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ワルシャワ冬日記 ご近所トラブル 2025年1月7日

義母は今日から仕事始め。定年はとうに過ぎた年齢だが引く手数多の現役エンジニアである。朝7時ごろには出勤し帰宅は15時ごろ、日本と働き方全然違うなぁといつも思う。

義母不在の食卓を囲んで朝食をとった。義母はワルシャワ育ちだが義父はベラルーシ国境付近の田舎の村の出身なので、子供の頃に伝統的な方のコレンドヴァニェやったことあるかと夫が聞いてみた。するとあるあるもちろんとの返答だった。義両親はどちらもエンジニアで理系なため、夫が子供の頃はこうした文化風習についての話題が出ることはなかったし、夫は文化系に進んだとは言え自国にはまるで興味がなかったので今までこうしたことを聞いたことはなかったそうだ。もう全然、昔すぎて詳しいこと覚えてないよーという義父だったが、後から後からぽつりぽつりと詳細を話し出して、聞き出すのって大事だなぁと思った。私がポーランド語ペラペラで、かつ文化人類学とか社会学の調査手法とかを学んだ人間だったらもっと色々聞けたんだろうになぁと歯痒く感じた。
昔のことを聞いたついでに夫が義父へ、共産主義時代、生活においてそれを強く感じたことはあるか?と質問した。ポーランドは1947年から89年まで共産主義国家であった。83年生まれの夫には共産主義時代の空気そのものよりも民主化以降の刻々と変化していった社会の空気の方が馴染み深いため、改めて聞いてみたくなったらしい。義父曰く、田舎暮らしの生活というものは基本作物を育てて家畜の世話をして、と大きくやることに変わりはないので強く意識したことはなかったそうだ。高校に上がって強制的に国家行事で行進やらをさせられた時にようやくうっすら感じて嫌だった、と述べていた。また共産主義政権崩壊の時分にはカナダへ出稼ぎに行っていたため、初の民主主義選挙はそういや行ってないのよなあと笑っていた。帰国後まず大きく感じた変化は急激な物価の上昇で、1円が1万円に跳ね上がったくらいの衝撃だった(夫のざっくり表現なので実際そこまでのインフレ率だったのかは調べてません)とのことだった。

15時半過ぎ、義母帰宅。アフターファイブならぬアフタースリーなので夕食後どこかへ出かける時間はたっぷりある。
買い替えを検討している冷蔵庫や洗濯機を見に家電量販店へ行くと言うのでついて行った。なんとなくこちらの冷蔵庫は細長い。みんな背が高いからだろうかとかぼんやり思った。いくつか事前に調べて気になっていたモデルを実際に確認する。SAMSUNGが人気のようだ。今回はまだ購入はしなかったが、大体の感覚は掴めたなということで帰宅した。

家の前に車を止めて降りた時、ちょうど通りかかった青年に声をかけられた。近所でよく犬の散歩をしているのだが、あなたたちあの空き地で鳥に餌をあげてますよね?うちの犬がそれを拾い食いしてしまうのでやめて欲しいんです、という。
そう、義両親は猫が食べ残した餌を近所の空き地にたむろしている鳥たちにあげている。私も初めてそれを見た時は、野鳥への餌付けは近年問題視されており推奨される行動ではない…とそれとなく話したのだが食べて健康被害が出るようなものではない、生ごみに捨てるのも勿体無いしと一蹴されてしまっていた。またポーランドでは野鳥への餌付けはそれほど問題視されていない。公園や駅の近くの広場などには、公的に野鳥やリスたちのための餌台が設置されていることも多い。公園によっては、どういう種類の鳥たちにはどういう餌をあげれば良いか、という案内板まで設置されている。
そういう背景のもと、これまでにも1度、鳥にパン屑を与えるのをやめて、腸閉塞を起こします、という注意喚起の手紙がポストに入れられたこともあるのだが(餌やり自体は否定していない)、我々がやっているのはパン屑ではなく猫の餌の肉類だ、あの鳥は肉食だ、だから問題ない、と義両親は無視してしまっていた。
話しかけてきた青年は自分の犬が口にするものを管理したいからやめて、という主張だったため、じゃあここを散歩する際はリードをつけて(ポーランドではリードなしで犬の散歩をすることは割と普通)拾い食いさせないようにすればいいじゃないかと夫と義母が言い返し、議論は険悪なムードで平行線を辿ってしまい、怒った青年はじゃああなたたちがやった餌を拾い集めてこの家に毎日戻しますから!(玄関先にぶちまけてやる、の意)と去っていった。
どっちの気持ちもわかるし、どっちもどっちだな感もある、…でもどちらかといえば我が家の非の方が上回るかな…と思う嫁です。

その動物の餌取り能力の低下や生態系の乱れを引き起こす、衛生環境にも影響がないと言い切れない、という考え方から野生への給餌を否定する言説が日本でも主流であるように思う。一方、そもそも都市開発により野生動物の棲家を奪い続けている人間はすでに大いに野生へ介入してしまっているため、街中でも生きていく野鳥たちに餌をやること(特に餌の不足する冬場)はそこまで罪であろうか、人間の給餌により絶滅が防がれた例もある、という反論もある。義両親はこの立場だ。この考え方には、田舎育ち、動物好き、また年代も大きく関係しているように思う。

私としてはそこに「公共性」という概念も多少持ち込むべきであろう、と思う。実際義両親の行動で、不快に思ったり迷惑を被る住民がいるのだ。家の敷地内で行っているのではなく、近所の空き地という公共空間で、こちらの論理だけを押し通すのは限界があるのではないかしら、と。
また余談だがこの手のトラブルで「糞害」という言葉を一切聞かないのは日本人的に不思議だ。日本だったらこれが第1に議論される内容な気がするが、ここの人たち糞、さほど気にならないみたい。衛生感覚の差を感じます。

夫も思うところはあるようで、帰宅後しばらくして私にも意見を聞いてきたため改めて自分の考えを話した。そうだよねえ、またちょっと母に話してみるよ、とリビングでテレビを見ている義母の元へ消えていった。義父に話したら多分まともな話し合いにならないので、まず義母と建設的な話し合いを、という作戦だ。リビングから義母が声を荒げているのが聞こえる。
…夫、がんば。

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