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幸せの定義について考えてみる

今日もお疲れ様です。本当はnoteなんか書かず国家資格の勉強をしたほうが自分の為になると頭では理解してますが集中できないのでサボってます。
こんな私を叱ってください。
反省はここまでにして自分が語りがあまりにも気持ち良すぎてまた今日も書いていきますよ

幸せとはなに?

私も自問自答しながら書いてはいますが幸せとはなんぞやって話
ですよ。
私は思考ができることだと思うんです。
そもそもの話、幸福と不幸どうやって判断するのってなった時にまず思考しますよね?
思考できなければ幸せと感じることすらできないんですよ。
そういうことです。

なぜこういう発想になったのか?

私自身学生の時、小学校中学校いじめられたんです。
ストレス性抜毛症という病気と言えるかどうかわからないラインですが
そのせいで眉毛が全く無くていじられてそれでストレスになって眉毛を
抜いてそれで抜いてたら母親に眉毛を抜くなと常に指摘をされて逃げ場のない環境で生き抜いてきました。
この話を聞くと不幸な人なんだなって言われそうなところですが、
これって学校に行ける幸せがあったからこそなんですよ。

すべては考え方、多面的に考えることが大事

もちろん上記の内容はあくまでも個人の主観なので無理する必要はないです。
ただ私が書きたいのはなにもすべて不幸に考えることはないのかなと思います。
お金がないならたまに買えるカップ麺を食べるだけで幸せに感じられるかもしれませんし逆に考えればカップ麺しか買うお金がないと考えたら不幸に思えてくるかもしれませんし。
一つの事柄で捉え方は何通りもあります、物事を決めつけてしまうのは勿体ないことだと思います。

最後に

どうせ死ぬなら幸せで終わりたくないですか?
一日の中で凄く嫌なことがあったとしても、最後の最後に凄く良い事があったらその前にあった嫌な事は大体どうでもよくなってると思います。
そういうことなんです。
自分の事すら幸せにできない人間が他人を幸せにすることなんてできないんです。
でも自分を幸せにできれば他人を幸せにできるし、他人を幸せにできると世の中もっと自分が生きやすくなるしプラスに働くことが多くなると思います。


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