生きる意味についての話
こんにちは
突然ですが、まずは自分の話をさせてくださいm(_ _)m
この前、本屋さんで小学校の先生に関する本を読んでいたのですが、その中に生徒の自殺防止の方法として、「生きる意味を教える」というのがありました。僕は現在大学生で、半分大人で半分子供のような状態ですが、正直生きる意味というのはよく分かりません。たぶん社会に出て、大人になったとしてもよく分からないんじゃないかと思います。
今日はそのことについて考えてみたので、よかったら読んでいってください。
生きる意味とは考えれば考えるほどよく分からなくなってきがちなもの。
では、生きる意味を考えるのではなく、最低限これがあればいい、というものを考えてみるとどうだろう。
状況として、生きる意味がないと思えて、そのうえ、明日がきてほしくないとか、楽しいことがなにもないと思いながら過ごしているときを考えてみる。こういった状況は辛いもので、このような中で生活していくのはしんどい気がする。自分の中では、まず先に、生きる意味や目標をつくるのが一番大事だと思いがちだったけれど、こう考えると、そういった、明日がこなければいいのに、といった考えが払拭されているような、そんな状態でいられる方が大事なことなのかもしれない。
仮に、生きる意味が分からなかったとしても、人と会うのが楽しみになったり、明日がくるのが怖くなくなったりするような生き方ができれば、きっと生きやすい。
人生における目標は、あるともちろん生きる活力になるだろうけれど、それがなかったら生きる意味がないなんてことはないと思う。そうではなく、ただ生きているだけでもいいんだ、と心から思えるように過ごせると良い。
そのためには、きっと自分の居場所があると良いのだと思う。無理に自分を押し出したり、逆に相手に過度に合わせたりするのではなく、自然な自分を受け入れてもらえて、自分も相手を受け入れられるような、そんな場所。そういった場所があったら、きっと多少辛いことがあっても明日がいやにならない。
そして、そのような居場所を人とつくるには、相手に敬意を払うことから始まるのかも。自分が相手を信用していない状態では、きっと自然な自分ではいられない。でも、「相手」といっても人にはいろんな考えをする人がいるから、合う合わないは出てきてしまって、それで辛い思いをすることもあるかもしれないけど、それは生きていく上では仕方ないことなのかも。
読んでくださりありがとうございます。
なにか疑問に思ったことなどあれば、遠慮なく聞いてくれるとうれしいです。