ディズニーランドで停学橋を渡れ
「お母さん、これは犯罪ですよ」
通訳をしてくれている事務の女性が、言いにくそうに恐ろしいことを言った。彼女の横にはアメリカ人女性校長と男性の担任の先生。対面に、うつむいて縮こまっている私と長男。犯罪という言葉に一瞬息が詰まったが、校長と担任の先生に向かって、
“ Please accept my sincere apologies(大変申し訳ありませんでした) ”
と言った。
一体何回、いや何十回言っただろうこのフレーズ。校長は聞き飽きすぎて、もはや私の口癖だと思っていないか? 最大級の謝罪の言葉も、何度も発せられると軽くなる。しかし、私はこれ以上に深刻な謝罪の英語を知らないのだから仕方がなかった。校長はうんうん、と小さく頷きながら美しいブルーアイで長男の様子をじっと見ていた。長男はわかっているのかいないのか隣で、んふー、んふー、という大きな鼻息を立てていた。どんな表情をしているのか私には窺い知ることはできなかった。
やがて校長は通訳なしでも私にも理解できるようゆっくりと英語で話し出した。
「彼がした事は犯罪です。私たちは彼を退学にし、警察に通報することもできます。ですが、今回彼はとても反省しているようなので、私たちはそれらをしません」
はっ、と一瞬親子の気が緩んだのを見透かしたのか、
「ですが」
校長は続けた。
「もし、今後、彼が同じことをしたら、私たちは警察に通報しますし、彼を退学にします。今回は5日間の停学とします。彼は5日後いつものように登校して授業を受けられます。今回の事について再び謝罪することも、誰かに説明をする必要も、何かを聞かれても答える必要もありません。今日はこのままお帰り下さい」
一体何度目の停学だろう。午後の授業が穏やかに進んでいる気配を感じながら、息を潜めて廊下を足早に通り過ぎ、長男と共に学校を後にした。
このフリースクールは長男のような自閉症児やADHDなどの発達障害児を受け入れている。校長はアメリカ人で、大体の規則はアメリカの一般的な公立校のそれに準ずる。欧米では普通、停学は2回までで、3回目は退学を意味する。しかも2回目の停学期間は数ヶ月に及ぶことも珍しくないらしい。が、長男はいつも3日から5日程度だった。長男以外に停学になる子もたまにいたが、皆1回か2回で懲りるか、自ら転校していく。停学や退学についての具体的なアナウンスはなく、なぜ退学にならないのか不思議だが、うっかり聞いて、
「あっ、そうだった。長男君3回以上停学してますね。おやめ下さい」
という事になりかねないので黙っていた。いまだに謎である。
長男がした犯罪とは、スクールサイトのハッキングだった。
このフリースクールでは当時1人一台ノートPCを貸与されていた。授業や宿題や先生とのメールのやり取りなども全てPCで行われ、体育以外の授業は常にPCを使った。
呼び出しの前日、
「ママ大変!」
と長男が血相変えて帰ってきた。
「おお、どうした?」
「誰かが俺になりすまして、スクールサイトで先生にメールを送っているみたいなんだよ!」
「え? 何それ、あんたのアカウント誰かに乗っ取られているの? PC見せて!」
「え?」
ここで戸惑っている長男をおかしいと思うべきだった。しかし挙動不審はいつものことなので気にも留めなかった。
早速、長男のPCをチェック。バンドルされているメールツールなどは大丈夫だった。スクールサイトはざっと見たところ複雑な構造ではない。IDとパスワードを知られたのか?
「あんたIDとパスワード、簡単なんでしょ? 今すぐ変えな!」
「もう変えた。まだ見るの?」
「え?」
長男の、『この機に乗じて俺のプライバシー侵害しようとしてない?』的な不安な視線に我に返った。中学生、色々あるか‥。スクールサイト内をもっと見たかったが、ひとまず大丈夫そうなので、PCを返しながら言った。
「これ、ちょっと調べれば誰が送信元とかすぐバレるよ。雑な子がいるもんだねー」
翌日本当にすぐにわかった。雑な長男の自作自演だった。授業開始後すぐに校長から電話がかかってきた。
“Hi, How are you?”
