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釧路旅行記
はじめに
昨年の5月、釧路市に行った。釧路市は北海道の東部に位置する港街である。特に目的はなく、ただ遠い昔に住んでいたことがあるというのが理由だった。
釧路市(くしろし)は、北海道東部(道東地方)の太平洋沿岸にある市。釧路総合振興局の振興局所在地。計量特定市に指定されている。
私は4歳位のころ、釧路に2年ほど住んでいた。「住んでいた」と言っても、実際にはほとんど記憶はなく、わずかに断片的な記憶が数片ある程度で、それも後から親の話を聞いたりして構成されたものかもしれないほどに曖昧なイメージだ。
冬の朝、家の前の凍った坂を下って幼稚園に行くときに、滑らないように必死になったこと、幼稚園でのお泊まり会、近所の公園で大きな犬に追いかけられたこと……。後述するが、昨年かつて住んでいた場所に行ってみたら、家から幼稚園への道は坂と呼べるほどの傾きがなく、あの記憶は何だったのだろうかとなった。一つが怪しければ、残りもあまり信用できるものではない。
私にとって釧路は長らく「行こうと思えば行ける、いつか行こうと思っている場所」だった。20年近く札幌に住んでいたので、まとまった時間を取ればいつでも行けたのだが結局行かなかった。もう一箇所、同じような場所として名古屋があるのだが、名古屋は色々複雑な思い出があってそうなっているのに対して、釧路はそもそも思い出と呼べるようなものはほとんどない。だから行かなかった理由は未だにわかっていない。
今回行ったのは、上海への移住を控えて、今行かなければもう行く機会はないだろうと思ったのと、仮に別の機会に行くとしたら多分妻と2人でいくことになるので、それは避けたかったからだ(実際、今年の一時帰国で行くことになった)。なんとなく、一人で行きたかったのだ。
1日目
札幌→釧路
札幌から釧路へは都市間高速バスを利用した。所要時間は約5時間30分。7時40分に出て、13時過ぎに着いた。
他の移動手段には、鉄道、自動車、飛行機(新千歳空港ではなく、札幌市内にある丘珠空港から出ている)がある。バスを選んだのは、バスの車窓からの眺めが好きだからというのもあるが、移動に少し時間をかけたかったからだ。30数年ぶりの地に、少し緊張していたのかもしれない。
残念ながらほとんどの時間は高速道路を走っていたので、景色はあまり楽しめなかったが、ひたすら山の中を走っていると思ったら、唐突に現れたツインタワーには驚かされた。宗教施設かと思ってあとで調べたら星野リゾートの施設だった。
駅前の散策
終点の釧路駅バスターミナルで降りる。駅のすぐ横なので駅が最初に目に入るのだが、この駅の記憶は私にはない。幼い弟がいたので、恐らく鉄道を利用した移動はほとんどしなかったのではないかと思う。鉄道で気軽に行ける距離に、釧路よりも栄えている場所もないので、買い物で利用するということもなかっただろう。帯広に行くのだって1時間半以上かかる。
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人はまばらだった。写真は無いが、この駅の前から幣前橋まで広い直線道路(北大通)がある。その道路沿いの、駅に近い建物は空き物件になっていた。後日母に聞いたが、私が住んでいた1990年前後にはすでに人が少なかったと言っていた。
人口はかつて札幌市、旭川市、函館市に次ぐ道内4位であったが、1984年以降は減少が激しく、2022年現在は苫小牧市、帯広市に抜かれ6位である。
人口と世帯数の推移のグラフを見てみると、たしかに84年以降の人口減少が激しい。ただ、母の記憶にある釧路と、私が訪れた釧路とでは、数万人の人口の違いがある。しかも、2005年に阿寒町、音別町と合併しているので、旧釧路市としての人口はもっと減っているのだと思う。
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駅にはかつてデパートがあったらしいのだが、2004年に閉店している。駅の地下道にはその名残が残っていた。私には当然記憶がない。ただ、祖父母が来た時に、当時幼稚園で流行っていたぷっくりシールを買ってもらった記憶があるのだが、恐らくここに来たのではないかと思う。ちなみに、祖父母が来たのは弟が生まれるからその手伝いだったのだが、私は当時シールの話ばかりをしていたと、だいぶあとに母に言われた。
駅を向かって右側にブラブラしていると、歩道橋があったのでそれを渡って線路の反対側に向かった。この反対側の地域は全く知らなかった。当時私は幣舞橋を渡った南側に住んでいたのもあるが、帰ってから父に聞いたら父もほとんど記憶にないと言っていた。駅にデパートがあり、繁華街も南側にあるので、あまり用事がなかったのかもしれない。
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歩道橋を降りて左に行くと、鉄北センターという飲み屋が連なった小さなアーケードがあった。(写真は撮り忘れた)
開いている店があったらご飯を食べようかと思ったのだが、ほとんどは閉まっており、1軒だけ扉を薄く開けていて、その前に黒猫が寝転んでいる店があったが入らなかった。ここの写真も父に見せたのだが、やはり覚えていないとのことだった。
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ぶらぶらしている内にチェックインの時間になったので、一旦ホテルにチェックインした。ホテルは駅の南側で、歩いて10分ほどのところ。昼食は結局コンビニで買った。
