透明なカーテンとアーティチョーク

※不快な表現、暴力的な表現が含まれています。苦手な方はご注意下さい。



「透明なカーテンが欲しいな」と言ったら「それ意味ないじゃん」と間髪入れずに友達は答えた。

もう一人の子は「それわかるわ」と言った。
お金持ちの子の家には水を循環させてつくる水の壁の仕切りがあった。「でも、あれはちょっと違うんだよね」と私は言った。「わかる」とその子は言った。「あれは親の風水だかなんだかだから」。時々うざいよ、とその子は言った。

「いや、そういうことでもなくてさ」

私の求める理想の完璧なカーテンは水をゼラチンで固めたような柔らかく光を吸収したり反射させたりして、通す風景を全部やさしく歪ませてしまう感じなんだよね。

へえ? と言って友達は興味を失ったようだったけど、その日から私は透明なカーテンにとりつかれてしまった。

暫くしてから、もう一人の友達から連絡があって、その子は棺桶をつくるのに夢中になっている子だった。美人で細くて金回りのいい子で何をするにも臆さないタイプで沢山彼氏がいて、でも誰からも影響は受けてないぽかった。第一作目は白くて、第二作目は黒かった。他にも作品はあるんだろうけど私はその二つにしか入ったことはなかった。

「あのさ、やってみたんだけど」その子の部屋には半透明の棺桶があった。

「入ってもいいよ」とその子は言った。
だから、私は棺桶にお邪魔した。蓋が閉められると、微かにその子の付けている香水の匂いがした。ちゃんと顔の所に両開きの小窓がついていて、天井の照明と窓からの光がそのまま見えた。

「色あったほうがよくね?」とその子は言った。「そうかも」と私は言った。


私は透明なカーテンを通して何が見たいんだろ?
どこまでも続く草原? 
土からたちのぼる砂煙? 
雨の後に現れる虹みたいな? 
周りの建物に邪魔されない月? 
咲き乱れる花? 
はち切れそうな雨雲?
荒れ狂う海?

とかじゃなく。とかじゃないんだよな。
何もないのがいい。

見たいというか消したい。見たくないもの、受け入れられないもの、私をおびやかすもの、全て消した上で何が見えるのか。何があらわれるのか。それが見たい。

「小さな色がチラチラしてるのがいい」と私は言った。

それで、私は一度棺桶を出て、友達と棺桶を窓辺に引き摺っていって太陽の光をまともに浴びながら色を散らしていったけれど、何か足りなかった。

「ゆらゆらがたりないかも」私は言った。
「もっと歪んで、色が泳いでちらついて欲しい」。

「ふーん」とその子は言った。「スノードームの中の小さなラメが全部爆発しながらちらついているようなのがいい」と私はいった。
「水だね」


それで私達はホースを買ってきて、棺桶に水を注いだ。

その中に沈むとかなりよかったけれど、思った通り水位が上がると棺桶は一部が崩壊して部屋中を水浸しにした。

もう少し頑丈につくれたら

「この中に小魚を沢山いれて横たわりたい」とその子は言った。「わかる」私はいった。「黒くてひらひらしたのがよさそう」

「でも、命あるものをなおざりに扱ってるのは見たくないしやりたくないんだよね」と私はいった。でもね、思いついたらやりたくなるし、睡蓮を浮かべてどうせなら泥も敷き詰めたかった。


その後に、他の友達が波打ったガラスの板をくれた。私はそれを顔の前にかざして、やっばりこれじゃないんだよね、と言うとその子は(うるせーな)という顔をした。

樹脂で球をつくってくれた子も居て、その中に頭を突っ込むと宇宙飛行士になったような気がした。けれど、見える景色にときめきはしなかった。単純に空の水槽に投げ込まれた魚になったような気がした。度の入っていない伊達眼鏡をかけているみたいだった。
「吐くまでぐるぐるまわって見ろよ」そうしたら星がちらつくかもよと言われてやってみた。視界が回転して身体が揺らいだけど、こういうんでもないんだよね。

棺桶つくりに夢中な子がとりつかれているのは火だった。火が舐めるように拡がっていくのを体感したいらしい。

「焚き火とか花火じゃ駄目なんでしょ?」私は聞いた。「そういうんじゃない」その子は言った。

「わかる」私は言った。多分、肌の上を、眼球を、火が舐めていくのを見たいんでしょ。でも、それはちょっと危険だった。だから、本当のところ私はわかっていないに違いなかった。

もう一人の子は踊るのが好きで、子供の頃からバレエをやっていた。それで常々、私(たち)に「もっと五感を大切にして」したほうがいいよと言ってきていた。

五感ね。

その子に付き合って、某ダンススタジオの体験に行った時に目の前で背骨を折ってしまった人がいた。私まで息がとまりそうになってその時じんわりと何か黒くて怖いものに囚われてしまった。教えて貰っていたストレッチや私にとってはファッションでしかない可愛いあれやこれやは消えてしまった。その人はもうコルセットをつけてリハビリも順調でクラスに顔を見せているらしい。

夏の3週目に友達の舞台を見にいったら受付にその人がいた。明らかに身体を鍛えているのがわかる姿勢の良い人の放つ美しさは変わりなくて、一度会っただけの私を覚えてくれていて近付いてきてくれた。