どんな問題行動を起こして親を呼び出すにも、まず、にこやかにこのように聞くところから始まるアメリカ文化に何度足元を掬われただろう。しかし私も学習しない人間。つい反射的かつ、にこやかに、
“Good, you?”
などと返してしまう。あっ、しまった。校長なのにカジュアルすぎた、と慌てていると、冷静な事務スタッフ女性にすぐに変わった。
「お母さん、今から来られますか? 長男君がまた問題を起こしまして」
「なりすましメールの件ですか? 長男はなりすまされた、と言ってましたが」
電話をかける相手を間違えているのでは? でも、まさか、まさか、
「その件についてですが、電話ではなく直接話したいと校長は言っています。来られますか?」
またか! 私は天を仰いだ。
クセがすごい、長男の問題行動の数々
これまでに、長男はいろんな問題を起こしていた。
・学校の前の赤い郵便ポストを和太鼓に、傘をバチに見立てて友達と「ソイヤ!ソイヤ!」と掛け声もうるさく、力一杯乱れ打ちを楽しんだ。
・クラスメイトが悪い言葉を使った。長男は反省を促したかったのか「悪い言葉を使うな!」という貼り紙を作成。それをなぜか誰にも見えない、めったに誰も使わないピアノの蓋の内側にセロテープを大量に使ってガッチガチに貼り付けた。そしてそのまま忘れ、6ヶ月後のある日、誰かがピアノを弾こうと蓋を開けたら貼り紙があり、邪魔なのでエイッと剥がしたらピアノに大きな傷が残った。
・体育の授業の後、歩いて水飲み場に向かうように言われたが、一番乗りがしたくて走り出した。つられて走る子が出ると危ないので手で制した女性の先生を、長男が押した。
3つ目ついては、呼び出すくらいだから、その先生に怪我を負わせたのかと青ざめた。電話では頭が真っ白になり、詳細を聞けなかった。学校に向かう途中、不安すぎて何度も吐きそうになった。学校に着くとその押された先生が生徒と談笑していた。私は駆け寄り、
「お怪我は大丈夫ですか? 本当に申し訳ありませんでした!」
談笑を無視してまわり込んだ挙句、腰を二つ折りにしてこうべを垂れ、先生や生徒さんを驚かせてしまった。
「いやお母さん! 全然大丈夫ですよ? 確かに押されましたけど」
「え? 怪我などは」
「まさか! 制止しようとしたら、ちょっと押されただけです」
「?」
日本では女性の先生は、お母さんのような役割を求められている事が多く、小学生の男の子が腕を押したくらいでは問題にならないが、ここは欧米ルールなので、「男性が女性を押した」は力加減など関係なく、深刻な暴力となり、親呼び出し案件となる。このことはしかし、将来のことを考えると大目に見たりせず厳しすぎるくらいに対処された方がいいと思ったので、停学も納得だった。この時はハロウィンパーティの2日前でミニオンズの仮装を手作りで用意していたが、参加も披露もできなかった。身から出た錆だ、仕方がない。
他にも呼び出しには至らなかったものの、英語の先生に、
“Shut up your mouth (黙れ)“
と言って、教室を凍らせたこともあるという。入学1年目で母語が日本語なため、口頭注意で済んだが、偶然目撃したという地理の先生は、
「生徒が先生に言うのを初めて見ました。母語が英語だったら呼び出しかもしれません」
と言った。
他にも色々あるが、とにかくやたらと事件を起こし、私は呼び出され、停学を言い渡されそのまま帰る、を繰り返していた。他の生徒が長男に、
「よっ、学校一の問題児!」
と言ってるのを目撃したこともあるが、全然否定できない親子だった。
なりすましの被害者どころか加害者だった
さて、話は冒頭に戻って今回のなりすまし事件。校長の隣のクラス担任の先生が説明を始めた。
「朝、長男君を呼び出しました。すぐに白状しました」
昨日私が『すぐバレる』と言ったことが功を奏したのか?