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正直この時点で結構疲れていたのでもう休もうかと思ったが、流石に1時間半の散策で終わらせては5時間半のバス移動(帰りもバスなので計11時間)に見合わないので、しばらくテレビでローカル番組を見てから、以前住んでいたという場所に行くことにした。
幣舞橋、春採湖
一休みしてからホテルを出て幣舞橋に向かった。幣舞橋は北海道の三大名橋(他は札幌の豊平橋と旭川の旭橋)らしい(今知った)。確かにきれいな橋だった。
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釧路を代表する観光スポットの一つ、北海道三大名橋の1つとしても知られ、橋上には四季を表現したブロンズ像が設置されています。記念写真の撮影スポットでとして、また近年では夕日の撮影スポットとしても知られています。(所要時間15分)
この近くに「フィッシャーマンズワーフMOO」という建物がある。高台からこれを見下ろしていた記憶があったのだが、どうもそれは実際に見た記憶ではなく、ニュースの映像だったような気もする。釧路で地震があると、MOOを見下ろすカメラの映像がよく流れるから、それを実際に見たと思い込んでいたのだ。
幣舞橋を渡ると花時計がある。これも記憶にあるのだが、ニュースでもよく流れるため、この記憶も後年見た映像のものかもしれない……。
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花時計の下の道を登っていくと、当時住んでいた場所の近くにつく。つくのだが、そこから先がわからなかった。当時住んでいたのは、すでに古くなっていた平屋の一軒家だった。たしか同じ形の家が4つくらいまとまって建てられていたと思う。しかし、それはすでに無くなっている。また、近所に幼稚園があったのだが、それもバスの中で調べたら遠くに移転していて目印にならない。
ちょうど小学校の下校時間だったようで、小学生が歩く道をうろうろするのもためらわれたが、そういえば家の横が小学校だったことを思い出したので、子どもたちと逆の方向に足を向けた。小学校はすぐに見つかったて、かつての住居の場所もわかった。写真はグラウンドだが、おそらく校舎とグラウンドの場所が30年の間に入れ替わっているのではないかと思う。私の記憶のなかでは、家のすぐ横に校舎があったからだ。
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2枚目の写真の右側にあるグラウンドの入り口のすぐ近くに校舎があったと記憶している。ただ、当時はもっと木が生えていた気がするので、これも記憶違いかもしれない。
左側に写っている、窓に板を貼られた建物が、住んでいた頃にあったものなのかどうかも全く覚えていない。ちなみに家の跡地には立派な一軒家が建っていた。
このタイミングで霧が出始めた。珍しいと思ったが、釧路は霧の街と言われているらしい。私はそんなことも知らなかった。
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上のグラフによると、釧路は、札幌・東京と比べ、非常に多く霧が観測されています。 特に6・7・8月は、月の半分くらいの日で霧が観測されています。 これをみても釧路は、いかに霧が多く発生しているか分かるでしょう。
30年ぶりに訪れた場所で霧に包まれると、いささか不思議な心持ちになる。半分冗談で、このまま帰れなくなるんじゃないかと思った。写真では分かりづらいが、結構濃い霧だった。
家はすでになかったが、かすかに記憶にある公園(遊園だったが)は残っていた。記憶の中では広い公園で、ここで大きな犬に追いかけられたと思っていが、公園は小さかった。犬も小さかったのかもしれない。
(Googleマップでは「浦見公園」となっていたので市の公園条例施行規則を見たら「浦見公園」となっていた。供用開始は昭和50年4月1日。途中で名前が変わったのだろうか……)
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霧の中を適当に道なりに歩いていると海に出た。車は走っているが、歩いている人はいない。
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引き返そうかとも思ったが、ここまで歩いてまだ1時間も経っていないので、ブラブラしていると春採湖という湖に出た。ここのことも全く覚えていない。
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春採湖は周囲約5kmの天然湖で、釧路市の中心部近くにあります。赤いフナ「ヒブナ」が生息することで全国的に知られ、1937(昭和12)年に「春採湖ヒブナ生息地」として国の天然記念物に指定されています。
周辺は住宅地となっていますが、湖畔には、雑木林、草原、ヨシ原などが自然に近い形で残っており、野鳥たちにとっては貴重な生息場所となっています。ことに、1975(昭和50)年に日本では冬鳥であるホシハジロが繁殖していることが発見されると、日本唯一の繁殖地として全国区の知名度となりました。
歩道が整備されていて、歩いて一周1時間30分程度ということだったので一周してから帰ることにした。したのだが、歩きはじめて10分くらいで人の気配が全くなくなり、キタキツネに遭遇した。
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この辺で思ったのが、熊がいるんじゃないかということだった。写真の道は舗装されているが、この先はちょっとした上りになって、その後は湖の間近の未舗装の小道、人とすれ違うのがやっとの幅の土の道になる。1/4ほど行ったところで人とすれ違ったのは驚いた。このとき私は黒い和風の薄手のコートという場違いな格好だったので、向こうも驚いたと思う。
