無意識な人種差別
年に何回か、
「自分は人種差別をしたのではないか?」
とひやっとする事がある。
ミックスドレース(“ハーフ“という言い方は好きではありません。2カ国だけミックスの子もそんなに多くないし)の子のお母さんたちの多くは、
「子供は常に“じゃない方”の人種的特徴を社会から指摘され続けて、健全なアイデンティティ確立が難しい」
と悩んでいる。日本で生まれ育っても、顔や髪の色が他の日本人より明るかったり暗かったりするので、
「君は本当は日本人じゃないんだよね?」
「将来はあっちの国に帰るの?」
などと言われる。何度も言われ続けていると「ここにいちゃいけないの?」という気分になる。悲しい気持ちで自分の居場所を求めて、親のもう一方の国に行く子もいる。数年暮らして言葉も習慣も違和感なく暮らせるようになって、自分はこっちが故郷だったのか、と思い始めた頃に、親友と思ってた友達に
「君は本当は日本人なんだよね?」
と不意に言われることがあり、とても傷つくと言う。なぜ人は常に今いるコミュニティじゃない方を指摘してくるのか、自分は何者にもなれないのか、と悲嘆にくれる子もいるという。
言う方は、なんの気無しに言ってくる。単に、
「君は多様性に富んだ人だね」
と言いたいのだろう。が、言われた方は、わかっていても昔の記憶と相まって、拒絶されてるような気持ちは完全には拭えないらしい。1番苦しみがわかってあげたい親でも、自分はミックスドレースではなく、その体験がないので本当の意味でわかってあげる事ができずに苦しい、と言う。
以前、大阪なおみさんがインタビューで、
「人は私を「何者か」と判断するのに困っていました。実際の私は、1つの説明で当てはまる存在ではありませんが、人はすぐに私をラベルを付けたがります。日本人? アメリカ人?ハイチ人? 黒人? アジア人? 言ってみれば、私はこれらすべてです」
淡々と語っているように見えるが、この境地に達するまでは、幾度となく戸惑い、苦しみ、イラつき、悲しみを経験してきたのであろうと想像できる。もしくはまだその渦中にいるかもしれない。ラベルを付けたがる人に心揺らされないよう強くならねば、と自身にいい聞かせているのかもしれない。
ブレイディみかこさんも『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で書かれていたが、差別意識ゼロで放ってしまった発言は訂正できないところが苦しい。何気なく放った一言が、
「あれって受け取りようでは人種差別になるのでは?」
と後で気がついても、本人が怒っていなければ、訂正できない。念のために謝っておく、という行動は、
「あなたに差別発言をしました」
とご丁寧に自らお墨付きをつける事になり、相手をはっきりと傷つけ、自分も余計に苦しい思いをする。
以前、いろんな国の人々が集まるお祭りに長男と参加した。子供は自国ならではの衣装、というドレスコードがあり、長男はハッピで参加。宮川大輔のお祭り男風、という私の目論見に反して、長男の貫禄ある体型のせいで、すしざんまいな仕上がりとなってしまった。すしざんまい、白衣なのに。
「なんか、すしざんまいになってるんだけど!」
と笑いながら入り口で記念撮影をしていると、長男の仲良しの日米ミックスの子が写真に入りに来た。彼は空手着姿。最近緑帯に昇格して、空手の達人然としていた。普通に一緒に記念撮影をして、
「それ、似合ってるね」
と言った。彼は普通にサンキュー、と答えて長男とメイン会場へ向かった。ごく普通の会話だったが、数秒後、背中が冷やっとした。
「彼は“あなたはブロンドで白人ぽいのに日本の服が似合うのね”と言われたと受け取ったかもしれない」
ドキドキしながら、頭の中で一連のやり取りを巻き戻して思い返す。
『なんか、すしざんまいになってるんだけど!』
そこへ彼が空手着姿で登場
『(あなたはすしざんまいではなく普通に)それ、似合ってるね』
になってるよね? なってる、なってる大丈夫。変なことは言ってない。彼はすしざんまいで笑ってたし。ニコニコして去っていったし。大丈夫大丈夫。でも、本当に大丈夫…?
彼の心の中まではわからない。
このような事は、このようなイベントの度に、何度となく繰り返してきた。
「今の人種差別になった?」
と自分の発言や振る舞いで冷やっとしなかったことなんて、ほぼない。
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