「彼はクラスメイトのIDパスワードを使ってその子になりすまし、夜、私に
『おやすみなさい』とか『歯磨きした?』などのしょうもないメールを送ってきました。送信元の子に確認するも知らない、というので調べてみたら、メールは長男君のPCから送信されていました。彼は何人ものIDパスワードを把握していて、スクールサイト内部の情報も閲覧してました」
なりすましだけかと思っていたらハッキングまでしたのか? でもそんなに何名もの情報をどうやって?
「作業途中で離席した子のPCをそのまま使ったり、あとは憶測でこの子はこういうパスワードなんじゃないか、と入力して、それが当たっていたようです」
絶句。小学校からゲームプログラミング教室に通ってたし、学校でもwebデザインやコーディングの成績は良かった。その知識とスキルをこんな風に活用していたのか。PCを見られたくなかったのは、友達のIDパスワードリストでもあったのか?
校長は重々しく言った。
「お母さん、これは犯罪です」
この日、全生徒は強制的にIDパスワードを複雑なものに変更するよう言われ、離席する際は必ずログアウトをするよう厳命され、スクールサイトのセキュリティも厳重なものへと更新された。
長男がこのフリースクールにきた理由
長男は、小5の夏休み明けに、地元の公立小の特別支援級(以下 個別級)からこのフリースクールに転校した。個別級が彼には全然合わなかったからだ。
長男は3歳で知的に遅れのある自閉症、という診断が下りた。明るくフレンドリーだがフレンドリーが過ぎる「積極奇異型」だった。小学校入学前、幼稚園と併用して通っていた療育センターはひとクラス子供6人に先生が2人つき、クラスメイトと関わるときは大人が介在し、コミュニケーションが円滑になるようフォローしてくれた。またカリキュラムも長男のためだけに練りに練られたものを提供してもらい、興味ある文字や数字やアルファベットを学び、心穏やかに楽しく過ごすことができた。
当然公立小学校の個別級も同じことが行われているのだろうと入学したが、全然違った。個別級の先生は療育の知識がなかった。
「去年までは普通級の担任でしたが今年度からこちらを任されることになりました」
という不安げな担任の先生に、新卒の先生が3人、あとは担任を持たない先生がたまにくる4人プラスα、という態勢だった。公立校の個別級のあり方は校長が決めることらしく、当時の校長は新卒の先生はとにかく個別級に配属、ということを決めていた。若いから教室を飛び出したりする子を追っかけたりするのに適任、とでも思ったのだろうか。他の学校によくある、そして問題視されている、個別級を「学級崩壊で疲れ果てた先生の休息先」扱いするのを避けようとしたのだろうか。
とにかく今までの
「クラスメイト間のやり取りを見守る大人がいて、視覚刺激の少ないパーテーションで区切られた静かな環境で、黙々と与えられた課題をこなす」
ということは不可能となった。当時、個別級の児童数は10名以上在籍しており、パーテーションもなく普通に机を並べて授業をして、教室は常にザワザワしていた。視覚も聴覚も刺激だらけ。障害者教育の知識のある先生はいず、ストレスフルな環境に、長男は本来の明るさを徐々に失い、崩れていった。
学年が上がると、個別級には珍しく、数人で仲良く交流できる子たちが入ってきた。楽しそうな彼らの輪に長男も加わりたかったのだろう、彼らに近づいた。そんな長男に対し、彼らはただ困惑した。楽しく友達と遊んでいるところに、よく知らない上級生が入ってこようとしたら当たり前である。一方的に仲良くしようと追いまわして当人たちに拒否され、先生には止められ、納得できない長男はどんどん不満を募らせた。下級生グループが無理とわかると、今度は仲良くなれそうな子や仲良くしたい子を手当たり次第、追いまわした。そして、怖がられ、疎まれ、なぜなんだとまた追いまわし、という悪循環で友達がいない長男は孤独を募らせ、日々荒れていった。そのうち恐れていた他害が出るようになった。大人しい子の髪を引っ張ったり、手が出るようになったのだ。
