるが、中潮ということで大きな渦は望めないかもしれないと聞いていたが、自然現象なのでこればかりは何とも言えないとのこと。
ピークの時間帯の3時頃に現場に到着した。


鳴門の渦潮 大潮のときは潮の流れが更に
速くなり、渦潮も深くなるとのこと

右回りに少し渦巻いているのが確認できる。
深い渦とはならなかったが、直接見たのは初めてで、
とても良い経験となった。
私達は施設の観光売店で徳島土産を買い、
宿泊地である新居浜に向け車を進めた。
 
…続く

いいなと思ったら応援しよう!

夢一文
私が書く文章は、自分の体験談だったり、完全な創作だったり、また、文章体も記事内容によって変わります。文法メチャメチャですので、読みづらいこともあると思いますが、お許し下さい。暇つぶし程度にお読み下さい。今後とも、よろしくお願いいたします。