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【ミステリ系】短編

代行さん


ここにひとつの焼死体がある。
俺は困惑していた。
話はひと月ほど前にさかのぼる。
30年も勤めた製造会社の工場をクビになった。
いわゆる人件費削減、リストラである。
高校を卒業してすぐに就職して30年。
これといった特技もなく、俺は途方に暮れていた。  
そんなある日、職業安定所からの帰り道にスマホが鳴った。  
相手は何日か前、居酒屋で出会った赤板という男だった。  
居酒屋で何を話したのかは覚えていない。
気づいたら彼は隣に座っていて、俺は不採用通知の封筒を睨みながら、泥酔していた。  
たぶん、リストラのことも話したのだと思う。
スマホに届いたメールの内容はこうだった。
「その後仕事は決まった? もしまだなら、うちの事務所手伝ってほしいっていうか、できれば代 行してほしいんだけど」
ーー代行?
と疑問を抱きながらもメールを読み進めていくと、赤板は私立探偵事務所をやっており、親戚の結婚式に出席するのに数日海外に行かなければならないらしい。  
代行料は一日三万円。  
着実に減っていく預金口座に不安が膨らんでいた俺は、バカなことに即OKと返事してしまったのだった。
そして今、焼死体のあるこの倉庫で俺は途方に暮れている。  
私立探偵と言っても、映画や小説に出てくるような、難事件を解決する訳じゃない。  
赤板の事務所の人気、得意分野は浮気調査。  
だからこそ素人の俺に代行を任せられた。  
それがどっこいこの不始末である。  
赤板に言われた通りに、依頼人の妻を尾行し、浮気現場の写真を撮る。
撮れなかったら撮れなかったでそれでいい。  
あくまでも俺は不在の赤板の代理で、依頼人の妻をマークすればいい。  
それだけの仕事のはずだった。
しかし事件が起きてしまったからには、この状況を把握しなければならない。  
ブルーカラーで30年、工場でフォークリフトを運転するくらいしか能のない俺だが、俺なりにこの事件を整理してみようと思う。
代行を依頼した赤板はメールの翌日、海外に発った。  
依頼人の情報はすべてメールで共有され、俺は赤板と直接顔を合わせていない。  
メールに書かれた依頼人の住所に赴き、ひたすら人妻が外にでてくるのを待った。  
初日はスーパーとドラックストアに行っただけ。  
専業主婦の毎日は単調である。  
たまにデパートでコスメを買う日もあった。  
そして三日目、人妻が動いた。  
いつものスーパーで買い物中、彼女のスマホが鳴ったのだ。  
買い物をやめた彼女は早足でスーパーを出て、タクシーを拾った。  
俺も慌ててタクシーを捕まえる。
「あのタクシーを追ってください」  
人生で一度は言ってみたかった映画のような台詞に、運転手は少し困った顔をしていた。  
人妻の乗ったタクシーが停まったのは、これまた映画に出てきそうな埠頭にある倉庫街。  
この時点で気づけば良かったのだが、「探偵ごっこ」に夢中になっていた俺は、アドレナリン全開で、尾行にテンションがあがりまくっていた。
浮気相手に埠頭の倉庫街で落ち合う女がいるか。  
そう我に返ったのは、空き倉庫に一人立った彼女が、示し合わせたように振り向き、にっこりと俺に笑いかけた時だった。  
人妻が何を言ったのかは聞こえなかった。  
俺はいつの間にか背後にいた人間たちに襲われ、何か薬のような物をかがされ、気づけばこの部屋にいた。  
赤板とやりとりしていたスマホが見あたらない。  
おそらく処分されたのだと思う。  
指紋はすべて切り取られ、歯も抜かれているようだ。  
おまけに何で焼いたのかしらないが、かろうじて元は人間だったとわかる焼死体だ。  
身元の判別は不可能だろう。
ーーと、その時、部屋のドアが空き、俺は驚愕した。  
そこには俺が追っていた人妻の夫、つまり依頼人が立っていたからだ。  
彼は無表情でどこかで見覚えのあるスマホを俺の足下にころがした。
ーー焼死体になり果てた、俺の足下に。
ああそうか。
と俺はようやく合点がいった。  
赤板はきっと、当分日本に帰っこない。  
もしかしたら永遠に帰ってこないかもしれない。  
赤板が私立探偵をしていたのはおそらく本当だろう。  
けれど依頼人は、この男でも、その妻でもない。  
たぶんこの見覚えのあるスマホの持ち主、赤板自身だったのだ。  
ここからは俺の推測でしかないが、私立探偵はトラブルも多い職業のはずだ。  
赤板は何か、「探ってはいけない案件」  に手を出してしまったのではないだろうか。  
そして自分を「殺す」必要があった。
「お疲れさま、代行さん」  
男がそう呟くのと同時に、パトカーのサイレンの音がした。  
ゆっくりと男は倉庫を出ていく。  
俺の「代行」は無事成功したらしい。  
近づいてくるサイレンの音を聞きながら、俺はいつまでも、自分の焼死体を眺めていた。

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