倉子悠

不思議さはこの世の救い。エッセイがメイン。ジャンルは哲学/生命/物理/社会。世界/私/人生/救いとは何かを考え続けている。新しい概念/視座を見つけては喜んでいる。私の意識という天然のソフトウェアの不思議さにとりつかれている。

倉子悠

不思議さはこの世の救い。エッセイがメイン。ジャンルは哲学/生命/物理/社会。世界/私/人生/救いとは何かを考え続けている。新しい概念/視座を見つけては喜んでいる。私の意識という天然のソフトウェアの不思議さにとりつかれている。

最近の記事

「解決不可能」が証明不可で止められない

私は大きな問題に取り組むのが好きだ。 大きな問題とは、例えば「永久機関の発明」のような、これさえ解決できれば社会問題の多くが解決したり、社会が新たな局面を(良くも悪くも)迎えざるをえないような問題だ。 報酬系がワクワク、ウズウズ、ムラムラしてくるような大きな問題は、いくら時間を賭けても解けることがなく、いくらノックしてもその扉は開かれない。かつて「解決不可能なことに時間を使うな」ということを述べる哲学者もいたほどであり、ノックするだけの実の無い人生を送るなという先人のアド

    • 「価値観の壁」、コアにある「存在」、そして人生選択という「自由の刑」

      はじめに 私のエッセイ/随筆は、世界/私/社会/を理解するという私のライフワークの一環である。あくまで構造理解(WHY/WHATの考察)を通して「理解することを楽しむ」ため(または私の中の負の感情が結晶化した毒素をデトックスするため)に執筆している。 短期的なライフハック(HOWの考察や実行)のように役立てる目的ではないし、文学的な心象風景の美しい表現を楽しむための文章でもなく、学術的に人類を前進させようとする燃えるようなガチさもない、ということをご承知おき頂きたい。

      • 不思議さに生かされる

        私の古い記憶。 下を見ると自分の肌色の、少し膨らんだおなかがあった。 「ここ、なにがはいってる?」と思った。どうやら何か入ってそうだ。 同時に、「なんでなかみをしらないの?」という不思議さを感じた。 自由に体を動かせるのに、体について何も知らない。 いつの間にか体の内側にいて、既に体を動かしている。 それがじんわりと不思議だったのだ。 私は保育園にいた。先生の隣でご飯を食べている。 ふと「なんでおこめは、つぶつぶなんだ?」と思った。 ご飯つぶを、細いお箸で寄せて、隅にまとめ