それで、上着を脱いでコルセットと新しく入れたタトゥを見せてくれた。20歳になった時に入れたやつ。22歳、25歳。で、これが35歳の最新。

「35歳?」私は驚いていった。お世辞とかでなく24歳より上には見えなかった。その人は満更でもなさそうな顔をして私に身に付けていた星のピアスを片方くれた。

鈍いゴールド色のそれは素敵だった。手元にあると嬉しい。

で、最初に戻る。私はなんで透明なカーテンを欲しいと思ったのだっけ。あの子はなんで火の中に入りたがるのか。五感を大切にしてるはずのあの子が一番褒められたがりのうざい奴に成り下がるのはなぜなのか。

私たちはどでかい棺桶又は水槽を手に入れられなくて、猫脚のついた洒落たバスタブのある家の子のママが居ない日に集合して、やめればいいのにバスタブに土を敷き詰めて水草を入れて、水を注いで、それぞれが一番いいと思っている衣装を着て代わる代わるその中に沈み込んだ。後で一人は中耳炎になったし、4人とも胃の調子を悪くした。

「全然違う」はんばキレながら棺桶の子がバスタブから這い出てきて言った。私たちは泥水に塗れて笑っていた。単純に汚水に塗れるだけの糞みたいな体験になっただけだった。片付けに取り掛かる前に煙草を吸ってその子の家の火災報知器を一斉に鳴らした。機械の感度の良さに私たちはさらに笑った。

で、私たちは鳴り止まない火災報知器にうんざりして、しょうがなく全ての火災報知器を天井から取り外した。

それがいけなかった。警報が鳴らないのならば。

今度は家の中である程度の大きさの燃える火を撮りたいと棺桶の子が言った。

いいね、とその場にいた全員が賛成して、シャッターを閉めて、その子の家の一番大きいパエリアをつくる鉄製の鍋にとにかく燃えそうなものをひたすら組み上げては火をつけはじめた。空気清浄機がフル回転しはじめて壊れた。

でも、私たちはやめなかった。

ママの毛皮を燃やして、その化繊がたてる

臭い匂いに耐えきれなくなって
やっと窓をあけた。
外の空気とまだ明るい日中の太陽の光を浴びて、8月になってはじめて昼間の外の空気が美しいと思った。振り返ったら白い天井一面が煤に塗れて真っ黒になっていた。

私たちは殆ど全裸で、腕にも足にも所々火ぶくれが出来ていて、各々自分の家に帰ってシャワーを浴びて痛みを感じるまで、小さな火傷を負っていることにさえ気がつかなかった。

全部、モニターに撮られていて、後日、その子のママに呼び出されて私たちは怒られた。酒を飲んでいなかったことと「クリエイティブなことにトライしていたこと」は高評価された。煙草はやめなさいとその子のママは言った。

「ねえ、そんなに『自然』に触れたいなら、八ヶ岳の別荘に遊びにいってきたら?」その子のママは言った。キャンプファイヤーも出来るし、乗馬も出来る。川だってあるし、ギャラリーも沢山ある。ただ早朝に散策するだけでも気持ちがいいわよ? 俳優の…

シャンプーして貰うだけに毎日美容院に通うこの人の髪が逆光の中で輝いていた。基本的にこのママは優しくて理解があって、わたしたちがいい方向へ進むのを願って応援してくれている。ここにいる私たちの誰よりも綺麗な脚と髪を持っていて、ボーイフレンドも山ほどいた。ボーイフレンドと言えば、私たちは中学生の時からこのママと若い男性とのハメ撮りを見てきていた。なんで、その子が母親のそれをわざわざ私たちに見せたがったのか最初わからなかった。けど、笑うしかないよねって感じで私たちは集まれば笑いながらそれを見て過ごしてきた。情報の共有ってやつ? だから、その子のママが何か真剣な態度を持ち出して話しだすと笑ってしまう。だって4年はアレを見てきていたから。ごく普通のからすごいのまで。

「ねえ、貴女たち。大人になって」その子のママが真剣に話す度に爆笑してしまう。

だって、しょうがない。
爆笑してしまう。

大爆笑してしまう。

このママの子供であるその子はほんとは泣きたかったり怒りたかったり、ちゃんと怒られたかったりしたかったのかも。でも、私たちは爆笑するのを選んでしまってここまできていた。

とにかく、爆笑していると、(だってしょうがない。本当に彼女が真剣になればなるほど気が触れたように私たちは笑うようになってしまっていたのだから)

とにかく、爆笑していると私とその子のママの間に理想の光を含んだカーテンが降りてきて、私たちと彼女を柔らかく分断した。

私は、ああこれだったのかと幸福感に包まれてまだ肩をふるわせて笑っている友達を振り返った。

ねえ、見てよ。今、あるの見える?

これだったのよ。私は透明なカーテンを通して何か都合のいい良い景色を見たかった訳じゃないみたい。こちらの場所とあちらの舞台をね、この私の人生から拒絶することなく分け隔てたかっただけみたい。だって、私たち、このママのことそんなに嫌いじゃないじゃない? 違うの? 軽蔑しきっているの? 大嫌いなの? そっか。ならちょっと、意味合いがかわるかもね。私はほんとのところ嫌えない。拒絶するにはいいところがあり過ぎる女性だもの。しかも、実害はないんだし。
とはいえ。
(実害ってないのだろうか。ほんとうに?)

