紡ぐ (二)
一度、関わってしまったら、もう、後には戻れないんだよ――
祖父が亡くなり、小さな街の、小さな葬儀社を継ぐことになった、識。
識は、小さな頃から、人には見えないものが見える、不思議な力があった。
その力を必要とされた時、識は――――
二作目
ほどけて、消えて
三番線のホームに入ってきた電車に遮ぎられ、見えなくなった君は、あの日――――
向かい側のホームに立つ僕に、どんな言葉を投げかけていたのだろうか。
それを聞くこともできないまま、君は、居なくなった。
今年の夏は、猛暑という表現が、ぴったりな程の暑さで、蝉は狂ったように鳴き、更に暑さを増幅させている様に感じる。
「――今日も、暑いわね」
たっぷりと氷の入ったアイスコーヒーが、手元に置かれた。
「ありがとうございます。本当ですね、暑さは苦手です」
暦上ではもう秋だろうに、これが異常気象というものなのか。
「九月に入ったのに、まだ蝉が鳴いてるなんてね」
貴子さんは外を見つめながら、アイスコーヒーを飲み始める。
「そういえば貴子さん、明日の事ですが…」
「ああ、そうそう、明日だったわね…。気をつけて、行って来てね」
僕に目線を戻した貴子さんは、労しい表情で、そう言った。
「はい…。すみませんが、宜しくお願いします」
僕は、湧き上がる感情を、貴子さんの入れてくれたアイスコーヒーと共に、一気に飲み込んだ。
命あるものは、いつかは、亡くなる。
それが予め、予測できていたものだったとしても、突然だったとしても。
小学校、中学校時代を、共に過ごした友人が、亡くなった。
本当に、突然のことだった。
友人の、四十九日の法要が終わり、海月みつきと共に、帰り道を、車で走っていた。
夜勤明けの海月は、いつの間にか助手席で、ぐっすりと眠ってしまった。
用があり、立ち寄ろうと思っていた場所に着いても、起きる気配は全く無い。
「海月、ちょっと、待ってて――」
僕は、眠っている海月に声をかけ、車を降りた。
休日の、二十時を回ろうとしている駅のホームには、数える程の人しか居なかった。
その中で、ベンチに座っている男性の後ろ姿を見つけた。
「隆大――」
名前を呼ぶと、ゆっくりと、こちらを振り返ったのは、やはり、友人の隆大だった。
「……識か…。久し振りだな――」
隆大は微笑むが、哀しげな表情だった。
無理も無いか…と、僕は頷く。
「なあ、識…。俺、あれ以来…。何度も、ここに戻ってくるんだ…。」
誰も居ないホームを見つめながら、隆大は言った。
「結衣は、あの日から、どこに行っちゃったんだろうな――」
隆大も、結衣も、海月も。
僕がこの街に引っ越して来てから、ずっと、仲間だった。
高校は、隆大と結衣、僕と海月、という感じでばらばらになり、以前よりも頻繁では無いが、月に何度かは必ず会っていた。
隆大と結衣は、高校の頃から付き合い始めていたので、二人はとても長く、一緒に居た。
なのに、結衣は突然、姿を消したという――
「――隆大。結衣に、会いたいよな」
隆大は、頷いた。
理由が分からず、突然会えなくなったという、哀しみ。
結衣は今、この街に滞在している。
それを、隆大は、知らない。
だが、明後日には帰ってしまう…。
――結衣に、伝えよう。
結衣から、どんな答えが返ってくるか、分からないけれど。
もう一度、二人は会えないだろうか――
僕は、隆大の思いを、胸に納める。
「隆大。また、来るな」
「――ああ、またな」
車に戻ると、ちょうど、海月は目を覚ました。
「あれ…?寝ちゃってた…。ここ、駅…?どうしたの?」
「…ああ…。隆大に、会いに、な」
今回は、海月にも協力してもらおう。
そう思い、経緯を話した。
「…もう…会える訳…ないじゃない…」
結衣は、言った。
海月と結衣は、結衣が帰る前に、会う約束をしていた。
僕からはうまく話せないと思い、隆大が結衣に会いたがっている事について、海月に説明を頼んだ。
説明を聞いても、結衣は半信半疑で、何度か説得をし、会うことになった。
勿論、僕も海月も、一緒に。
結衣が、帰る日、僕達三人は、駅に向かった。
二十一時のホームに向かう階段で、下車してきた人達とすれ違ったが、小さな駅だから、それも徐々に途絶えた。
