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君がそう言うなら、悪くない

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 ――雨は、嫌い。
 髪は乱れるし、水溜りの水が跳ねたり、車が通りがかる時に、水しぶきが上がるし。
 見ているだけで、めまいが酷くなりそうな気がするから。
 だから、梅雨のこの時期は、毎日が憂鬱。
 でも、今日から少しの間、学校へは行かなくても済む事になった。
 なんて、ママに言ったら、怒られるだろうけれど。
『起立性調整障害』――
 私が入院する事になった、病気の名前。
 元々、朝起きる事が苦手だった。
 別に、夜更かししてる訳じゃないのに。
 中学二年の途中くらいから、夜は眠れなくなるし、そのせいか、めまいや頭痛が酷くなってきた。
 成績は良かったけれど、授業にも集中できなくなってきて、段々と、成績も落ちてきた。
 そこで初めて、身体の異変について、先生や両親に話した。病院に行く事になって、受診したら、入院が決まった。
 入院なんて初めてだし、少しだけ心細いけれど、特に仲が良い友達が居る訳じゃないから、学校に行けなくなっても、別に、寂しくはなかった。
 只、ちゃんと治るかな。
 治って、高校受験も、無事に迎えられるかな。
 将来こうなりたいとか、何がしたいとか、今はまだ、無い。
 それならば、パパやママの言うように、通信制でも、何でも良いけれど。


         ✿✿✿

 ――雨は、好きだ。
 今年も、雨の多い、梅雨の時期がやってきた。
 雨の日が嫌いな人が多いだろう。
 だからこそ、僕のこの鬱々した気持ちだけでも、当たり前のように、人並みになれている気がするから。
『骨肉腫』――
 僕の、病気の名前。
 急激に背が伸びた事による成長痛だろう、なんて、軽く考えていた。
 病院を受診し、検査結果の末に判明。
 幸い、治療は成功したけれど。
 今回は定期検診で、軽い肺炎に罹っていた。 
 その治療の為の、入院。
 昔よりも医療は発達し、予後は比較的良いと言われていても、いつ再発するかも、分からない。
 そんな不安を日々抱えながら、高校受験とか考えなくちゃいけないなんて、不条理だって思っている。

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 入院の手続きが終わって、ママは帰った。
 疲れちゃったし、少し休もうと思ったけれど、個室に一人で居ても、何をして良いか分からなくて落ち着かなかった。窓から外を眺めてみても、建物しか見えなくて、散歩がてら、デイルームに来てみた。
 大きな窓。
 雨だけど、明るく感じる場所。
 景色を見ようと外を眺めてみると、病室から見る景色よりも、こっちの方が断然良い。
 でも、雨が降っている事に変わりはない。
 明日からから始まる検査の事も相まって、より一層、気が滅入る。
「あーあ〜……」
 自分でも驚く程の大きな溜め息が出ると、すぐ近くで、噴き出したような笑い声が聞こえた。


         ✿✿✿

 部屋に案内されてから、母は帰宅した。
 入院には慣れたけれど、慣れてしまった自分に、気が滅入る。
 今日から点滴が始まるらしいけれど、看護師が言っていた時間迄、まだ一時間近くある。
 喉も渇いたし、飲み物でも買いに行こうと、デイルームに向かった。
 デイルームに差し掛かると、大きな窓の前に、長い髪の女の子が居た。
 病衣を着ているから、入院患者なのだろう。 
 同じくらいの年齢だろうか?
 一見、普通そうに見えるけれど。
 窓越しの景色を、上に見たり下に見たり、目線がコロコロ変わる彼女は、突然、大きな溜め息をついた。
 余りにも素の、包み隠す事もない大きな溜め息に、思わず噴き出してしまった。
 一瞬。
 不謹慎かと思い後悔したが、そうは思わなかったようで、彼女の顔は、只々恥ずかしそうに、赤くなるだけだった。

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 恥ずかしかった。
 誰も居なかった筈だったのに、いつの間にか人が居て、笑われてしまった。
 自分でも、顔が赤くなっていくのが分かった。
 だって、そこに居たのは、少しだけ色白だけれど、背が高くて、いかにもモテそうな男の子だったから。
「噴き出して、ごめん。余りにも、正直だったから、つい――」
 そう言って、自動販売機でジュースを買って、私に、「飲む?」と差し出してくれた。
 デイルームのテーブル席に座り、話し始めた。
 彼は、同い年だった。
 隣街の、中学校。
 私が幼いだけなのか、同い年のはずなのに、彼はどこか大人びている、そんな雰囲気だった。

         
         ✿✿✿

 余りにも真っ赤になっている彼女を見て、笑ってしまった事を申し訳なく思い、自動販売機で飲み物を買って勧めた。
 すると、「あ、ありがとう…」と言って、彼女は受け取った。
 歳が近そうだから、少し話してみたくて、テーブル席に誘った。
 同い年で、隣街の中学校に通っているそうだ。
 はたから見ると、同い年には見えない落ち着いた感じと、少し話し掛けにくそうな雰囲気の彼女だったが、さっきの溜め息と良い、話してみると、年齢相応だったので、良い意味で安心した。
 これが、『ギャップ』というものなのか。
 それに、同年代と自然に話せるのは、久し振りかもしれない。

