終わりに見た街

 連休中日の今日、90歳のおばあちゃんと回転寿司を食べに行った。子どもとおばあちゃん、合わせて6人ではま寿司だ。

昨日見たクドカン脚本のドラマ終わりに見た街。
2024年の現代に暮らす家族5人が、昭和19年にマイホームごとタイムスリップしちゃった、って話しなんだけど、
ドラマの昭和19年の中で小学生の息子が、「じゃあはま寿司は?はま寿司は?」と騒いで「んなもんない!って何回も言ってんだろ?!」とどつかれていたな。
そうゆう戦争ドラマとは思えない程半端ない親近感、重いテーマを扱っていると思わせない優しさ、それが半端なくリアルに感じる。やっぱりクドカンマジックに惚れてまうー。
西田敏行にワンタッチコウモリ傘、
グラサンにスケボーを持った老婆は、ドクタースランプアラレちゃんに出てきそう。
わらしべ長者かよ?!笑、いや〜面白いなぁ!
こうゆう所、最高!大好き!

前半は幸せボケし過ぎて飽和してる現代を、
後半は戦争がいかに人間を、信頼しあっていた関係を破壊し、何が誰が正気か、何が真実かを失って狂気じみて行く様を見せてくれた。夫は妻から認められる事で力を取り戻して行く、と言う事も。

その環境に適応しなければ食べて行かれない、素直に食べる為に場に馴染んで仕事をする家族。
大泉洋扮する太一だけ髪を切らず、周りに馴染もうとせず、仕事もしない(というか出来ない)。
多様性なんかない時代、必然と批判の対象になって行く。
私は、おかしいのは太一なんだ、と周りには評価されしかし本人は至って正常で未来を知っているからこそのおかしな行動なんだ、理解されない太一のその存在の美しさを描いている場面が愛おしく感じた。

ラストは無事現代に戻るんでしょ?って思いながら見ていたのに。。
あのメッセージをどう活かして行くべきなんだろう、今がどんなに幸せでも戦争は忘れたらいけないよ、胸に刻んでって事かなぁ。

ドラマでも三田佳子演じるおばあちゃんがかなりキーパーソンだった。
それこそ、タイムスリップでもしない限り私たちは見る事知る事の出来ないおばあちゃんの功績。生きて来たから知っている事、毎日つけていた日記、小さな歩みでもかけがえのない軌跡だったと言う事実。
「お年寄りを大切に」って言葉ではよく聞くけど、作品だからこそ伝わる意味。

激動の時代を激しい戦火を乗り越えたと思ったら、回転寿司のタッチパネルに振り回されながら姿の見えない職人の寿司を喰う現代。
生きて来た振り幅の大きさに思いを寄せてみる。
耳が遠くなる、足が思うように動かない、うん、まぁしょうがないよね、そして家族でご飯を食べられてる、
飽和なんて言ったらもったいない、幸せの有り難い極みなんだよ今。

一本の映画見たような気にさせられた。


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