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夏休みの天気

京都の夏はとかく暑い。
日中は外に出るだけで溶けてしまいそうなので、休日は夕方からしか動けない。こんなに日が長いのに、一日は短く感じて少し損な気分になる。

さて、
私には好きな天気がある。
季節ではなくて、気候というには主観的で、雰囲気というにはあまりに具体的なので、天気と呼ばせてもらう。

梅雨が明けてすぐの午前中、日陰の風通しの良い廊下や階段。窓の外には抜けるような青と入道雲が見えるのに、肌をなでる風だけは少しだけつめたいとき。

真冬の朝、玄関を出て見える、雲一つない高い空。着こんだコートのポケットにカイロを忍ばせて、鼻から大きく息を吸う。キンキンに冷えた空気が全身を巡って、脳がクリアになっていくとき。

この二つは出会うとその日一日、体が軽くなる気がする。

好きかといわれれば考え込むが、記憶に残っている天気もある。
夏休みの天気だ。
朝八時半に出席カードを持って、校庭を突っ切ってプールへ。早く来ていた子が更衣室から出てきて、プラスチックのすのこをカタカタ慣らしながらプールサイドに向かう。急いで更衣室に入れば、外の日差しとは裏腹に、コンクリートの床の部分が少し冷たい。そんな天気。

プールを終えたら、教室で宿題をする。エアコンが効き始めるまで開けている窓から、ほかの学年のシャワーの悲鳴が聞こえる。薄いクリーム色のカーテンがゆらゆら揺れて、入り込む風はエアコンからの風を巻き込んで、少しぬるい。そんな天気。

読書感想文の本を借りに図書館に行く。じりじりと照り付ける太陽に、手提げを握った手が汗で滑る。一刻も涼しい空間に行きたくて歩く足がテンポを上げる。入った瞬間すっと汗が引く。気づいたら五時のチャイムが鳴っていて、慌てて借りる本を精査して外に出る。セミの鳴き声こそ相変わらずだが、地面を焼いていた日差しは柔らかくなっている。そんな天気。

天気の記憶というより、夏休みの記憶の中に天気があるように思われるかもしれないが、今のこのクソ暑いの中に、ふとそれらの天気を見つけて記憶を思い出してしまう、という点で天気の記憶に違いないと思っている。

10年くらい前は今より少し過ごしやすかった気がするな、と最近の異常な暑さに辟易しながら、涼しいクーラーの効いた部屋でこれを綴っている。
今の小学生は、クーラーの効いた家の中が夏休みの天気になるのかな。健康第一、家にいたほうが安全だけど、そうなら少し寂しい。

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