彼女たちには見えていないみたいだった。彼女たちは少ししたら、真面目な顔を取り戻してちゃんと謝まりだすと思う。私も続いて謝ると思う。それで終わり。いつも終わり。

そういう芝居、目的も意味も無い着地地点に取り敢えず降りさえすれば、何でも柔らかく許してくれる女性だった。


私達はそれぞれまた何をしたいんだっけ?というスタート地点に戻る。何かはるかかなたの上空で大きな鐘が鳴り響いて、合図を受け取ると矢が飛んでいくように何処かに進む。熱に浮かされたように。多分、気を付けていないといつか硬い何かにぶつかってぐしゃりと折れる。すでに折れてぼろぼろなのかも。

「きちんと目的を持ちなさい」ママは言った。「積み重ねることを大切にしなさい」ママは言った。「継続を…」

わかってるよ、ママさん。
でも、しょっちゅう目的とやらが溶けて腐って無くなるバカな私たちはどうしたらいいの。それに多分、私たちが本当に真剣に教えを乞いたくなった時に向き合うのはあなたではないかも。それって選べることじゃないのかもしれないけど。

それに悲しい事実がひとつ。

あなたが信じているより、ずっとバカなのよ。私たち。ほんもののバカなの。あなたはバカみたいなセックスをせっせっと撮り溜めて娘達に長年見られてるのを気がつきもしてない位のバカだったとしてもお金がある。私たち、多分、稼げないタイプのバカなのよ。

何回死ねるつもりでいるんだっていう位棺をつくって積み上げて、透明なカーテンを!とか言い出してお薬でもやってんのかと陰口を叩かれて「そうだったらいっそどんなにいいでしょうか?」って、思いながら、平気なフリして時間を無駄にしながらなんとかやり過ごしている。やり過ごしてるんじゃない人が山ほどいるのは知っている。でも、なぜだか私はそのルートに乗れなかった。積み上げるものがなくていつもやる気は空回りしてやること為すこと失敗して、びっくりするくらい無為に時間が過ぎていって、何処にもたどり着けそうになかった。

ママは火傷の跡がシミにならないか心配してくれている。私たちはいつか真っ黒に燃やされて白くなるのに。そんなことよりも心配すべきことは山積みなのに。糞の山のごとき私たちがうずたかくここに堂々と五体並んでいるのに、小っちゃな火傷が少し散ったことにしか心配がいかないなんて、私たちもあなたも一度窓の外へ突き落とされた方がいいくらいのおばかさんなんだよね。きっと。

それか、あなたは私たちのことなんて本当のところどうでもよくて、というのが本当のところだったりするのかもしれない。私も理解や励ましを目の前にいるこの女性にされたところで何にもならないと理解しはじめているし。


私は透明どころか鉄製の分厚いカーテンが降りてきて、その内側で身体を燃やして早めに死ねばいいタイプなのかもしれないと思った。棺桶はいくらでもあることなんだし。

小さな星を持っているけど、似合いそうな人がいたら私はそれをその人に捧げる。才能ある人に輝いていて欲しいから。



ママがマスカットをおやつに出してきたけれど、私たちは誰も手を伸ばさなかった。そういう行為が好きな人のそういう行為を腐るほど見てきたから、自然と「小道具」をこういう風に出されたら、こういう反応になる。ママが果物を口にする時、自然と私たちは目を背ける。

吐いちゃいそう。
どうせ吐くなら吐きかけてやりたい。
ラクダみたいに?
そう、ラクダみたいに。

いつかはね、やるかもね。


さて、
別にこれが膣から取り出された訳じゃないし? とあっさり食べられるようになる日が来るのか来ないのかわからないけど、私たちはそういう日にはコンビニに寄ってめいめい好きな飲み物を買って一口目でうがいして道に吐き出す。これを近隣の人に見咎められてママに苦情が行ったことがあった。

ねえ、さあ、でも許してよ。〇糞を口に含みたがるような女と同じ部屋の空気を吸ってきたんだから。少しは、うがいくらいさせて、私たちが気持ちの上での清潔を、清潔感を保つの位は許してよ。

それも許されないならどうしたらいいのか。

笑って馬鹿にして見下すより他に共存していくやり方を真剣に求めているのに。具体的に。我慢してやり過ごすだけでないやり方を。そんなものはないのかな? 物理的に距離をとれるようになれるまでずっと息をひそめているしかないのかな。とはいえ、共存を選択肢に入れているのは私たちの中で私だけだった。




夏の最後の週には塾でテストが重なった。私の頭を占めていたのは優しくて大きなトランポリンだった。

砂漠にある一番大きなサーカスのテントくらい大きなトランポリンは何もかもを受け入れて弾ませていた。

それを私はノートの端に書き込んで、カーテンの次はトランポリンか、と自分を悩ましく思っていた。

暫くしてから、窓から突き落とされたり落ちたりしたら、受けとめて戻す「何か」が必要だとあの時に思ったんだろうな、とぼんやり考えた。

それで、私はトランポリンは絶対に必要だと思って、トランポリンを詳しく描きはじめた。浮かんできた人を優しくキャッチする大きな手を付け足して、思い直して、誰でも好きなところへ飛んでいける羽を付け足した。羽を消して(死を連想させるから)、生き物を増やして、誰もが楽しそうな表情がいい、と思ったり、それは個人の自由だからどうでもいいと思い直したり音楽を足したり風を足したり空気を足したり体温を足したり愛を足したり希望を足したり夜を足したり光を足したりしているうちに

レモンイエローの巨大なトランポリンが頭の中に住み着いて離れなくなった。

トランポリンの上では棺桶も踊るし、負傷したバレリーナも踊った。黒くてひらひらした素敵な魚も踊っていたし、あの子のママもいたし、あのこたちもいた。

ただ、〇〇〇が忍び込んで来たら殺さなくちゃいけない。私はため息をついて、目を凝らして〇〇〇がいたら、ピンセットで摘まんで世界の外へ捨てた。

でないと夢に出てくるから。好きな人もいるんだろうと思う。けど、私は駄目だった。〇〇〇はよく夢に出てきて「悪夢をみたい」とか「はやく死にたい」みたいなたわごとをぬかす子供達を捕まえては顔面を硬いブロックで潰してから腸を駐車場にばら撒いていた。

