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故中川昭一大臣:酩酊会見(当時)の真実?

(※こちらの情報は全てSNS上の情報に基づく、個人的な見解となります。)


中川元大臣は、亡くなる直前の酩酊会見が印象的な大臣であったが、そんな酩酊の裏側にあった事情について興味深い動画が流れていたので共有したい。

(以下動画内容)

●伊藤貫(米国政治の専門家):彼は亡くなってしまったからもう言いますけど、彼は核武装論者だった。二人で飯を食べたら、やはり一番反対して圧力をかけてくるのは、米国、中国だろうという話をしたところ彼はニヤニヤ笑い、「お互い米国と中国に殺されないよう用心しようぜ」と言っていた。彼は腰が据わっていた。ほとんどの日本の政治家にそのような人はいない。


●田村秀男(産経新聞特別記者)
彼はまだ「日本はアメリカのキャッシュ・ディスペンサーではない」と言っていた。ちょうどリーマンショックの後でアメリカのアキレスけんをついていた。


●鈴木教授(東京大学)
勇気を出して、米と乳製品を海外に援助することを米国の反対を押し切ってやった大臣がいた。それが中川農水大臣だった。


●日米経済戦争について:
当時財務大臣・金融大臣だった中川大臣は、ローマで行われた中央銀行総裁会議に出席していた。会議終了後の記者会見では、大臣は朦朧としたロレツが回らない感じで、その後世界各国から酒に酔った記者会見だったのでは?と非難を浴び、その後辞任した。その後衆議院選挙で落選し、失意の内に、10/4にこの世を去ったが、その酩酊記者会見の背後には何があったのか。


父を議員に持つ中川昭一氏は、麻布中学、東京大学を出て、日本興業銀行に勤務。その後衆議院議員だった父の支援を受け、北海道から出馬し、初当選。小渕内閣で農林水産大臣に。その後、農林大臣、財務大臣、金融改革大臣等を歴任し、靖国に毎年参拝し、日本の核武装を支持してきた人物で知られる。安倍総理からも兄貴分として親しまれていた。アメリカに「ノー」を言える数少ない政治家として、国民の支持を集めていた


【リーマンショック後の米国の要求】
リーマンショック時、麻生太郎内閣で、金融担当大臣を務めていた。リーマンショックは欧米のDS(ディープステート)が日本の金融資産を強奪するための金融倒産だと考えているが、その後、米が日本に、経済援助を求めてきた。これに対し、中川大臣は「日本は米国のATMではない」と威喝し、と援助を拒否した。


それならば、、と米国は今度は国際通貨基金(IMF)を通じ、リーマンショックで経済崩壊した発展途上国に対する援助で、1千億ドルの拠出金を日本に求めてきた。


リーマンショックで日本も大変な中、色々と考えた末、中川大臣は、全ての要求を満たす妙案を思いついた。それはIMFにドルを拠出する代わりに、日本が持っている米国債を拠出するという案。




当時の日本は500兆円ものアメリカ国際を抱え、売ることもできず、実質塩漬けになっていたので、これを約1千億ドル(約10兆円分)をIMFに拠出し、各国はこれを借入て担保にしてドルを借りれば、1千億ドル援助したのと同じ効果が得られる。



日本としては、塩漬けになっている米国債を使うことで、1円を出すこともなく、発展途上国への支援ができる。更に貸し出し手数料をとることで、日本に利益が入ってくる。



2008年10月に東京で行われたG7中央銀行総裁会議にて、中川大臣は、IMFに緊急拠出制度を設け、そこに各国が米国国際を拠出して、途上国の救済を行うこと(中川構想)を提案した。


これはG7で大歓迎され、その後、世界中の各国がこれを採用した。特にブラジルを中心とする中南米国はこれを大歓迎し、採用を発表。IMFもこれを歓迎し、早速日本から1千億ドルの米国債が拠出された。


