かなしいベーコンと4つの卵
時々、目にするかなしいベーコン。
ドイツでそれは失恋の悲しみからドカ食いをしてしまってついた脂肪のことを指すらしい。
とはいえ、私は失恋の悲しみから痩せてしまった。鏡にうつる身体は、痩せて肋(あばら)が浮き出てしまっている。鎖骨の下に幾筋も見える骨は巨大な白い蜘蛛が長い脚を伸ばして私の胸にしがみついているように見えた。少し身体を捩るだけで肋の一番下の骨の窪みが飛び出して影をつくった。その窪みには、何かを置けそうだった。片方だけになったピアス。小さな鳥の置物、卵の殻を3つか4つ。痩せた指から滑り落ちるようになって消えていった指輪たち。
かなり痩せてしまった肉体は弱くなった。脂肪だけでなく、恋と一緒に身体から私を動かしていたものも抜け落ちたようで、何をしていても気持ちが妙に軽くてスカスカで遠くてぼやけて虚しくなった。血液や体液が巡っている感覚が弱くなって目の下に隈も出来た。友達の笑い声も音楽も遠くなった。夜は眠れずに、かといって何かに取り掛かる意欲もなくて、本当は読みたい本の背表紙を眺めながら、見るでもなくあの人の存在しない場所を慎重に選んだスマホの画面を滑らせた。
秋が来ても、食欲は戻らず、昨年着ていた服はワンサイズ大きいものを求めたようにゆるくなってシルエットが変わった。
でも、もう涙はでなかった。だから、悲しいことに気がつかなかった。それは、内側に溜まって私の駄目さ加減をちくちく笑っていた。
あの人以外じゃ駄目なんだけど。
多分、それを周りに話したら、鼻で笑われる。
本当はそうじゃないんだよ?
それを、みんな知っている。
私はまだ知らない
知りたくない現実だった。
受け入れられないで、ほんの少しの可能性にかけて、このぐずぐずしている時間に留まっていたかった。
よくある失恋で、痩せてしまった。
身体からあの人と水分が抜けて枯れてしまった。
夜、一人で部屋にいると
世の中が砂漠みたいになって
そこに私は一人でいる
どこまでも歩いて行けば
またどこかにあの人がいるかも。
でも、他の誰かと笑っていたら吐血して死ぬ
心臓はまだ動いている
だから、明日のことを想像しよう。
私は朝になったら、フライパンでベーコンを焼いて卵も落とす。バナナも食べる。牛乳も飲む。プロテインも飲む。サプリメントも飲む。太陽の光も飲む。空気も飲む。ニュースも飲む。メッセージも飲む。水も飲む。10月の私のことも飲み込んで
よくわからない消化機能にもまれて
排泄されたい
あの人をわたしから濾してしまって
また私だけになるには
どうしたらいいのかわからない
みっともなくて
自分の足り無さがさらに暴かれた
足りないとか努力とかではないんだよ?
友達は経験から話してくれるだろう。
足りないとかではないのを、私だってよく知っていた。合わない着火剤と花火。
導火線は違う人に繋がっている。
これは、全部、あの人は知らなくて
私の勝手な小さな世界で起きている
失恋で
私だけでも
これを、悲しいだけのことだったと思わないで、少し磨いて、後で取り出した時に光るように、なんとか濁らせずに取って置くには
どうしたらいいのか
あの人から貰った何もかも
飲み込んでわたしになったもの
それが
いつか代謝して消えていって何も感じなくなる日はくるのか。それとも消えずに留まり続けるのか
ちゃんと食べて進んでいくには?
卵は4つくらい食べて
ブロッコリーを茹でる
新しいコンシーラーを試して
身体を守るような服を着て
あの人のことを考えないように
秋の中の美しいものを数えて
それは、すべて
味のしないものだけど
味のしない世界には光も風も色もあって
それは、ほんとうにかなしい
すべてを
煮込んだスープであるのに
それはなんの味もしなかった
はやくこの状態に
飽きて
舌が耳が喜ぶ時がくるのを
私自身が望んでいない
よくある失恋で
よくあるうじうじで
みんなが呆れかえりながら
なんとなく私が戻ってくるのを待っていてくれている気配を
私は裏切って
かなしいベーコンを焼いて
卵を2つ焼いて
お皿に並べて
絵のように飾ってフォークで弄くって、それから溜息と共に飲み下した
残り2つの卵を温めて
その2つの卵から孵った鳥が
何を歌い出すのか
それを想像しながら
前髪を切って
前髪を切るように
窓を開けて
どこか他に
かなしみのベーコンを焼いた煙の立つ煙突がないか
目を凝らした
ねえ、好きな人の好きな人が自分じゃないって、かなしいね。よくある話で、こんなことに悲しむのは私が自惚れていた証拠に他ならないのかな。
それとも、あの人が素敵すぎたんでしょうかね。
素敵な人を素敵と思えた私も素敵なはず?
