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【一人称女】短編

愛の数だけ花束を


東京の会社を辞めて、田舎に帰ってきた。
ちょうどひと月になるだろうか。
引退した父から継いだ家業の花屋の店先で、私は一人作業していた。
花の手入れはなかなか根気のいる作業だ。
集中していると、いつの間にか店内にお客が来ていた。
きれいな白髪を後ろでひとつにまとめた、おばあちゃんだ。
どうも、としわくちゃの笑顔で会釈され、私も返す。
「結婚祝いの花束をね、作ってほしいんだけど」
一万円札を差し出す細い指には、年期の入った結婚指輪があった。
うなずいて、私は紙幣を受け取る。
予算はどのくらいかと聞くと、これありったけで。と言う。
私は、こういうのっていいなあと思う。
これだけ歳を重ねても、結婚記念日をお祝いする。
できたら私もそういう相手に巡り会い、結婚してみたいものだ。
なんだか私も嬉しくなってしまって、笑顔で花束を作っていると、散歩にでかけていた父が帰ってきた。
父はおばあちゃんと顔見知りのようで、いつもありがとうね、と言ってから、私の作る花束を見て、おい、なんだ、と顔色を変えた。
「何って、結婚祝いだっておっしゃるから」
そう言った私が手にしていたのは、ありったけの愛の花言葉の花達。
ところが父は、唸って渋い顔をするので、私は困惑した。
何か失礼なことでもしてしまっただろうか。
戸惑っていると、父が私の耳元でぼそっと言った。
「そのご主人、去年亡くなってるよ」
えっ、と声が出そうになって私は口に手をやる。
そこで、おばあちゃんは甲高い声で私たちの会話を遮った。
「ボケちゃいないよ、そこまでもうろくしたと思われちゃかなわんね」
彼女曰く、今日はこれから亡くなった夫の墓参りに行くのだという。
命日にではなく結婚記念日にだ。
勿論命日にも出向く予定はあるが、どうせ花をこしらえるなら、しみったれた菊だのなんだのより、明るい方がいいだろう。
どっちも永遠に変わらないのなら、毎年命日を嘆くより、結婚記念日を祝う方が、亭主も喜ぶ。
……というのが彼女の言い分だった。
渋い顔のままの父に、おばあちゃんが言う。
「別に死んでまで添い遂げようってんじゃないよ? あたしにだってまだアバンチュールがあるかもしれないしね」
それはそれ、これはこれ。
と、おばあちゃんはウィンクした。
もし彼氏や新しい夫ができても、記念日だけはあの人の妻でいたい。
くしゃくしゃの笑顔のおばあちゃんに、私は少し鼻の奥がツンとしてしまった。
私はこの先、こんな風に誰かを愛することができるだろうか。
東京での人間関係が嫌になり、田舎に逃げ帰った私に。
不安が顔に出たのか、おばあちゃんが私の背中を叩いた。
「愛って言うのはね、わからないもんだよ。何年一緒にいたってね。だからこうやって形にすんのさ。ちゃんと愛してましたからねーって」
おばあちゃんは背伸びをして、私の頭を撫でた。
そしてこんな提案をしてくる。
「いつかあたしが死んだらさ、毎年この日、結婚記念日に、一本でいいからあたしらの墓に花を添えてやってよ」
うなずいた私に、おばあちゃんはにこやかに言った。
「その時は、あんたのいい人も連れてくるんだよ」

(了)

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