だから、私は平和ぼけしたたわごとは口にしない。叶ってしまってもいい願いしか口にしない。巨大なトランポリンはセーフだった。

だれもの、というか私のセーフティネットになりうる格好いいトランポリンを願うのは完璧にセーフだった。沈み込んで、浮かぶのは気持ちいいに決まっていた。地面に叩き付けられるよりはいいに決まっていた。

ただ私も平気でたわごとを吐く。ついさっき叶ってもいい願いしか口にしないと言ったばかりだけど、わたしなんか死んだほうがいいとしょっちゅう考えている。空から鉄製のカーテンが降りてきて、燃やされるまでもなく首を挟まれて切断さ…


「〇〇さん、集中して?」塾の先生が言った。

集中しますとも。私は軽く頭を下げて姿勢を正して前を見た。

でも、トランポリンは消えなかった。はやくその上で弾みたくて仕方なかった。誰も地面に激突したりしなくなる。

多分、うまくなれば回転が増して、高く飛べる。高く飛べれば頭が雲を突き抜けてそこにいる雷に感電する。

「〇〇さん、集中しよう?」また声が飛んできた。

どうして集中していないのがばれるのかわからない。とにかく、透明のカーテンの次にきたのはトランポリンだった。それが今、私が必要として求めるものらしかった。

全部、空想のたわごとだった。なんでそれが必要なのかわからないことはなかった。けれど、それが必要でない人が必要だった。そんなたわごとが紛れ込む余地のない誰か。そういう私になって、そういう誰かと出会うのが必要な気がした。


トランポリンの話には意外なことに姉が飛びついた。美容にいいことは何でも好きな人だったから。次の日にはトランポリンは家にやってきて、私はときめいた。

巨大な段ボール箱から出て来たそれは、小さくて黒くて想像上の巨大なトランポリンの赤ちゃんみたいだった。多分、成長するとこの黒い毛が抜け替わってレモンイエローになる。すべすべの。

とはいえ、こういうことは姉の前では口に出さない。


レモンイエローに塗り替えてもいいかと訊くと「絶対にやめて」と姉はいった。

「余計なことはしないで」

本当にやめてよね? と姉は言った。

余計なこと。

余計なことが上手に出来て誰かを喜ばせたり心をつかむことができる人は、もうそれは余計なことじゃなくなって、、、?

私は全てが半端だから人を感動させたり喜んでもらう域には達することが出来なくて、ただ自分の初期衝動だけ満たして、、、その後、自分の幼稚さに悲しくなる。

その夜、目を閉じると巨大なトランポリンの上を無数の生き物が飛び跳ねていた。それは数が多すぎて空の星全部が集まってきたみたいな賑やかさだった。鳥の大群が空を埋め尽くすように、飛び跳ねている命は時々雲みたいになったり銀河みたいになったり、形を変えてうねっていた。

だんだんそれぞれが小さくなって塵みたいになって、でも全員が光って浮いたり沈んだり受けとめられて上がっていた。

スノーボールを振り回した後の眺めみたいだった。あのラメの一粒ひとつぶが紛れもなく生きていて紛れもなく別の感性を持っていて、全員が尊重されて、付き合いやすい距離を物理的に持てて、、、全員が安全。そんなだったらいいのに。そんなことを考えながらその夜は眠った。



次の日にバレエを習っているあの子が亡くなった。

それで、私は想像上のトランポリンは消えた。

何の役にも立たないどころか、そんなことばかり考えていた自分が恥ずかしくて仕方なくなった。恥ずかしいと感じていられるのも一瞬のことだった。ことが飲み込めてからは真っ暗になった。カーテンもトランポリンも隅の隅に押しやられて見えなくなった。

通夜には私に星の片方をくれた女性も来ていてもう一度背骨を砕かれたかのようにその場に崩れて泣いていた。

私と同じかそれ以上に参ってしまった棺桶の子は夏休みを延長していた。二週間目の土曜日に家を訪ねると一回り痩せた子は泣き出した。私も泣いた。

「脳みその一部を削りたいんだけど」その子は言った。「わかるよ」と私は言った。わかるよ。

あのスカトロ好きなママは心配して毎日来てくれているらしい。ママの持ってきてくれたらしいいちごのパックが部屋の隅に叩き付けられていた。

わかるよ。

暫くして、もう1人の友達も来た。珍しく両親に付き添って貰ってここに来た。下の階でママ達が話しているのがくぐもって聞こえた。私たちはもう今が過ぎるのを身を固くして耐えるしかなくて、ギリギリと圧縮されて涙だけしか出なくなって身が絞られるような痛みを感じていた。

優しいことや美しいことは何も浮かばなくて、あのこの代わりに死ねば良かった子の顔ばかり浮かんだ。あの子の代わりに死ぬべき人のリストは長かった。一番死ぬべき人物は勿論既にズタズタにしていた。

だからか。あたしがうそっぽくてうそっぽくてしあわせじゃないし、自分でも自分がきらいなのは。あのこのことを想像力じゃ激突から守れない。いざという時に真っ先に私の頭に浮かぶのは普段そうあって欲しいと願っている共存や協力の状態でなくて、嫌いな人を叩き潰す暗くて強い叶いそうもない願望だけだった。

