両親の離婚から見える男女の考え方の違い。全部が全部そうじゃないけど。
以前の記事を読んでいただければ書いてはあるのですが、私は母子家庭だったんですよ。
小1(6歳)で父と母が離婚。
母と妹(2歳)と母の実家に出戻りました。
父は私あんまり記憶にないんですよ。
タバコ臭かったのとあまり家にいなかったのは覚えてる。帰ってきて欲しくて泣きわめいて、泣きすぎて吐いたのも覚えてる(泣き喚くと言う行為は愛着的な欠損もあるかもしれないですね。)
だけど多分泣き喚くくらいには父のことは好きだったし
私と妹には非常に甘くて優しい人だったんですよね。
実を言うと父の両親(私からすると父方の祖父母)は居ません。いわゆる蒸発。
父は祖母(私からするとひいばあちゃん)に育てられました。
父は中卒です。
高校も入ったけど初日に喧嘩して停学1週間、開けて登校して3日で自主退学。
ばあちゃん泣かせの孫だったそう。
これは22歳過ぎて大学卒業してから父に会いにいって聞いた話ですけどね。ちなみに私はその後から埼玉に就職が決まってたから、その時にたった10万だけ渡されて非常に困惑したことを覚えます。
ちっちゃい頃の私は
ひいばあちゃんとばあちゃんの違いもわかんないし
その頃は両親が共働きだったから
ばあちゃん(本当はひいばあちゃん)と基本的には一緒にいました。
おかあさんといっしょが見たくても時代劇と相撲にテレビチャンネルを変えられる日々。。つらかった、、、ヤクルト一本ですら子どもが飲むなんて贅沢だ!ってくれなかった。
お母さんとお父さんに会いたかったけど
仕事で帰ってこないから我慢して我慢して。
でもばあちゃんのことも、ちゃんと好きでした。
離婚して数年後、私たち3人が居てくれたときが生きてて一番幸せだったって言って亡くなったそう。教えてくれなかった父はほんと許さない。私にとってばあちゃんはばあちゃんだった。
そういえば妹が生まれる前に、ばあちゃんに
「これからはせだけのママじゃないんだから」と言われて
母に「せちゃんのママじゃなくなっちゃうの?」と泣きついたのはよく覚えてる笑
でも妹が生まれたころから
もう父はほぼ家にいなくて、別に女作ってんだけど。
その結果生まれた町の小学校は小学1年生の秋に転校。
母の実家の町に引っ越して
母方の祖父母の家にお邪魔させてもらってました。
実は母には姉がいて(私のおばちゃん)
そのおばちゃんも離婚して子ども2人(私のいとこ)と出戻りだったので
不思議な3家族の集まりがありました。
私たち親子、おばちゃんたち親子、じいちゃん、ばあちゃん。
けど、後から来た私たちよりどうしても先にいたいとこたちの方が
なんとなく立場が上で、
いとこたちにはそれぞれ部屋があったんだよね。
一番上のお姉ちゃんの部屋、2番目のお姉ちゃんの部屋、おばちゃんの部屋って。
私たちには親子で一室だけ。
だから母がお金なくても3人で幸せに暮らしたいってそこを出ることにして団地に引っ越しました。
つまりまた転校(2回目、3校目)。
いやはや小学1年生にはしんどいて。
今考えるとそう思うけど
母や私たちにとってもあれがベストな選択肢だったんだと思う。
馴染むまでに時間がかかったり、またいじめられたりあったけど
勉強できたから(自分で言うな)まぁいいやって感じ。
あと田舎すぎて
今みたいにスマホがあるわけでもないし
貧乏だったからゲームとかもないし
勉強以外にやることなかった笑
ただ母、私、妹の3人暮らしが始まって
母の頼る相手がいなくなっちゃったんですよね。
んで、妹にとっても母が仕事に行ったら私しか居ないわけで。
そこで紹介したいのが
大美賀直子さんの『長女はなぜ「母の呪文」を消せないのか』
と言う本にあったんだけど
全員が全員そうじゃないんだけど
基本的に
女性は共感を求める生き物で、男性は解決策を求める生き物
と言うことが書いてあったんですよ。
確かに会社で辛いことがあったとき
女友達は「えー大丈夫?大変だったね、それはあっちにもムカつくね」って言ってくれるけど、男は「それはお前も悪い。ムカつくならその時に言えよ」って言ってくる。
お前が敵になるな!味方でいろ!共感はできないのか!いつも余計な一言で!
とイラついてた原因がわかってスッキリしたんだけどその話は置いておいて。
多分母にとっては
長女の私はちょうどよく共感してくれるし
頼ってしまいがちだったし
私にとって母は嫌われたくないし大好きな存在だから
応えようとしてしまったんですよね。
だから
我慢する癖がついて
甘えてみたいとかほしいものとか
言ったことなかったな。
今の夫に出会うまで言うこともできなかった。
母に認められたくて勉強頑張ったけど褒められたことはなかったし、
父親がずっと居なかったから、きっと異性にはお父さん像を求めてる。
父に恋愛感情なんかないけど、好きになる人には父みたいに私の存在をそのまま受け止めてほしい。
上手く言えないけど安心感がほしいんだと思います。
そう言えば
結婚式で母が夫のお義母さんに初めて会った時に
「うちのせは、勉強はほっといてもやってた。偉かった。成績も良かったんですよ」
って初めて嬉しそうに話してるのを見て。
褒めてくれてたんですよ。
私相手じゃなかったけど、そう思ってくれてたのが嬉しかったなぁ。
あとは
こないだ実家に帰省した時に
「あんたももう28になるのかぁ。お母さん何してたっけ?勝手にでっかくなったなぁ、偉いなぁ」
って言ってた。
お母さんにしてもらったことはたくさんあるけど気づいたらお互い歳取ってるもんだね。
今これ書いててちょっと泣きそう。
あと10日でお母さんがまた一歳年を取る。
こうやって私も家庭を持って
離れて暮らして
たまの帰省に会って
あと何年、あと何回、話ができるんだろう。
摂食障害のことも未だに打ち明けられてはいない。
気づいているんだろうけど。
父には会わなくても会えなくてもいいけど
母にはたくさん会いたいな。