ちょうどその頃、近くに発達障害児向けのソーシャルトレーニング(SST)教室ができた。天の助け、と早速連れて行き、即入会でき月2回トレーニングも受けられるようになった。自傷、他害、行動障害など一癖も二癖もある子供達が20人近く集まり、大丈夫かと危惧したが、そこは専門家ばかり集まる教室なので、大きな混乱もなかった。行く度に、
「これを個別級で毎日やってくれたらいいのに。せめて先生1人を派遣してほしい」
とため息をついた。
また、障害児向けの民間の学童ともいうべき放課後デイサービス(放デイ)が出来始めたのもその頃だった。学童でもトラブルを起こしがちだったので、少人数で常に知識のある大人が見張っている放デイは本当にありがたかった。SSTや放デイでは長男は本来の明るさを取り戻し、平穏に過ごすことができた。
だが個別級では荒れたままだった。中学年になり、やっと療育の勉強をしている、という先生が担任になってくれたが、すでに個別級内で長男は「腫れ物」確定されていた。長男のメンタルはどんどん悪化していた。ある日、学校から電話がかかってきた。
「長男君が和室に立てこもってしまいました。説得に来てくれますか?」
慌てて学校に行くと、長男は和室の真ん中に泣き腫らした顔で、不安とも怒りともつかない表情であぐらをかいていた。私を見ると「しまった!」という表情で青ざめて部屋の隅に走ってカーテンの中に隠れた。
「お母さんは長男君の味方である、というスタンスで決して怒らず接してください」
と電話で先生に言われたので、努めて優しく、
「どうしたの? もうじき給食だよ?」
などと促したが、なかなか出てこようとしなかった。落ち着くのを祈って扉が開くのをひたすら待つ。この頃は何か気に入らないことがあると、和室に立てこもるようになった。その都度私も呼び出された。立てこもりは1時間に及ぶこともあった。当時の先生には大変なご苦労をおかけした。
「このままだと二次障害を引き起こして引きこもりになる」
悩んだ私は個別級の担任の先生、SSTや放デイはもちろん、療育センターや医療センターなどにも相談したが、個別級での長男はあまり改善しなかった。完全に行き詰まった頃、夫が40歳になり長めの休暇を貰った。
「大体みんなハワイに行くんだよね」
気分転換にも良さそうだと思い、うちもハワイに行った。
ハワイは楽しかった。長男は電車が好きなので、レストランやプールなどの施設を電車で移動できるホテルに泊まった。天気は良く、美しい海と楽しげな街並み。世界有数の観光地だけあってレストランはもちろん、スーパーマーケットやハンバーガーショップの店員さん、とにかくその辺中にいる人が明るくにこやかで親切。一家全員ハワイが気に入った。そして長男は帰りの飛行機で、
「英語の人になりたい」
と言い放った。この明るくて穏やかでフレンドリーな世界の住人になりたかったのだろう。
「おっ、いいねー!」
と楽しかったハワイのノリのまま答えた。同時に長男が抱えてる孤独を思うと、とても切なかった。
男の子は10歳から12歳の間に志を立てる
これは以前、母から聞いた説なのだが、
「男の子っていうのは10歳から12歳くらいまでの間に志を立てるんだって。それは一見途方もない、突拍子もない事で、『そんなの無理!』ってつい否定しがちなんだけど、絶対に否定してはいけないんだって。何故ならその志はその子の一生を左右する、大事なものだから」
長男の「英語の人になりたい」発言を聞いた時、私は即、この言葉を思い出した。
これ‥「志」じゃないの?