ホームに出ると、ベンチに座っている隆大が居た。
「――隆大」
隆大に、声をかけた。
すると、隆大は振り返り、驚く。
「――結…衣…?」
「……!た、隆大…!」
結衣は、隆大を見て、震えている。
海月も、同じ様に。
そして、二人共、泣き崩れた。
「隆大…!どうして…置いていったの…!?どうして…!」
隆大は、理解できない、といった表情だった。
だが、徐々に。
表情は、和らいでいった。
「……ああ、そうか…。居なくなったのは、結衣じゃなくて…俺だったんだな――」
――――隆大は、あの日。
いつものように、結衣と出掛けていた。
だが、急な体調不良で、二人は早目に帰宅する事になった。数日前から、体調が良くなかったそうだが、仕事で疲れが溜まっているのだろうと、隆大は軽く考えていた。
『くも膜下出血』――
倒れた隆大は、ちょうど、入線してきた電車にぶつかった。
……そうか……。
結衣があの時、僕に向かって言っていたのは……。
隆大、危ない――
「……ごめんな、結衣。一人に、してしまって…。でも……、結衣が、元気で、良かった。結衣に、何かあった訳じゃなくて、本当に良かった」
そう言って、隆大は、結衣の頬を、両手で優しく、包んだ。
「元気な訳、ないよ…!隆大が居ないのに…!元気な…訳…ない…!やっぱり、あの日…一緒に病院に行けば良かった…!」
病院に行こうと何度も言う結衣に、若いのに、病気なんかじゃ無いよ、と、笑って受け流して居たんだ、俺は――
あの時、安易に考えずに、きちんと病院に行っていれば、未来は変わっていたのだろうか?
少なからず、結衣と…。
結衣の傍に、今も一緒に、居られたのだろうか?
悲しませる事は、避けられたのだろうか?
「……ごめんな、結衣。ちゃんと、結衣の言う事、聞いておけば良かったな……ごめんな……」
後悔ばかりが、押し寄せてくる。
だけど、もうこれから先、結衣の傍に居ることができないのなら…。
そして――
隆大は、僕と海月に向かって、微笑む。
「識も、海月も、今まで、ありがとうな。楽しかったよ。まだまだ、やりたいこと、沢山あったけど…もう、行かなくちゃな。最後に、会えて良かった。二人共、結衣を、宜しく――」
そして、結衣をもう一度見て、隆大は言った。
「結衣、幸せに、なるんだ。俺の事は忘れて、必ず、幸せに――」
ゆっくりと、しっかりと、結衣を抱き締めて。
「隆大…!隆大!行かないで…行っちゃやだ…!!やだあぁぁっっ……」
そのまま、隆大の姿は、見えなくなった――
――月日が経つのは、あっという間だ。
今日は、海月と結衣と、三人で。いや、四人で。久し振りに、会うことになっている。
結衣は、この街に、帰って来た。
待ち合わせ場所、カフェ『Camphor tree(カンファーツリー)』の扉を開けると、海月と結衣は、既に席について居た。
「あ!来た、来た!こっち!」
元気に手を振る海月に呼ばれ、席に向かう。
「久し振り、識、元気だった?」
結衣の表情を見て、僕は、安心した。
「結衣も、元気そうで良かった。少し、ふっくらしたね」
と、言うよりも早く、海月に軽く腕を叩かれ、それは言っちゃ駄目、と、窘められる。
いや、良い意味で言ったんだよ、と言い返したが、結衣は気にもして居ない様子で、腕の中に向かって話しかける。
「だって、沢山食べて、栄養あげないとねー」
結衣の腕に抱かれているのは、『蒼大』と名付けられた、男の子。
大きな目と、長い睫毛。
隆大似のこの子は、これから、沢山の、素敵な出会いがあるだろう。
そして、様々な経験をして、成長して…。
そう、願っている。
「授業参観は、僕が行くから――」
一瞬、しんとした後、二人は笑い始めた。
僕は、真剣に言ったのに。
蒼大も、ケラケラと、笑い始めた。
蒼大の存在を知らずに。
そして、その手に抱くことも叶わなかった、隆大。
いや――
きっと、見守っているよな。
蒼大と、結衣を。
隆大は、きっと。
目頭が、熱くなる。
それを誤魔化そうと窓のほうを見ると、今年初めての雪が、街頭の明かりに照らされ、キラキラと輝きながら、舞っていた。
終
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?