あの人がずっと素敵にしあわせであるのを隠れてそっと願い続けるように
私もずっと素敵にしあわせでありますように!!
でも、それって、寄り合わないメビウスの輪みたいに、そんなに綺麗でやさしいことではなかった。それは、もう閉じられた別世界のことで、私の立っているこの場所からの小さな願いは届かなくて消えていく無いも同然のことだった。
幾つかの私を好いてくれた人へした仕打ちが特大のブーメランになって頭を直撃した。届かないほうがいい願いになる時もある。原始的な惹かれ合う気持ちを読み間違えた相手にも優しくできる人は、優しいけれど、優しい人から優しさを引き出すことに慣れるような人にはなりたくなかった。
卵から孵った鳥は空を飛び回って
広い空に
永遠の8の字をかいた
時々、花を摘んでくる
私は痩せてしまって、もう少し食べないといけない。
鳥は私をよそに
元気一杯で
今では大群となって空を渦巻いて
格好のいい∞を描いて
空を飛ぶ飛行機を戸惑わせている
───一度、素敵だと思った人を素敵と思ったまま居られるのはかなり幸運なことらしいよ。それは、どちらか一方の思い込みでなくて、両方が素敵なところが内側にあったから成りうることみたいだよ。素敵な部分を握りつぶしあったり叩き潰し合ったりしてしまう恋人が、、、いるんだよ。ねえ、もっと濃い煙のたち上る煙突を僕らは見てきたよ…。それは、かなしみでなくて憎しみだった。あれは、いけない。あれは、ほんとうにかなしい匂いがした。色も濃い。あの煙は目を刺激して本当に人の胸を病ませた。
だから、君。無くした指輪をはやく見つけ出して、息が上がるくらい外を駆け回って、喉を渇かして、脚に力が入るように食べて食べて食べて、吐く息が白くなる季節が来る前に、煙突を探すのなんてやめて、鏡を見て、自分の目がまた優しくなれるように、出来ること全てをするんだよ。
冬がくれば誰の口からも白い煙が出るのが見える。それは、かなしみのベーコンを焼いた煙じゃない。憎しみを滾らせて吐き出す煙じゃない。生きていて、息をしていれば、僕らは冬の間、全員、小さな煙突で、その首の冷えないようにあたたかなマフラーをぐるぐるまいて、頭にはすてきな帽子を被るんだ。
その為に、計算して、前髪を、切ったのじゃないのかい?
と、鳥は話して、私の手首に目には見えないきれいなリボンを結んでくれた。
私は帽子を被る為に前髪を切った訳じゃなかった。出来ることがそれくらいしかなかっただけだった。あの人から見て、もう私じゃないように見せたかったのかもしれない。それは、もうよくわからない。卵を4つくらい平気で食べてしまうあの人は、元気いっぱいで、もう違うところを見ながら、ものすごくはやく歩いているから、前髪だとかおでことか私とか、そういうものは、、、もう見えないところにいると思う。
彼のことを考えてしまいそうな時はこのリボンをみなよね。鳥は言った。
君が可愛くていい奴なことを忘れそうになる度に、このリボンは君が悔しくなる位、素敵に変わっていくから君はきっとそれに寄っていくよ。それを追っていくよ。君らはなんやかんやいって、ねえ、素敵な物が好きでそのパワーには抗えなくて、ねえ、そうやって遊んでいる内に、君はきっと元気が出てきて、なにをしたいか、すべきか、できるか、試したくなる。そういう自分が戻ってきて、そうしたら、今度は、情熱を燃やす煙突主を探すようになって、そこへ駆けていく為の合う靴も欲しくなって、やりたいことのためにまたきっちり眠って、食べて、自分を悲しませる人には目もくれないで、好きなように進んでいって笑い出すに違いないんだから、、、。だれもいない砂漠からはやく戻ってきて、美味しいものを食べて、また瞼の上に虹を作ったり、唇に歌を乗せたり、元気に舌を光らせて、もう食べもしない卵を焼いたり、味のしないベーコンを焼いたりするのはやめなよね?
鳥はそういってリボンを結んでくれた。
確かにそれはきれいで
今日の私には空色に見えた。その色の中を小さな鳥たちがさえずりながら飛びまわっていた。その空の下にあの人がいるような気がして、まだ、駄目みたい、と私は溜息をついて、鳥はそんな私を見て面白そうに笑って、私の残してしまったパンをついばんだ。
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