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 かいくんは、とても話し上手で、口下手な私には、羨ましく思えた。
 きっと、友達も多いのだろうな、と、思った。
 点滴があるから部屋に戻ると言うので、私も自分の病室へ戻る事にした。
 すると、同じ個室の並びの、一つ隣の病室だった。
「遊びに来ても良いよ。勉強とかあるなら、一緒にやろうよ。一応、僕達、受験生だしね」と、言ってくれた。
 私は、「うん、ありがとう」と、答えた。
 櫂くんは、将来、やりたい事とか、あるのかな?
 目指してる高校とか、あるのかな?
 きっと、大人びた櫂くんは、ちゃんと、先の事とかも考えていそうだな。
 聞いてみたいな。
 でも、私は――?
 そう考えてしまうと、櫂くんの病室へは、気軽に行っちゃいけないような、気がした。

         ✿✿✿

 茉吏まつりちゃんが、楽しそうに話しを聞いてくれるから、調子に乗って話し過ぎたかな。
 疲れさせてしまっただろうか。
 挙げ句の果てに、病室に戻る時には、遊びに来ていいなんて、言ってしまったけれど。
 距離感が、バグってしまったのかもしれない。
 でも、聞いてみたい。
 茉吏ちゃんは、受験したい高校とかは、決まっているのだろうか?
 将来の夢だとか、目標だとか、あるのだろうか?
 成績も良さそうだし、やっぱり、進学校とかに行くのかな?
 話してみたいな――
 でも、僕は?
 僕は、この先の人生に、続きはあるのだろうか。

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 二日目の午後。
 やっぱり、櫂くんに、色んな話しを聞いてみたいと思った。
 そして、話しをしてみたい、と、思った。
 病室のドアを開けて廊下に出ると、櫂くんも、ちょうど病室から出て来た。
「あ、」
 お互い、同じ事を言ったから、思わず笑ってしまった。
「今から、空いてる…?良かったら、櫂くんの部屋に、遊びに行こうと思っていたんだけど…」
 私なりの勇気を出して、言った。
「勿論、良いよ」
 櫂くんは快く、応じてくれた。
 櫂くんと、自分の分の飲み物を持って、病室に向かった。

         ✿✿✿

 軽い肺炎だからなのか、微熱程度で済んでいる。先生の言う通り、抗生剤の点滴で、すぐに良くなるような気がする。
 茉吏ちゃんが、どうして入院しているのかも知らないし、僕も聞かずに居た。
 茉吏ちゃんが同じように、聞かないで居てくれる事が、何故か嬉しかった。
 今、何をしているのかな?
 デイルームとかに、居るのかな?
 それとも、検査や治療で部屋に居るのだろうか?
 まあ、いいや。
 気分転換がてら、病室から出て見ようと、ドアを開けて出た瞬間、茉吏ちゃんも病室から出てきた。
 同時に声をあげたから、笑ってしまったけれど、遊びに来ようとしてくれて居た。
 勇気を出して、聞きたかった事、聞いてみようかな――
 茉吏ちゃんが部屋に来るまで、聞いてみたい事を、頭の中で思い浮かべる。

         
         ❀❀❀

 ――沢山、話せて良かった。
 お互い、病気については、聞かないけれど。
 大人びている櫂くんも、実は話して見ると、同じような不安を抱えていて、安易だけれど、とても身近に感じた。
 それからは、退院迄、毎日時間が合えば、一緒に勉強をしたり、話しをした。
 入院している事を、忘れそうになるくらい。 
 櫂くんのおかげで、検査も治療も、頑張れた。
 初めて友達と呼べる、そんな存在に、まさか入院した事で出会うなんて、思っても居なかった。

         ✿✿✿

 病気の事は抜きにして、茉吏ちゃんも、これからの不安を抱えて居た。
 何よりも、同じ年齢同士で、こうやって話せたことが、嬉しかった。
 
 明日の事。
 来月、来年、再来年。
 成人する迄。
 それからもっと、先の事――
 考えないように、どこかで諦めていたけれど、少しだけでも、考えて良いのかもしれない。
 いや――
 悩んでいる時点で、もう、考えているって事なんだ。
 こんな場所で、友達と呼べる相手に会えた。 
 入院も、案外、悪くないのかもしれない。

        ❀✿❀✿

 退院を迎えるまで、あっという間だった。
 きっと一人だったら、もっと長く感じていただろうし、今までと、何も変わらない日々の繰り返しだっただろう。
 
 デイルームの大きな窓から、二人で一緒に外を眺めていると、久々に、晴れ間が見えた。
 そこには大きく、はっきりとした、色の鮮やかな、虹が架かった。ほんの、一瞬で。
 
「あ、見て!綺麗な虹!」
「本当だね、綺麗な虹」
「――私ね、雨、嫌いだったんだ」
「――僕は、雨、好きだよ」
「――うん、そんな気がしてた」
 茉吏ちゃんは、微笑んだ。

 そう――
 雨は好きだ。
 でも、好きな理由は、変わった。
 鬱々とした気分を、他の誰かと同じにして、安心する事じゃない。
 鬱々とした気分も、悩みも、いつか、この虹みたいになる。
 雨はきっと、そんな前触れだから。

 雨は嫌い。
 でも今は、雨は嫌いだった、に変わった。
 水溜りの水が跳ねたって、構わない。
 誰かと見る雨上がりが、こんなにも、綺麗だという事を知ったから。
 悩んで、葛藤したって、構わない。
 雨は、いつか光が見える、前触れだと思うから。

 君がそう言うなら、悪くない――

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