ピアノ(怪談)
一人旅を思いついたのは、先日友人から勧められた「阿呆列車」の影響を受けたせいだった。行く先も分からぬまま旅に出ると言う行為にロマンを感じるのは、奥田民生から明治の文豪まで、男なら時代を問わず誰もがそうらしい。
私は朝日を待たずに鈍行に乗ると旅に出た。
ただ、出不精の私は自分が乗り物酔いしやすいタチであることを失念していた。
鈍行に揺られて30分もしないうちに頭痛がして、1時間を越えるともう頭が割れんばかりになり、私は一時間半後には駅を降りた。
そこはまあ、私が生まれた町だった。本当はもっともっと先へ行く予定だったのだが、結果的にはただの帰省になった。
親もとうに死んで、親戚も友人もいない故郷なので、こんな時でもなければ帰る理由もない場所だ。
寂れた無人駅のベンチでしばらく横になった後、私は宿を探すことにした。
宿は中々見つからなかった。別に人が混むような時期でもなかったのだが、知っていた宿が悉く潰れていたのだ。廃墟になっていたり、コインランドリーが代わりに立っていたりと、宿自体が見つからない。ネット検索で出てきた宿は、電話が繋がらず、直接行ってみると駐車場になっていた。
ようやく駅前で宿を見つけたが、満室だった。途方に暮れていると、その宿のおかみさんが一つの宿を紹介してくれた。
そこは町はずれの山道をずっと昇った所にある宿で、草木の生い茂った広場の奥にあった。
私の生まれた町は良港として有名なのだが、町を少し離れると、港と町を挟むようにして切り立った山々が南東に連なっている。居住地域は沿岸部に集中しているのだが、山間部にも人がいるにはいる。そこは町の緩やかな衰退の果てにある場所で、年配層が多い。
小中学校はこの町にはここにしかないので、昔はよく長い山道を登ってここへ来たものだったが、高校へ入ってからは全くこの山に入らなくなった。30も近くなってからの山道は思いの外辛く、宿に辿り着いた時には私は疲れはて、息をするのも難しい程だった。
宿は古いが不思議と清潔感があった。特に今日のような雲一つない青空の下では、白塗りの壁が陽の光に照らされて、塗りたてのようにピカピカと輝いていた。そこは民家を改造した二階建ての建物で、二階に客室が三つある程度の小さな規模のものだった。
周りに民家が一件もなく、一つだけ取り残されたようにだだっ広い空き地に立っているその姿は何かの冗談のようにも見える。
「申し訳ありません。お食事は出ないんですよ。」
70は越えているであろう白髪の老女は、皺だらけの顔をくちゃくちゃに歪めてそう言った。あまりに皺が多すぎて、私は別の生き物を見ているような気になった。
「そうですか・・」
私は昼食の事を失念していた。そうと分かっていれば、山道に入るコンビニで食事を買っていただろうに。
今からまたあの長く複雑にくねった山道を降りるには私は疲れすぎていた。食事を取れば少しはそんな気力も出て来るだろうが、食事をとるにはコンビニに戻らなくてはならない。
空腹をどうしたものかと逡巡していると、それを察したおかみさんが「昼食の残りで良ければ召し上がりますか?」と言ってくれた。私はありがたく頂くことにした。
「実は先月旦那が事故で亡くなりまして、作る食事も一人分で良くなったんですがね、それを忘れてしまって食事を余らしてしまうんですよね」
彼女はそれがとても面白い話題だと思っているらしく、言い終ると噴き出してしまった。
私はそんな彼女にどういう顔をして何を言うべきかが判断できなかったので、とりあえず曖昧な笑顔でその場の空気を誤魔化した。
おかみさんが持ってきたおにぎりは、予想外に大きく旨かった。何か味の濃い漬物と鮭の入っているにぎりで、塩味の加減がちょうど良く、私はそれを部屋で外の景色を見ながら食べていた。