「みんなそんなものよ」
「頭の中じゃ色々なことを考えるの」

「悩むのも間違えるのもその人自身の持つ自由なのよ」

「そんなものなのよ」

「でもね、愛してるものにはそんなことできないようになっているの」

あなた、好きな子にはそんなことできない。お金を積まれたってできない。そんな人がいるでしょ。それって、その子を特別に愛してるからできないんじゃない。たいして知らない人でもこの人には「そんな」酷いことはできない、そう感じさせてくれる人は沢山いるでしょ? 付き合いの長さや相互利益なんて関係ないすごく無作為に現れる気まぐれな愛なのよ。

だから自分を愛しなさい。
まず自分を信用して愛しなさい。
すべてのたわごとを無視して楽しみなさい。
他の人のことなんていいから、疲れたときは眠りなさい。

既に気に入っているものは、愛そうと思えば愛せるの。それは、ある時点からはテクニックなんだけど、テクニックでも愛と同様のことはしていけるの。

犬も子供もどんな人が好きだと思う?
大らかで明るくて安定している人が好きよ。
ずっと安定していないと駄目なの。やせ我慢でもなんでも安定を継続しないと駄目なの。それは、努力なの。わかる? 努力は愛なのよ。

あるときに理不尽に爆発(キレて)して、それでも愛しているとにじり寄ってくる人を、「現実」のあなたは受け入れなくちゃいけないと思うかもしれない。でも、子供や犬には? そんな「大人」や「飼い主」を受け入れることをあなた無理強いする? 

しないわよね。
しなくていいの。
それで、あなた。犬や子供より自由なあなた。
ちゃんと嫌なものからは逃げて好きな場所に好きな人といなさい。

いなきゃいけない場所なんかないのよ。本当に。

比較的お金持ちの
ママ達が私たちに話しかけてきて。

今日、私たちは弱り切っていて大人しく聞いていた。聞いているふりも笑い飛ばす力も無かったから母親達の言葉は直撃した。それで、沸沸とアレがはじまった。

くく
くそおんな
くそおんな
くそおんな
くそおんな
くそおんな
くそおんな
揃いもそろって
くそおんなどもが

私のいつもの抑えている怒りが沸いてきた。

→さて、問題はどこにあるのでしょう

大人が何か耳障りのいいことを
話して気持ち良くなっている

→さて、問題はどこにあるのでしょう

私のこころ?

→私がつまみ出したい〇〇〇とは何でしょう?
それは簡単
ポルノ
ポルノ
ポルノ
ポルノ
ピエロ
ピエロ
ピエロ
変質者
あいつ
おまえ


頭の中で誰かがショーをはじめれば、私はとりあえずここにいて、もうよくわからない現実のズレのつくった谷間に落ちないで居られる。司会者は私に話しかける。私しか此処に居ないから仕方なく。今日の司会者は私が大嫌いな汚いピエロだった。

→ママの口座から金を盗んで何処かに行きたいらしいですね?

そうでーす。私は答える。



わたしはずっと前から
ママの口座から
お金を盗んで何処かに消えたい
何処かに行きたいと思っていた。

ママの口座から金を引き出して家を出たい
ママの口座から金を引き出して家を出たい
ママの口座から金を引き出して家を出たい
ママの口座から金を引き出して家を出たい
ママの口座から金を引き出して家を燃やしたい
ママの口座から金を引き出して家を燃やしたい
ママのいる家を燃やしてうるさい口を塞いで燃やしたい
ママを燃やしてうるさい口を潰して燃やしたいママをうるさい燃やしてママを燃やしてママを塞いで燃やして口を燃やしてママを燃やしたい燃やしたい燃やしたいママを燃やして口を塞いで家にして金から口座を燃やしてママを引き出して口を出たいママを燃やして金を出て家を引き出して火を燃やしたい燃やしたい金を潰して燃やして家をママを燃やして口を引き出したい家から燃えてうるさい燃えて引き出したい口を潰して燃やしたい家を潰して口にママを燃えて引き出した燃やしたいうるさい潰して口はママ燃えて金は燃やしたい家が潰れてママは金の口の潰して燃える燃える燃える燃える潰して燃える口を塞いでうるさいママを燃やして金を潰して出る口を叩き潰して燃えるママを塞いで金を口座に燃やして金を出して口を燃やしたい


→ママを燃やしてもなんにもなりませんよ?

そうですね。
そうみたいですねー。
知ってます。

→でも、ずっと前からそうなんですね?

そうでーす。
そうなんでーす。

→本当に悪いのはママでなく?


私だって言いたいんだな、お前も。


司会のピエロを叩き潰すと幾分スッキリした。ここには書けないくらい丁寧に殺した。私は姿勢を正して、ママ達に学校の用意したアフターケアをきちんと受けることを約束して付き添ってくれているママ達に感謝を述べて、引き続き泣いた。スカトロ好きなママが私の背中に触れたときに(さわるんじゃねえよ)と絶叫しそうになったけど耐えれた。

後で、ママの口座から金を引き出して
ママの口座から金を引き出して。

でも

行きたいところなんて別にないんだな、これが。



ママの代わりにピエロを殺して、透明なカーテンは血塗れだった。あたしは嘘つき。自分にまで嘘を付いて、どれが嘘かも判らないバカになった。自作自演で興奮して後悔して、わたしのやる現実逃避劇は凄まじく醜くて誰にも見せられたものじゃなかった。自分自身にも見せるべきでなかった。でも、それは無限に沸いてきた。

