絵本探求ゼミⅢ-①
ミッキーの絵本探求ゼミに復帰
2022年4月~8月の第1期を終えて、沢山の学びを得た絵本探求ゼミ(講師:竹内美紀先生 東洋大学文学部国際文化コミュニケーション学科 准教授)を半年間お休みし、先月第3期に復学した。
noteには上げなかったが、第1期のフィナーレを飾る「層雲峡リアルゼミ合宿」は今思い出しても心躍る時間たちだ。
第1期での個人的な学びの成果は、なんと言ってもポストモダンの海外注目作品に出合い、新たな視点でじっくり味わったこと。
「技法」に注目して、チームの複数人で話せば話すほどに作品理解が深まり、さらにその絵本への愛が高まった楽しい時間でもあった。
第1期で特に注目したのは次の三作品。
『ぼうし』
原題 ”The Hat”
作・絵:ジャン・ブレット
訳:松井るり子
出版社:ほるぷ出版
発行日:2005年12月
『おーい、こちら灯台』
原題 ”Hello Lighthouse"
作:ソフィー・ブラッコール
訳:山口 文生
出版社:評論社
発行日:2019年04月
『ブラック・ドッグ』
原題 ”Black Dog"
作:レーヴィ・ピンフォールド
訳:片岡 しのぶ
出版社:光村教育図書
発行日:2012年09月20日
さて、いずれも高い画力、特徴的な画面構成に惹かれた作品たちであるが、
調べてみると・・・・
『おーい、こちら灯台』は、コールデコット賞2019年受賞
『ブラック・ドッグ』は、ケイト・グリーナウェイ賞2013年受賞
という、Award-Winning Books、
いわゆる「大賞受賞作」 と気づいた。
折しも、本講座第3期の案内には
と、説明があり、
賞について興味はあるが、ぼんやりとした知識しかない自分にうってつけの内容と思い、学び舎に復帰することに。
まずはイギリス絵本の歴史から
4/22 初回講義は、昨年同様、地元の図書館イベントと重なり録画受講となった。
今期のチームもスタートから和気藹々と、意欲の高いメンバーに恵まれている。自己紹介がわりのオススメする日本の絵本のブックトークはどれも視点が素晴らしかった。
講義は、イギリス絵本の歴史からスタート。
19世紀末、華やかな近代絵本黎明期を支えた絵本作家として
ウォルター・クレイン(1845~1915)
ランドルフ・コールデコット(1846~1886)
ケイト・グリーナウェイ(1846~1901)
があげられる。
生まれ年を見て驚く。 同世代どころかほぼ同い年の三人。
それぞれが順に、
エドマンド・エヴァンズ(1826~1905)という、のちに出版プロデューサーともいえる優れた刷り技術を持つ彫版師に見いだされ、
次々に作品を生み出した。
とはいうものの、三者の絵本邦訳作品はあまりに馴染みが薄い。
しかし以前、ウォルター・クレインに関する展覧会で圧倒的数の絵本作品(貴重な初刷りから復刻まで)のシートを鑑賞する機会があった。
150年前の美しい作品に目も心も奪われた忘れられないひとときが甦る。
あのとき、興奮しながら見とれた作品たち。
絵と文(英文)が一緒の画面にあるから、ストーリーを辿りながらじっくり2時間以上かけて楽しんだ展覧会。
あれこそが
絵本のはじまり。
しかも
子どものために作られた「はじまり」!