宿の建っている広場の奥の先は切り立った崖になっており、私の泊まった部屋からちょうど町が一望出来るようになっていた。町中にいる時は寂れている所ばかり目に入ったが、こうしてここから見下ろしていると、町の活気が一時に目に入って来てほっとする。
子供達の叫ぶ声や車のクラクション、工場の機械音や船の警笛などが、穏やかな午後の喧騒の中で一体となり、一つの音楽のように私の心を明るくさせた。
それを聞きながら非常に穏やかな気持ちで食事をしていると、ふとその中に思いがけない音が混ざっているのに気づいた。
それはピアノの音色であった。しかも遠くない。すぐ近くで聞こえる。まるで風のように透明な余韻を残すその音色に、私は思わず耳をそばだてた。
私は音楽に詳しい訳でもなく、弾いてる曲自体には全く覚えはなかったが、その透き通った高音には聞き覚えがあった。母に連れられて行った市民会館のコンサートで何度か聴いた、母の好きなピアノの音色だ。確か、ベーゼンドルフィーと言うのだったか。しかもオーディオからの音でなく、生の音のようで風が震えているのを感じる。
そんな馬鹿な事があるだろうか。この古い宿の何処にそんな高価なグランドピアノを置く場所があるのだろう。
廊下に出て耳を澄ましてみても、不思議と何処から聞こえて来るのかよく分からない。他の二つの部屋を覗いてみても、当然誰もいないしピアノなどあるわけもない。夏草色の畳が涼しげな顔をしているだけである。
私が二階の廊下をうろうろしていると、おかみさんが上がってきた。沢庵漬けを持ってきてくれたようだ。お礼を言った後、この音は何なのか聞いてみた。
「ああ、あれは小石が川に落ちる音ですよ」
「川?」
「ええ。この家の先に崖がありましてね、風の強い日は崖の石が少し削れて落ちるんですよ。それで、崖の下には浅瀬の小川があるんですが、その小川にはそれはそれはキレイな小石がいくつもございまして。その小石に崖から落ちてきた小石がぶつかるんですよ。その音がちょうど、ピアノの音みたいに聞こえると言う次第で」
絶対に違うと思ったが、私は口には出さなかった。と言うのも、その奇妙な話を彼女自身も頭から信じている風では無いように思ったからだ。多分、彼女にとってこのピアノは最早日常であり、自分に害を及ぼさない分には思案に値しない現象の一つになってしまっているのだろう。
だが、私にとっては非日常である。害が無いと知ってもその正体が気になって仕方ない。音の聞こえる方向へ足を延ばしてみようかと思ったが、直ぐに音を上げた。
音は明らかに近くから聞こえる。この家か、その隣からか。それが証拠に一歩外へ出て崖へと向かえばもう音は遠くなる。ならこの家の何処から聞こえて来るのか?耳を澄ましてもさっぱり分からない。
一階の階段にいる時は二階から聞こえて来るし、二階の二つの空き室にいる時は、一階から聞こえてくる。私の泊まってる部屋にいれば窓のすぐ向こうから聞こえて来るので、窓から顔を出して見るが、そうすると音は遠くなる。
そんな訳で10分もしない内に、私もまたこのピアノの音色を日常とするよう諦めてしまった。
諦めてしまえば気楽なもので、ただただ素直にピアノの音色に気持ちを委ねていると、澄んだ水の中に身を置いているような心地よさを感じる。
残りの握り飯をほお張り、沢庵漬けをつまんでいると、つい眠気に誘われてウトウトしてしまう。心洗われるピアノの旋律は、窓の向こうにある夏を予感させる6月の晴天に驚くほど合っていた。
曖昧で心地よい意識の中で、私は自分が今、この上なく贅沢な時間を過ごしていると感じた。胃が弱い私は食べてすぐ寝るとお腹を壊すのだが、睡魔には勝てず何時の間にか寝てしまっていた。
そして数時間後、案の定私は激しい腹痛に襲われ、目を覚ました。
その時にはあの美しいピアノの音色は何処かへ消えていた。