これにより、IMFにより、ウクライナ、ベラルーシ、パキスタンが救済されている。これにより中川構想は世界中から賞賛された。


各国で使い道がない米国国債を使って発展途上国を救済する中川構想は、実質的に新たな支出無しで発展途上国を支援できる夢のような政策。これにより世界の197か国中195か国は大きな利益を得た。


ただ、1国、不利益を被る国があった。それが米国だ。


米国内にはこれといった産業はない。色々な取引(取引、海外送金等)に強制的にドルを使わせ、取得したドルで米国債を買わせて、ドルを米国内に還流させ、それで繁栄を謳歌している。



各国が経済活動を行うたびに、ドルがアメリカ国内にたまり、各国には米国債がたまっていく。この米国債を売ろうとすると、米軍が攻めてきて潰される。


つまり、各国が使い道のない米国債を保有しておくことで、米国内に富が蓄積されていく仕組み。


この米国債をIMF拠出という形で使われたらどうなるのか?


援助を受けた国は、アメリカ国際を担保にドルを借りる。この時点でドルは米国から各国に逆流していく。被援助国は米国債を手放すだけ。そうすると、米国債が米に戻り、ドルが各国に渡る。


これを世界中の国が一気にやったら、米国からドルが一気に流出し、米経済は一瞬にして崩壊する。



中川構想は、米国からドルを逆流させ、米国に国債を戻す。つまり、米国による各国からの富の強奪をキャンセルし、アメリカが奪った富を各国に戻す強力な武器となる。


米DSに言わせると、中川構想が実現されたら、せっかく自分たちが各国から強奪した富が、各国に返還されてしまう、といったものだった。


中川構想発表後、しばらく様子見をしていた米国DSだったが、その後これが世界中から賞賛され、ブラジル、ロシア、インドがこれに追随しようとしていたため、素早く動いた。



【朦朧記者会見の真実】

アメリカの金融システムの元締め、日本世銀総裁のロバート・ゼーリックが日本のDS工作員に命じ、中川昭一大臣の失脚工作を行わせた。


2009年2月14日、ローマで行われた財務大臣・中央銀行総裁会議。午前中、中川大臣は、G7各国に、「中川構想」への協力を呼び掛け、大成功だった。


その後良い気分のまま、気心の知れた仲間内で宿泊先のウェスティン・エクシェル・シオール・ローマホテル1Fのレストラン「ドネイ」でランチ。このランチ同席者は、麻布高校の同級生で財務省玉木国際局長(当時)と読売新聞の政治部記者の越前谷知子氏。


中川氏がトイレにいった隙に越前谷氏が中川大臣のワインに睡眠薬を入れたのではないかと見られている。これにより中川氏は強力な眠りに襲われたが、そのまま午後の記者会見に臨んだ。


その時、記者会見に同席したのが財務省の篠原財務官(当時)。この記者会見はそもそも財務大臣が同席する必要がなかったが、あえてふらふらになった中川大臣を同席させたとみられている。これにより朦朧記者会見となり、中川大臣は辞任に追い込まれた。


その後(中川氏逝去の後)、

米DSの画策により、すぐに中川構想は白紙撤回となった。IMFに米国債を拠出することは禁止され、各国は今まで通り、ドルを拠出しなければならなくなった。



これによりドルの逆流は止まり、米経済と米DSは引き続き、安泰となった。

中川構想は、当時誰も思いつかなかった画期的な構想だった。DSを一気に瓦解させる方法を考え実行した中川氏はDSの手により、葬られてしまい、構想は白紙化された。

(以上)



・・・本気で日本のことを考え、命をかけて戦っていた大臣との印象を受けた。


世界経済やドルを巡る不都合な真実、。そこを逆に利用し、この問題を解決しようとした人物。その人物が、それにより不都合を被る勢力により消されてしまったのだろうか、。


・・日本として、非常に惜しい人材を亡くしたように思われるのは私だけだろうか?



中川氏のご冥福をお祈り申し上げる。


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