でもね、信じられないでしょうけど、現実の私は誰も傷つけたくない。すごい平和主義者。優しくておっとりしていて、だのに頭の中は死体で一杯だった。

だから似合いもしないリボンを結ばれたのかもしれない。
頭の中が全部、出てこないようにきつくきつくふんわりと結ばれる。

頭の中は汚れて腐った肉で一杯。外は綺麗な水色で鳥が鳴いていて私には近寄りもしない。私たち三人はお揃いの黒いリボンを結ばれて、脳みその中の汚物がくびれて舌先まで這い出てきたのを素早く見せ合った。

はやくここからにげだせるように、きょうぞんととうそうどちらがいいかわたしたちなりにかんがえてきょうぞんのほうがいきのこれるかくりつがあがるとかんがえていた。小さな脳みそをかたかたならして。

あのこのパパは変質者だった。だからあの子は死んだのに目の前にいるママさん達は私たちの髪を黒いリボンで縛ることしかすることがない。


→それは事実ですか? あなたたちがそう思い込んでいるだけでなくて?

実際に彼女がそう言ったかどうかは覚えていない。


スクールカウンセラーの吉沢という女性はまだ若かった。35才より上には見えなかった。常勤のスクールカウンセラーのサポートで来た彼女は有能そうだった。

棺桶の子と私は映像を持っていた。それで、その後、きちんと物事は進んだ。

けれど、私たちは予防したかった。予防したかった。

こんなことが起きた後に動くんじゃなくて予防したかった。

本当に予防したかったから、意味はなかった。でも、しないよりましだった。

黒いリボンを結ばれた私たちは、色々大人が動いてくれたのを見届けてから、髪を切ってお墓参りに行って、(まだあの子のお骨はあの子のママの手元にあった)手なんか合わせなくて、いったいどこにいるのさ、死ぬべきはあっちだったのに、ってゲロを吐くまでそこで泣いて、帰りに自販機でウーロン茶を買ってうがいをして吐き出した。

「もし、気が触れたリスがいたら、冬に怯えて夏には発狂して、うるさいウサギと甘ったるい鳥を汚い沼の底に引きずり込んで、ささやかなだれかの小さな世界を木箱に詰め込んで蓋をして開かないコンテナに詰めて世界中の海をぐるぐるとまわる無駄な船を出航させるに違いないから、誰かとめて!!」

これがあの子の残した遺書だった。

確かに、ささやかなだれかの小さな世界はこんな風に扱われるべきではないよね。

私たちはだれかのささやかな小さな世界は守られて、混沌とした世界の中で踏み潰されたり荒らされることなく、自由に出たり入ったりして好きなだけ息づいて、大きくなったり小さくなったりすべきだと思っていた。

この「誰か」の部分。私たちは誰かのつもりでいた。結局のところ、私たちの誰もあの子の「誰か」ではなかった。
私たちはまだ守られる側であるし、一生そうなのかもしれないけど。汚い足で踏みつけてくる人達を寄せ付けたくない。その上喉元を引き裂くほどの鋭い牙を私はこの先も持てないかもしれないけど、止めれるものなら止めたいし、誰も何処にも閉じ込められて欲しくない。(牙?と私は思った)

吉沢という人は信頼した通り信頼できた。ママ達のいうところの「目的」を持って「継続」と「積み重ね」をこなして、目に見えないけど繋がっている沢山の仲間と私が怖れていることに対抗するシステムを持つ人たちときちんと繋がって機能していた。



私たちが間違っていたのかな、とは思わなくていいらしい。


「『こなして』じゃないの。終わってないの。今も学びの途中よ。日々、学ぶことは多いわ」吉沢さんは言った。

「ゼロか百の極端な思考をやめたいのならば学びなさい。わかるでしょう?」

と、言われた。

私はまだ悲しい。
悲しいというのは嘘でかなり頻繁に怒りで爆発しそうになっている。それを、把握していることが大切らしい。




私は、塾の冬季講習の選抜のクラスの前にノートを整理していて、ノートの隅に描かれたレモンイエローのトランポリンと再会した。すっかり忘れていた。8月に描かれた大きなトランポリンの上では何もかもが弾んでいた。それを見ていたら涙がこぼれて止まらなくなって机の上に突っ伏して泣き出してしまった。

ごめんね。
ごめんね。

上手に巨大なトランポリンの上で
ずっと一緒に飛び跳ねていられると思っていたんだよ。星に頭がぶつかりそうなぐらい高く跳べるし、遠くから見たら、誰も汚れてないしぴかぴか光を放っていて悩みなんてあっても、全然関係ないよって感じの夜だったんだよ。


どんなに高いところから落ちても、優しいレモンイエローのトランポリンが全部受け入れて弾ませてくれるから、私たち、かなりもう大丈夫で、大人になったら一緒に脱出できるって信じてたんだよ。それに、あなたは一番綺麗に踊れたから、華麗にジャンプして一番綺麗な着地をできる人だと思ってた。



あの子のママは骨になったあの子を連れて遠く離れたところへ避難していた。ママ達同士は頻繁に会っているらしい。私たちに声はかからなかった。

今も、夜寝ていると悪いピエロがやってきて誰かの人生を丸めて窓もない光も差し込まないコンテナに突っ込んで何処に向かうかもわからない船に積んで海に流そうとする夢を見る。

うるさいウサギと甘ったるい鳥には覚えがあった。あの子はその2人を特に嫌っていたから汚い沼の底にずっといればいいと思った。そうすると、ピエロがわざわざウサギと鳥を沼の底から引きずりだして見せにきた。それは、大体、棺桶の子と私で、時々、もうひとりのスカトロ好きなママの子だったりした。