結局、半分歩いたところで疲れてしまったので水分補給をしてホテルに帰ることにした。調べると歩いて50分、バスもあるようだが歩くことにした。疲れていたので写真は撮らなかった。
一旦ホテルに戻ってから末広町をブラブラして「居酒屋のら」さんに行った。事前に調べていた何店かのうちで、一番入りやすそうだったから。
店に入ると女将さんが一人で、お客さんはいなかった。紹介では親子でやっていて、息子さんが唎酒師だという話だったが、その日はお休みだったようで、今日はいないけど大丈夫かと聞かれた。私は別に変わった日本酒が飲みたかったわけではないのでそのまま座って料理を注文した。釧路の地酒を頼んだら、観光客だとすぐにバレてしまった。
料理はどれも美味しかった。おすすめだというエビシュウマイはクリーミーで食べたことのない美味しさだった。なぜか島らっきょを進められたので、食べてみたらそれも美味しかった(分量が多いから半分にして出してくれた)。結局私以外にお客さんは来なかったので、開店の6時から8時まで女将さんと終始会話をしていた。話の中で女将さんが私の母より一歳年上だということがわかった。
帰りしなにまた来ると約束したのだが(私はこのとき、この店にもう一度行きたいので、8月に再度釧路を再訪しようと思っていた)、それはまだ果たせていない。
もう一軒行こうかと末広町をぶらぶらしたが、結局ホテルに帰った。夜も霧が出ていた。
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2日目
街を散策
2日目は午後のバスで帰る予定だったので、ホテルをチェックアウトした後に再び街をぶらぶらした。そう広い街ではないので、前日と同じような場所を、別の道を通って歩いた。
末広町の中心部に「閉鎖」されたショッピングモールがある。丸三鶴屋というデパートの本館の新館だった建物で、商業施設として使用する予定だったが頓挫し、改装したのに使用されていないらしい。
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kuteプロジェクト - 当初、丸井今井旧釧路店本館(旧丸三鶴屋新館)建物を買収した不動産会社ノースキャピタルが総合コンサルタント会社株式会社アラ(本社:札幌市)に再開発を外部委託、商業施設「kute(キュート)」として計画を推し進めた。屋上立体看板や外壁塗装の塗り替えもほぼ終わらせ、開店目前であったが、キーテナントのひとつとして入居予定であった家電量販店が参入見合わせを申し入れたのを契機に頓挫したままになっている。
川岸にも閉鎖されたホテルがあった。改装中なのかどうかは分からない。
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昼に行きたい店があったので、開店時間まで前夜にぶらついた川岸を歩いた。
今回の旅行で、記憶にあった場所は浦見公園くらいしかなかった。浦見公園にしても懐かしいという感じはなかった。ただ、具体的ではないイメージあるいは雰囲気を、私は確かに知っていたような気はしていた。それは思い込みなのかもしれないし、私はこの街を知っていると思いたかっただけなのかもしれない。釧路の雰囲気は都会に比べればゆっくりとしていた。でも30年も変わらないわけがない。もちろん、私には変わったとも変わっていないと言う、知見も権利もないのだが。
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幼い私はかつて、ここで今の私くらいの年齢の父と母と暮らしていたのだ。これは記憶というよりは文字情報と断片的な映像の知識でしかない。ほとんどの記憶もやがてそうなり、私が死ねば行政に残る記録だけになるだろう。記録になることも、そしていずれ記録すらなくなることも別にどうでもいいことだが、とはいえ生きているうちは、ほんの少しでも生きた記憶として残しておきたい気もする。再訪するということは、多分そうしたものなのだろう。一方で、かつての記憶は上書きされて別のものになってしまう。先になぜ長い間訪れなかったのかわからないと書いたが、もしかしたら私は記憶を上書きしたくないとも思っていたのかもしれない。
昼食
そうこうしている内に時間になったので、カレーを食べに行った。帯広を中心としたローカルチェーン店「カレーショップインデアン」である。
駅から少し離れたスーパーに併設されていた。ここはルーの種類と具が選べるので結構楽しく、またカレーは美味しかった。ちなみに持ち帰りもできるのだが、鍋を持参するとそこに入れてくれるらしい。
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そんなこんなで街をもうしばらくぶらついてから、バスで札幌に帰った。
おわり
今回書いた旅行は1年以上前のものである。だからすでに忘れてしまってることもたくさんあると思う。こういう形で発信するということは考えていなかったから、写真もあまり撮っていない。とはいえ、別段トラブルも事件もなかったので、おおよそ行ったところもやったことも思ったことも、上記の通りだと思う。
私にとっての釧路は、幼い頃に住んだ場所というより、この旅行の場所になった。気軽に行ける旅行地になった(気軽に行けるほど近い場所ではないが)。静かで、夏でも涼しく、冬は寒いが雪がそれほど多い訳では無い。食べ物も美味しいし、少し足を伸ばせば湖や湿原などの自然が楽しめる。道東最大の都市である帯広も遠くない。
何度行く機会が持てるかわからないが、時折訪れたいと思う。