この時まさに長男10歳。確かに途方もない。突拍子もない。定型発達の子でも難しいだろうに、長男は知的に遅れがある自閉症児だ。だが、英語が喋れたら世界中色んなところへ行ける。日本で自閉症の特性のために、居づらさを感じても我慢する他なく諦めるより、
「別のところに行けばいい」
と行動できればどんなに素晴らしいだろう。
英語が学べるフリースクールの存在は、実は前から知っていた。だが、いいなと思う反面、学費はものすごく高いし、英語が身につく保証もない。文科省認可ではなく独自のカリキュラムで進むので、もし大学や専門学校に進むなら高卒認定を受ける必要があるし、途中で公立校に戻りたいと思ったら大変なハンデを負う。夫も義両親も、「志」提唱者の母すらも、最初は反対した。
一方長男は、Eテレの英語のアニメ番組を視聴し始め、録画もして、次々に簡単な英語を理解し覚えて行き、本人なりに「英語の人」を目指し始めていた。フリースクールの話をすると、
「絶対に行きたい!」
と即答した。そんな長男を見て夫はやがて、
「学費は思いっきり無理すれば何とかなるかも」
と言ってくれ始めた。夫も少なくとも個別級に居続けるより、長男にはいい選択と思い始めていた。
というのも、在籍していた個別級は当時、勉強は国語と算数はちゃんと教えてくれるが、他の教科は普通級に行って受けねばならなかった。1−2年生時は理科社会は「せいかつ」という教科だったが、落ち着きがない、と長男は受けさせてもらえなかった。3年になり理科社会が始まっても教室でソワソワしてしまうから、と断られた。
「落ち着くまで様子を見ましょう」
と言われたが、いくら頼んでも転校する小5まで、
「無理ですね」
が続き、長男が理科や社会を受けることはついになかった。もう個別級では長男のメンタルにも学習面にも希望が見えなかった。環境を変えて仕切り直したいと思った。
「このまま個別級に居続けて、理科も社会も受けさせてもらえないよりも、英語を学べる学校に転校した方が将来の可能性も広がるのではないか? 何より本人はとてもやる気に満ちている」
しつこい説得に、義両親と親も了承してくれ、ついに転校した。義両親からはお金の援助もいただける事になった。本当にありがたいことである。
転校したフリースクールを長男はとても気に入った。理科も社会も受けられる。WEBデザインといった普通校にはない授業もある。少人数制で上級生、下級生との交流も盛んでイベントも盛りだくさん。昼休みにはカラオケ大会やゲーム大会などが開催され、本当に楽しそうだ。先生は常に介在はしないが生徒間の交流に目を配り、長男の孤独感はだいぶ解消された。
ただ、やはり授業は厳しかった。当時は1コマ80分もあり、途中1〜2回休憩があるとはいえ、長い。よく集中が途切れ、教室から出たい一心で鼻をほじり鼻血をわざと出して先生から、
「わざと鼻血を出すのをやめさせてください」
と注意されたりした。
英語に関しても、楽しく英語アニメを視聴しているのと、教室で学ぶのは全く別物で、とても苦労しているようだった。ここでの英語の授業は没入法といって日本語禁止にして全てのやり取りを英語で行う。通常の学校での英語教育と全く違うこの方法は、効果が高いがストレスも高い。挫折して転校していった子もまあまあいた。長男は時に鼻血を出しつつも頑張り、2年目には英語に慣れていった。
翌年、ある少年が転入してくる。その少年は長男ととても気が合い、たちまち2人は親友になった。先生や他生徒からもいいコンビと言われるようになった。
「彼らは毎日ハネムーンと離婚を繰り返している、と言われています」
ものすごく仲良くしてる思うと、突然取っ組み合いの喧嘩寸前みたいな空気になり、また仲良しに戻る。先生も周りの生徒も、面白がるような呆れるような感じで2人の様々な出来事を私に教えてくれた。長男の孤独感は解消された。
再びの呼び出し
前の呼び出しから数ヶ月が経ち、すっかり油断していたところ、また電話が鳴った。
「長男君がスクールサイトのA君のページに侵入し、彼のアチーブメントポイントを全て消去してしまったようです」
スクールサイトの学習サイトは満点解答できた時にポイントが付く。A君はとても優秀でそれを10個くらい取っていたが、それらが全て消去された。再発行は不可能。作業元を辿ると長男のPCにたどり着いたという。