私たちは幼稚園から一緒で…。
振りかえろうとすると、まだまだ気持ち悪くなってしまう。


12月に雪が降った。
ふわふわと舞い散るかわいい雪じゃなくて、霙(みぞれ)混じりの激しい雨が外の世界を叩き付けていた。下校中、駅への移動中に雨脚が弱まって、雨はちらちらと雪に変わっていった。ビルの谷間から見上げる灰色の空から降る白いものは濡れた地面に着地したそばから消えていった。秋に、10月の頭に窓から校庭を眺めていた私は、突如また特大の悲しみに襲われて、もうそれは頭の中では処理できなくて絶叫した。私はクラスの子に連れられて保健室に行って、迎えに来てくれたママに抱きしめられた。クラスの中に私の頭がおかしいと笑う子はいなかった。私があの子を思い出させてしまって泣き出してしまう子が何人かいた。

それで、駅までの道のりで薄汚い空から街に漂う埃を吸収しながら薄汚い小さな灰色の塊が無数に降ってきたのを見た私は、また突如、抱えきれない悲しみに捉えられてその場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。棺桶の子とスカトロママの子が(あー、はじまった)って感じでそばに来てくれたのがわかった。

それと、あのバレエの子も来た。「クソうざいウサギと鳥ってあんた達のことじゃないんだけど?」と言って笑った。「イタリアのお土産あるんだから、ちゃんと受け取ってよね?」と言った。「ねえ、本当にもっと身体を動かして五感を大切にしなよね」大切にして欲しいよって言った。「でないと、あんたたち、ブスになるよ?」可愛いのは今だけだからね?といつもの調子で笑った。

私が顔をあげた時にはもうバレエの子は消えていた。


あの夏休みにあの子は両親とイタリアへ家族旅行へ行っていて、私はそこであの子はあいつにまた何かされたんじゃないかと考えていた。それは私たち子供は永遠に知らなくていいことらしい。



冬休みに親に頼んで、バレエの子のママに会わせて貰った。

あるリゾート地の別荘にあの子のママは引き籠もっていた。その土地は冬になると雪深くなって殆どの人は11月に入る前にそこを引きあげて元いた場所に帰る。あの子のママはあの子の骨と一緒にそこにいた。社交的な人だったし愛される努力をする人だったから、夏の終わりから全くの独りではなかったらしい。まわりが独りにしなかったらしい。私たちは子供の頃、何回かここに来たことがあったけれど、雪の降る季節にここに来たのは初めてだった。雑木林の木々の葉は落ちて、森も川も雪に埋もれて見えなくなっていた。あちこちにあるカフェやレストランやギャラリーは閉められていて、そこで働いていた人達の気配も灯りもごっそりなくなっていた。今、ここにはごく限られた特別な人しか残っていない。

その子のママは私たちを明るく迎え入れてくれた。車が駐車スペースの雪の下の砂利を削る音を聞きつけて私たちが車から降りる前に洒落た分厚い木のドアが開かれてあの子のママが顔を見せた。ただあの子のママはお世辞にも元気そうとはいえなかった。お茶を淹れてくれた時にオーバーサイズの品のいいグレーのセーターの袖から腕を掻きむしった後が見えた。それは、こういった言い方はしたくないし比べることではないけれど、痛くも痒くもない細い痕筋が皮膚を少し盛り上げていくのとは訳が違った。それは、見ればわかる。深爪をするのと爪を剥ぐほどの違いがあった。私はそれをちらっと見ただけで息が詰まって左脇腹の中を掴まれたような痛みを感じて、なぜもっと早く会いに来なかったのか後悔して泣き出した。それを皮切りに全員が泣き出して。

私の両親と姉は私たちが会いに行くのはまだ酷だと言って最後まで難を示していた。その通りだったのかもしれない。会いに行ってあげて、日帰りでもいいし、と間を取り持ってくれたのはスカトロママだった。

イタリアへ旅行へ行った話は聞きづらかった。あの子の骨は今はこの地の知り合いの教会に置いて貰っていると聞いて、そこへ行くことになった。別れ際、あの子のママは泣いていた。年末は東京に戻るけれど、多分、あるところに入院すると言っていた。「会いに行きますね」棺桶の子が言うと、ママは来なくていい、会える状態にないかも知れないとはっきり言った。

結局、私は、渋谷の裏通りであの子に会ったかもしれなかったことをあの子のママには伝えられなかった。胸の中が重くて痛くなって何も話せなかった。結局、1時間もない短い滞在の殆どを泣いて、私たちはそこを離れて小さな教会に寄って東京に戻った。

年末にあの子のママは自宅を処分して、K県に家を買ったらしいと噂を聞いた。あの子の家は更地になってすぐに買い手がついた。それから、あの子のママには会っていない。


それから、一年後の九月のこと。

塾のはじまる前に棺桶の子とスカトロママの子と私はあの子を忍ぶ為に集まって塾の近くの公園で花火をした。

昼間から白い煙を吐き出して火花は散った。
明るい昼の光の中でも火は明るくて煙は白くて、バケツの中に花火の死骸を収納して私たちが公園を去ろうとした時に、よく見かける(というか塾の一番近くのコンビニでバイトしている)暗い大学生が藤棚の下のベンチに座ってカッターで何か削っていた。

もの凄い猫背で青い鉛筆を削っていた。

私は棺桶の子達に先に行って貰ってその人に近付いて行った。
「あの美大生かなにかですか?」
私が声をかけるとその人は私を無視した。もう一度聞くともそもそと浪人しているようなことを言った。
「あの、お金、八千円しか持って無いんですけど」私は言った。「あの、凄く幸せそうな船か黄色くて大きなトランポリンの絵を描いて貰えませんか」

