摂食障害になったきっかけのお話①
初投稿が重すぎると思った方、
ブラウザバックで大丈夫です。
全員に受け入れてもらえると思ってないけど否定はしないでほしい、そんな思いの人たちがいるんだよーって知っていてほしい私の吐き出し場とさせてください。
なんだかんだ8年目を迎える過食嘔吐。
体力的にも精神的にも
向き合わざるを得なくなってきたから
自分の頭の整理として投稿してみます。
でもさ、
自己対峙って相当体力いると言うか
見たくないところも見なきゃいけないから
しんどくなったらフッとやめる可能性は大いにあります。(ちなみに3年前にアメブロで投稿してたんだけどある日突然全て消すと言うことをした人です。)
保身がすごい前置きはこの辺にして
きっかけの話をしたいと思います。
私は小学校から高校、大学2年くらいまで健康優良児(肥満児)でした。病気もほぼなく、ただのデブ。
でもまぁやっぱり枠から外れる人は日本人にとってはいじめの対象で。それを親にも言えないし
母にとっては私が長女だから頼れるのは私で
妹にとっても私がお姉ちゃんだから頼りにされて。
そうそう。小学校1年のときに両親は離婚してるんですよね。
その前からもほぼ父との記憶はないくらい家にいない親父だったけど。
両親の話はまた今度。
寂しくないようにって母はよく菓子パンやお菓子は用意してくれてました。
私は何かにつけて食べなきゃ「いけない」理由はたくさんありましたね。
・朝ごはんは食べなきゃいけない
・一日3食しっかり食べなきゃいけない
・親に心配かけちゃいけないから食べなきゃいけない
・部活頑張ったし倒れたら大変だから食べなきゃいけない
・会津(生まれ育った地)は寒いから食べなきゃいけない
その頃の私に人間1日くらい食べなくても死なないって言いたい笑笑
あとはデブで運動できなかったけど勉強はできたので、勉強だけ頑張ってたんですよね。お母さんに褒められたかったんですよ。
まぁ97点とっても「なんであと3点取れないの?」って聞かれるし
150人の学年で6位になっても「あと上に5人いるけどここまでか」って言われたけど。
別に母のこと恨んでないし大好きだけど
褒められたかったんだなーって今なら思う。なぜなら今全く勉強したいと思わないから。
あの時の勉強のガソリンはお母さんだったんだなーって思う。
だから
筋トレしようとか走り込みしようとか、食事減らそうとか、そう言う、普通?の人が思いつくダイエットというものをやったことがなかったというより
やると言う概念がなかったんですよ。
その頃は自分のことちゃんと好きだった気がする。
自分のことを自分が守ってあげられるから
どんだけいじめられてもからかわれても
勉強がんばろってなれてたんだよねー。。
ただ太ってる自覚はあったし(大2のときは161センチ75キロ)
痩せてる人への憧れとか
異性によく見られたいとかそう言う気持ちはあったから
20歳を迎える頃には
それはそれは『卑屈なガリ勉デブ』の出来上がり。
そんな頃に大学の先輩に
スナックでバイトしないか誘われて
母子家庭の私、断る理由無い!と思って体入。
ママに開口一番
「あんた、ちょっと痩せな!」
確かにここは女を武器にして売る店だ。綺麗にしていないといけない。
と漠然と思った私はダイエットなんてしたことがなかったのでどうしていいかわからなかったんだけど
大学の友達が朝ごはん食べると気持ち悪くなるという子が居て
それ聞いたときは、食べなきゃいけないもんだと思ってた私としては目から鱗だったけど
とりあえずそれしか知らないから真似してみることにしました。
そのうち
ご飯食べるのがめんどくさい
って言ってる子も居て
そんな感情なったことないわ!と思いつつ
夜ご飯も抜いてみて。
あれよあれよと3キロすぐ落ちたんですよ。
初めて体重が減ったんです。
あのときの興奮とか達成感は異常だった。
そのあと食べられるものを0キロカロリーのゼリーとかするめとか豆腐とかそういうのに絞って
バイト先まで一駅歩いて(田舎の一駅は1時間かかります)
とかやってたら気づいたら72キロ→68キロに。
そうすると周りが気づき始めるんですよね。
え!せちゃん、痩せた?
めっちゃスタイル変わってる!
と言ってもらえて初めての優越感を感じ始めました。(この時点ではまだぽちゃぽちゃです)
しかし食べないで痩せるが通用したのはこのあたりまでで、ここから減らなくなったのです。
(②に続く。)