『もし、今後、彼が同じことをしたら、私たちは警察に通報しますし、彼を退学にします』
前回呼び出された時の校長の言葉が頭の中に響いた。
「ただし本人は知らない、と言っています。お母さん、長男君に確認してもらえますか?」
家に帰ってきた長男は、事の重要さは理解しているようで、しおらしくしていた。どういうことなの? と聞くと、ポツポツ話し始めた。
「なんか、多分、PC使っているうちに、A君のサイトに偶然入って、偶然消しちゃった、感じだと思う」
偶然人のサイトに入るなんてあるか。そう言い返したかったが、ただ怒るだけではダメだと思った。
「うんわかった。じゃあママからも先生に説明するから、その時にどうやったのか、ここで再現してくれる?」
「え?」
「ママなら、あんたがわざとじゃなくA君のポイントを消したことを説明できる。それには、どうやったのかを知らないと説明できない。ここで同じ事をもう一回やって」
PCを持って来させ、起動した。長男は、
「ええっと、ええっと」
とオタオタと操作し始めたが、やがて観念して、
「ごめんなさい」
と白状した。A君に嫌な事を言われ、頭に来たので以前と同じ方法で本人になりすまし、彼がコツコツと獲得した大事なポイントをわざと消した、と言った。
終わった。
それしか考えられなかった。
「うん、そうか」
しばし沈黙が流れた。
「前に校長に言われたことを覚えている? もし同じことをやったら警察に通報するし、退学にします、ってやつ」
「うん」
「もうこれは退学になっても仕方ない。わかる?」
「うん」
「もうママは先生方に何も言えない。明日学校に行って自分1人で説明して謝ってきなさい。それで通報されて退学になるのならしょうがない。そうなってから次の事を考えよう」
「‥‥わかった」
翌日、長男は1人で学校へ行った。登校時間後、15分も経たないうちにLINEの通知音がした。早すぎる! 警察に移動か? と慌てて画面を確認すると、
「大丈夫だった。授業受けてくる」
はああああああああー! まじか!
長男と校長と先生の間でどんなやりとりがあったかは分からない。初めて1人で校長室に行き、謝罪と説明をしたことで先生達も何か感じ取ったのだろうか。A君も寛容な子なのかよほど酷いことを言ったのか、許してくれたらしい。退学、警察、というパワーワードが飛び交ったにしては呆気ない幕引きだったが、これも追求すると藪蛇になりかねないので詳細は謎のままである。
年末のイベントで学校を訪れると、校長も先生もいつものように接してくれた。A君一家は早めのホリデイで旅行に行ってしまい、私は謝罪できなかった。この話が蒸し返されることはなかったが、この時期、生徒へのIDパスワードの再変更の通知がされていた事を、この騒動を知らない他のママから聞いてヒヤッとした。
数ヶ月後、次男の誕生日に家族でディズニーランドに行った。お誕生日に行くとシールを貼ってもらえて、キャストの方に
「おめでとう!」
と言ってもらえる、というのを聞いて、
「いいじゃん! 行こう!」
となったのだ。最初、ディズニーのお兄さんお姉さんに祝ってもらって次男は喜んで、
「ありがとう!」
などと手を振っていたが、何人も続くと面倒臭くなったのか、
「このシール剥がしていい?」
などというようになった。しかも身長がまだ120cm弱しかなく、乗れる乗り物は限られていた。あっという間に乗り尽くした後はトムソーヤー島で探検気分を楽しんでいた。そこでふと前を見てギョッとした。そこには
“SUSPENSION BRIDGE(吊り橋)”
と書いてあったのだ。Suspensionは「停学」も意味する。散々言われた恐怖の単語が夕日に照らされてそこにあり、何かの啓示に思えた。長男を見るも、ただの吊り橋と捉えて、停学の事など全く気が付いていないようだった。
「ちょっと! そこの停学食らいまくりのあんた! あんたの橋があるから渡ってきなさいよ!」
と促すと、一瞬戸惑いながらも渡りに行った。橋の看板と一緒の長男の写真を撮ろうとスマホを構えたが、意に反して長男はさーっと走って渡り切ってしまった。
一瞬、引き返させて写真を撮ろうとも思ったが、停学橋に戻ってこられるのも不吉なので、看板だけを写真に収めた。