講義でも紹介されていた展覧会図録を参考に、
絵本のはじまりを改めて考察した。
コールデコット以前のはなしである。
絵本のはじまり 「トイ・ブック」
千葉市立美術館「絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事展」(2017年4月5日~5月28日)の図録
『絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事』
(青幻舎 2017年2月21日発行)より
トップバッターの ウォルター・クレインは13才で木口木版の工房に入り、木版に関する技術を習得。その後、1865年、エドマンド・エヴァンズと共に最初のカラー絵本(木口木版多色刷り)の「トイ・ブック」を2冊刊行した。
それ以前の絵本は、木口木版でも単色刷り、色を付ける場合は手彩色だったのだから大きな技術革新である。
インクを使い機械刷りをすることで、比較的安価(6ペンス~1シリング)でカラー刷りの「トイ・ブック」は人気となった。
(影響を与えた日本の浮世絵は、版木が柔らかめで広い板目木版、水彩で手刷りで、技法がかなり異なる)
1865年「トイ・ブック」はいくつかの出版社から発売されている。
当初は8ページで裏側はインクが染み出るため無地だった。サイズ感はペーパーバック版こどものともに近い。
この1865年には、文化的にも「子どもたちには最高の絵本を」という画期的な投げかけがあったことも興味深い。
出版業界の新聞「ブックセラー」(The Bookseller) 1865年12月12日号には以下の記事が掲載されている。
絵本研究者である正置友子氏はこの記事をロンドンの新聞図書館で見つけた際、感動で手が震えるほどであったと述べている。
「子どもの本」という分野が出版業界で成立しつつあったこと。
子どものために絵本を購入する層が現れたこと。
良い絵本作りが(技術的に)可能になったこと。
そして、子どもたちには質の良い絵本を与えるべきであると考えるおとながいたこと。
すべてが、絵本の始まりにふさわしく、
1865年は新しい時代の幕開け、子どものための絵本文化の醸成の息吹を感じる年となった。
さて、彫版師エヴァンズが、絵師としてのクレインに目を付けた理由のひとつは、クレインが彫版工房で訓練されていたこと。もうひとつは、クレインの描く輪郭線が美しいことだった。
20才違いの二人は12年間、技法を進化させながら多くの作品を生み出した。
エヴァンズは彫版師であり、印刷師、アート・ディレクター、編集者の役割を担い、クレインは絵師であり、ブックデザイナーであった。
続いて、1873年~1876年、絵本史上初のシリーズ表紙をもつ、13冊の "Walter Crane's Toy Books"が刊行された。
一人の画家の名前が絵本の表紙に書かれシリーズとして出版されることは、絵本の歴史上初めてのことであり、それどころか絵本の表紙に画家の名が記されることすら稀であった。(それまでは絵本の仕事は画家にとっての恥になるほど絵本の立場は低かった)
初めて尽くしの本シリーズには、今でも愛されている代表作
『シンデレラ』(1873年)、『長靴をはいた猫』(1874年)が含まれる。
手元にあるペーパーバック版(写真右上)で確認したところ、それぞれ真ん中に見開きページを作り、完成度の高い見せ場を作っている。
("Cinderella & Puss in Boots" Searchtower Publishers)
クレインの最高傑作と言われる『長靴をはいた猫』”Puss in Boots"であるが、ページが少ないためか、邦訳も見かけずロングセラーとは言いがたい作品である。
この点についてのリリアン・スミス(1897~1966)の記述はとても興味深い。クレインの絵の素晴らしさを説いたのちの文章である。
クレインは、絵本活動の終盤1874~1876年に、それまでの6ペンス絵本(全29冊)から1シリングへとアップグレードした絵本(全8冊)を手がけた。
『美女と野獣』はそのシリーズである。
絵本のサイズは一回り大きくなり、色も7色(黄・オレンジ・淡いピンク・ローズ・茶・淡い青・濃い青)に増え、ますます豪華な絵が描けるようになった。(本稿末尾写真参照)
しかし、本の作りとしては、絵のページと文のページが分けられ、クレインのそれまでの創意がそがれていったことは否めない。
クレインが絵本の現場から離れた大きな理由は、最初の絵を売り切りで出版社に売るため、どれだけ絵本が売れても印税が入らないということであった。
もし印税制に切り替えていたら、現在でも広く読まれる絵本が作られていただろうか。
クレインが広くデザインを主とする仕事へと移っていったのち、エヴァンズが組んだのが、お待ちかねのランドルフ・コールデコットである。
コールデコットについては、改めて「コールデコット賞」と共にまとめることとして、絵本探求ゼミ第3期 初回のリフレクションを懐かしい展覧会の思い出と共に終える。