その暗そうな男の人は何も答えなかった。八千円は安かったのかもしれないし、頭のおかしい奴に絡まれたと思ったのかもしれない。多分、両方だろう。気詰まりになった私は友達を追いかけてその場を後にした。

その日、気になって塾の帰りに公園に寄った。二十二時過ぎの暗い公園の藤棚の柱にはマスキングテープでクロッキー帳から破られた紙が一枚貼り付けられてそこだけ四角く光っていた。

絵は船でもトランポリンでもなく何かの植物だった。それと、マスキングテープにはっきりと「JK死ね」と鉛筆で濃く強く書かれていた。

あの野郎…と思ったけど、たいしてそれには傷つかなかった。

私はそれを剥がして大切に家に持って帰って、描かれた植物が何か調べた。想像上の植物ではなくてアーティチョークだった。

私は姉から映画のポスターの入っていた額縁を貰うと、それを拭き上げてアーティチョークの絵に入れ替えた。それから、部屋の模様替えをしてベッドから机から見える位置にその絵を掛けて、時間があればそれを眺めている。

八千円を封筒に入れていつあの暗い浪人生に会っても渡せるよう持ち歩くようにしたのだけれど、あれからあの人には会わなくなった。コンビニでまだ働いているらしいけど、私は全く会わなかった。

公園にはよく行く。藤棚の枠の向こうに景色が見える。時々、そこは海になって船が進んで行ったり、砂漠になって巨大なトランポリンを浮かび上がらせた。バレエの子が舞台に立っていることもあったし、雪の中の教会が現れることもあった。


時々、それを紙に移そうとする。
でも、うまくいかない。

アーティチョークがそこにあって美しいようにはいかない。どうしてだろう?って思う。

そこにあって、閉じ込められて、
死んでないのってどうしてだろう?って思う。

見る度に思う。
何が違うんだろうって。

何を見て
何を選んでこうできるんだろう。

母や姉でさえこのデッサンが素敵なことはわかるらしい。
「あんた、描いたの?」姉は驚いて言った。
「私じゃないよ」というと、でしょうね、と姉は声に出さずに言った。

私じゃないよ。
でも、できる人はいるんだね。

公園にはよく行く。ベンチの下に鉛筆の削りカスがあればいいのに、と期待しながら行く。でも何もない。

「JK死ね」と書かれたマスキングテープも私は気に入っていて、それをPCに貼っていつも見ている。

そうだ、死のって思う。なんとなく、何かになれると思っていた自分は殺して本当に先に進もうって思う。

公園にはまだ行っている。封筒の他にあのバレエの先生に貰った星も持っていく。あの人がいたらあげようと思う。

頭がおかしいと思われるかもしれないけど、本当に素敵で強い人から貰った星だったから才能のある人が持っていた方がこの星も喜ぶような気がする。

そういうのも、私の勝手でいつも通りのことで気持ち悪がられるかもしれなかったけど、死ねと堂々と書いてくるような人なんだからそこら辺はどうでも良かった。



いつも部屋には静かなアーティチョークがあって飽きもしない。アーティチョークは紙の中で横たわって微動だしないでそこにいた。

現実。

「美しく切り取られた」というのとはちょっと違う。ひとつのつくり出された現実がある。それは、私をありとあらゆる現実から少し違う現実に呼んでくれる。

なんで違うのかなって思う。
私も同じサイズの紙を持っていて同じ鉛筆を持っていて、同じような機能の目と手を持っているはずなのに、、。

早くさっさっとやり始めなさいよ、とバレエの子は言う。床に脚を開いて、やればやるほどうまくいくんだからと言う。時間と負荷をかけて…。あの子はずっと話していた。

棺桶の子に、時々、あの子と話してることを打ち明けたら「私もしょっちゅうだよ」とあっけらかんと話してくれた。

「化粧してると、アイラインの角度とかに口出ししてきて煩い。セックスしてるとたまに見てる。あと、ちゃんと食べろとか寝ろとか煩い」棺桶の子は言った。


12月に何かしようという気持ちが芽生えて、いつもの三人で遅いハロウィンの仮装をした。棺桶の子とスカトロママの子はエロいゾンビメイドの格好をして、私はウェス・ボーランドの白塗りのおじさんになって、塾の近くの公園で写真撮影をしていると、あの暗い浪人生が公園に入って来て、私たちを見て、回れ右をして立ち去ろうとした。

私は鞄からお金と星のピアスを入れた封筒を素早く取り出すと走って行ってその人を引き留めた。

あー、それで、何かの流れで写真を撮って貰うことになって、私は封筒の中味の意味を話せず仕舞だった。あの時、依頼した船とトランポリンの絵の代わりのアーティチョークの絵代だとは言いだせずに、無理矢理封筒を押しつけると少しハイになって調子に乗っていた勢いで写真を撮って貰った。彼は写真を撮ると何も言わずに公園から立ち去って行った。

返されたスマホを見返すと、私たちは写っていなかった。

ただ藤棚の上に浮かぶ白い月が静かに切り取られてそこにあった。

次の日に公園に寄るとベンチの下に金だけ抜かれた封筒が捨てられていた。中には星が残されていた。

私はそれを回収して、封筒にデカデカと「クズ」と書き殴られているのを見て、笑ってしまった。封筒を振って星を取り出した。そして、それから暫くベンチにすわって泣いた。























































































































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