ワルシャワ冬日記 闇市と日本食材専門店 2025年1月16日
ワルシャワ国立競技場近くでバスを降りた。夫が競技場を仰ぎ見て、「こんな場所になるとはなぁ」と感慨深げに笑う。現在の国立競技場が立つ前は、10周年記念競技場(Stadion Dziesięciolecia)と呼ばれるポーランド最大級のスタジアム(1955年設立)で、競技以外にも様々な国の祭典式典も行う会場になっていた。上の写真が現在の姿だが、夫が笑うのには以下の背景がある。
前身のスタジアムは1983年ごろ老朽化で放棄されたのち、1989年からはヤルマルクエウロパ(Jarmark Europa)という名でヨーロッパ最大級の屋外市場として知られるようになった。5000人以上の売人たちが軒を連ねていたというが、その中には国内外からの未登録の売人も含まれており、つまりヨーロッパ最大級の闇市でもあったのである。大きな区分としては、衣服はベトナム人、AdidasならぬAdidusやNikeならぬNikuといったようなブランド品のパチモンはナイジェリア人、エタノールだけでなくメタノールまで混入していたという噂の酒類はロシア人、海賊版の西側世界の音楽CDや映画DVDはポーランド人・ロシア人、が売っているというグローバルカオス空間だったそうだ。メタノールはあかんやろ。
夫と親友は高校時代はもっぱらそうした海賊版CDを物色しに入り浸っていたそうで、なんと素敵な青春時代であろうか。警察の見回り時には見つかったらまずいものは布でさっと隠され、過ぎ去ったら何食わぬ顔で布を取り払い取引が再開されていたという。こんな話を笑いながら夫からされる人生になろうとは、この東のメチャクチャな当時の感じ、正直好き。
夫の友人、夏の記事でも少し触れたウルグアイハーフの彼は両親が外交官で当時ナイジェリア大使館に勤務していた。彼が母親とこの市場に来ていた時、母親がパチモン売りの一人のナイジェリア青年を見て「…私あなたを知っているわ、”留学生”として私が手続きしたわよね…?」「えー?いやぁまぁあはははは」みたいな一幕があったらしい。留学生として入国させた人物が闇市の売人になっているところを発見しても、まあ今日はオフだし別に何も言わんけど、と済ませてしまったらしいが超ほっこりするエピソードですね(?)、おおらかで笑える。
当時のマーケットの様子が伺える映像↓
他にもこの10周年記念スタジアムで特筆すべき事件がある。
1968年、「プラハの春」で知られる自由化の改革を阻止するため、ソ連によるチェコスロバキアへの軍事侵攻、いわゆるドナウ作戦が行われた。ワルシャワ条約機構に加盟していた国々も侵攻に参加、つまりポーランド軍も含む軍事部隊が構成されたのだが、この侵攻へ反対したRyszard Siwiecという一人のポーランド人が抗議行動として焼身自殺を行ったのもこのスタジアムである。事件は当局により直ちに隠蔽され、彼の死を持って行われた抗議が侵攻へ大きな影響をもたらすことはなかったが、後年その勇気が讃えられた。英語が読める人はぜひ以下のwikiを読んでみてもらいたい。
そんな歴史の舞台にもなった場所のほど近くに、本日の目的地Japonia Centralnaがある。(なんて長くて全く関係のない導入をしてしまったのでしょう)
昨日巡ったアジア食材店と比べると、ダントツ1位の品揃え。痒いところに手が届く、海外在住自炊者のニーズを完全に理解している、と言わんばかりのラインナップだった。昨日は見なかったうどんだし、干し椎茸、塩麹、こんにゃく、乾燥野菜各種などを発見。賞味期限の近いものは値引きされて置いてあるのも好感。店内の雰囲気もいい。何よりもまず照明が明るい。こちらの食料品店はなんだかどこもどんより薄暗いのだが、安心する日本基準の明るさと陳列の清潔さ。BGMはオタク色の強い感じで、Adoが流れた後に粛聖!! ロリ神レクイエム☆が続いたので真顔を保つのに苦労した。夫はこの手のものには疎いので面白さを共有できないのがつらかった。異国の地でさ〜わったら逮捕!!を聞くとはな。でもそれすら心地いい。ここは日本だ。
値段は昨日の3店舗と比べると真ん中あたりという価格帯。しかしお菓子も調味料類もほかの店の比ではない充実ぶり。おそらく今後一番お世話になる場所だと思う。すき焼き味のふりかけと桃屋のごはんですよを購入。レジの青年はサイバーパンク:エッジランナーズのパーカーを着ていて、ポーランド人らしからぬ親切・愛想の良さがある接客だった。総評:とても感じが良いお店。