「僕の手を売ります」は生きづらい世の中の生きる術を教えてくれる
プライムビデオで「僕の手を売ります」というドラマが配信されている。17日から関西テレビでも放送される。借金を背負った就職氷河期世代の45歳の男性が、いろんなアルバイトをしながら全国を回る。
オダギリジョーが演じる主人公の大桑北郎は、押しが弱く人に利用されることが多いが、「プロアルバイター」と呼ばれるほどの手先の器用さで日銭を稼ぎ、借金を少しずつ返していく。
全国各地をバイトしながら回る中で、大桑は人たちと出会う。生徒に手を出したために免職されたスナックのママ、非常勤の大学講師、公務員試験に落ち続けている若者・・・。いずれも社会の主流から外れている人たちだ。全員が大桑と会って何かが変わるわけではないが、大桑と会話を交わし、行動を共にすることで前向きに生きていく。
大桑自身、アルバイトで生計を立てている非正規労働者。それでも借金を背負いながらではあるが、悲壮感はない。それは組織に縛られない自由が彼にはあるからだろう。そして、日々の生きづらさを抱える人々は、彼の生き方にうらやましさを感じる。番組中、ある若者に「誰もが大桑さんのようには生きられない」と言わしめるほどだ。
大桑は終盤で、「苦しいのは僕も同じ。でも、嫌なら逃げればいい」と漏らす。手垢にまみれた言葉ではあるが、全国を楽しそうにひょうひょうと回る大桑が言うと説得力がある。大桑は持参した食材を器用に調理して、おいしそうなご飯を食べる。「コンビニ飯」を口にすることは決してない。
そんな大桑の姿を見ていて、会社員も同じ心持ちでいられるのではないかと思った。全国を転々とし、その土地土地で人と親しい関係を築く大桑は、転勤族のサラリーマンと似ている。地域の人々と深く交わることはなく、いずれはその土地を離れるが、それまではその土地をそれなりに楽しむ。
組織にいれば、苦しく、不安なことだらけ。視野狭窄になり、目の前のことが重大事に思え、それに縛られて思い悩む。しかし、ふと冷静に考えれば自分を追い込んでまで考える必要はない。当たり前のことではあるが、忘れがちなことではある。
劇中、身分が不安定なために上司に従順だった女性大学講師は、大桑と会ったことで、自分の人生を変えていく。会社員には、嫌気がさせば部署を変えればいいというメリットがある。逃げ続ける先に何があるかは分からないが、自分らしさを失わなければ何とか生きていける。大桑のように、たくましい妻子がいればなお心強い。
就職氷河期世代の自分たちは、就職が難しかったためか、持ち場で踏ん張らないといけないと思いがちだ。しかし、同じ世代の大桑を見ていて、肩の力が抜けた。「僕の手を売ります」はシーズン1と銘打っている。ラストで「自分のことを後回しにし続けてきた」大桑が報われるが、続編を期待したい。