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偉い人=素晴らしい人?

仕事中、ふっと沸いてきた「偉い人」という単語。

ちょっと勝手に考えてみた。

「偉い人」って「偉くなりたい」からそもそも「偉く」なるのよね。
そこまで到達するガッツとかは確かにすごいとは思うけど、憧れるような
「素晴らしい人」とか
「素敵な人」とか
「いい人」
とはまた違う話。

能力があるにしても、その能力って
「這い上がる能力」
「負けず嫌いな能力」
「へこたれない体力」
とか。
ガッツがある人って、こんな感じよね。

だから無名で、人の下で、コツコツと目立たない仕事してる人たちは、決して「できない人」なのではない。

「みんなと上手くやる能力」
「人に譲る優しさ」
「自分ができる範囲を自分でわかってコントロールできる能力」
とかを持ってるわけ。

そして、そっちの方が「自分らしい」から、そこにいるだけ。

「そこにいたい」の方向性が違うだけで、能力に差はない。


…と思うんだけど、「偉い人」はとにかくガッツがあるから、そして、それをどうにかして証明したいし、正しいと思いたいし、見せつけたい。
体力もあるから。

私は、オレは、こんなにも頑張ったんだぞ!
こんなにも頑張ってるんだぞ!
どうだ、すごいだろ!!


…確かにすごいです。

コツコツ目立たない、大人しい人たちは、思慮深いから、
「そうですね〜、すごいですね〜。わー、パチパチ(拍手)」
なんて、おだてちゃう。


この世のヒエラルキーは、意外とシンプルな気がしてきた。


じゃあ、給料の差って、一体何なのだろう。


大変な仕事だから給料が高いのは、果たして本当にそうなのか?
ただ、生まれてきて趣味嗜好が違うだけで、内向的で静かに生きていきたいだけなのに、そういう人たちがやっている事務的仕事はなぜかあまり能力があるとは見なされない。
誰にでもできる仕事だと勝手に結論付けられたりして。
なんなら、「あの人何やってるかわかんない」なんて言われたりして。

でも、今まで生きてきて、ガッツのある「偉い人」たちと仕事してきて思う。

この人たち、事務的仕事苦手だし、できない。
書類1つ作れず、PCも触れずにあたふた。
…。



ただ向いてる能力が違うだけなのに。
性格が違うだけなのに。



ゼロ→1を作り出すのは評価されて
1→2を作り出すこととか、
2を維持することとかは評価されないのか。


前に行くことだけが評価されて、
維持することとか守ることとか、
支えることは評価されないのか。


仕事中、頭の中でぐるぐる…。


でも、そういう人たちは決して表には出さずに、
きっと今日も「偉い人」のサポートをしているんだろうな。



笑顔で。




もし今、一生懸命頑張ってるのに報われないと感じてる人がいたら、これだけは言いたい。



あなたは、本当によくやってる!

あなたを褒めてあげて!

あなたが悪いから今の場所にいるんじゃないのよ。

あなたができないから今の場所にいるんじゃないのよ。



ただ、やりたかったら続けて。

違和感があるなら、決して無理だけはしないで。

無理してまでやる必要はないから。


✻✻✻✻✻

自分に宛てて書いてみたつもりだけど、
きっと誰か一人でも同じこと思ってる人がいて、
この文章を読んで
辛い気持ちを思い出させてしまうかもしれないけれど、
「ひとりじゃない」
ってことに気付いてくれたら。

そして、
「とりあえず明日またやってみようかな」
と思ってくれたら。

私はこの愚痴を書き殴った甲斐があるというものです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

今日も明日も、良い1日になりますように☺

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