ソニー・ロリンズの思想実践 1 考察準備
はじめに
(1)カタカナ表記および呼称等について
タイトルにある「ソニー・ロリンズ」(文中ではしばしば単に「ロリンズ」)は、有名なジャズミュージシャン(主にテナー・サックスを演奏)のSonny Rollins、1930年生まれの、本名Theodor Walter Rollinsのことです。Sonnyは愛称がそのまま芸名(通称)として定着したものでしょう。ジャズ界にあまた見られる芸名のSonnyは、ほぼみんな同じ事情で芸名になっているのではないかと思います。おそらく、非常に若いうちから成人に混ざって演奏活動をした若者が、そのような芸名になりがちだったのではないでしょうか。
Sonny Rollinsという綴りは、やや弾んで歌っているような素敵な字面に見えます。しかし、本稿では、基本的に人名やジャズの用語や楽器名などを、従来の日本での表記に従う形で、カタカナ表記とする方針です。(カタカナ表記が複数通り流通している場合は、好ましいと思うものを使います。)理由は、まず、単純に筆者にとってその方が早くて楽だからであり、そしてまた、おそらく日本語の多くの読み手にもその方がわかりが早いから、です。もちろんカタカナ書きは様々な問題があって、特に実際の(英語の)発音とは大きくずれてしまうのは大問題です。(Sonny Rollinsは字面が弾んで見える以上に、rとllが一個の母音を挟むだけで続く部分は、実際にしっかり発音してみるとなかなか「ロリンズして」ます。)おそらく、英語の人名をカタカナ発音しているようでは、ジャズの何かを聞き損ねているような事が多々あるでしょう。そこを無視して進めることをご了解願います。(尤も、逆にまた、ソニー・ロリンズをSonny Rollinsとしか思えない人たちもまた、ロリンズの何かを捉え損ねているようなことがあるかも知れないわけですが。)
ただし、原語での表記がアルファベットの「v」であるものに関しては、日本での慣例とは関係無く、バ行のカタカナではなく、原則として「ヴ」を用いた表記を採ります。
例;Village Vanguard 「ビレッジ・バンガード」ではなく「ヴィレッジ・ヴァンガード」と表記
もちろん、「v」だけこんな処置をしても全体が正確な発音を表せる訳ではないので、ホントに気休めにさえならないのですが、せめて「v」ぐらいは、ということです。(とは言え、もしかすると原語表記が「v」でも、うっかりバ行で書いてしまうこともあるかも知れません。)
筆者は、カタカナ表記に馴染まされてジャズを聞いてきたクチです。特にLPやCDの帯など、初めのうちは、ちゃんと原語の綴りで書けよ、と思ったものですが、アルファベット表記は字数が多く字が細かくなって、読みにくく探しにくいことに気付かされました。
なお、同一人名が繰り返し頻出する際、フルネームを用いないことが一般に行われています。「パブロ・ピカソ」を単に「ピカソ」、「ジャン=ポール・エマール・サルトル」を単に「サルトル」とする類です。こういう場合、一般的には苗字のみを用いるのですが、ジャズの場合には時折慣例的に固定した呼称が用いられる場合があります。「ソニー・ロリンズ」は「ロリンズ」、「ジョン・コルトレーン」は「コルトレーン」ですが、「マイルス・デイヴィス」は「デイヴィス」でなく「マイルス」が用いられるのが通例です。こういう、いわば業界内の呼び方の慣行を無批判に受け入れるのは考えものですが、本稿では一応、この国のジャズ・ジャーナリズムの習わしに従うことにします。その方が、従来ジャズに親しんで来た人々にも問題を共有してもらい易く、ジャズに馴染みのない方々も本稿に接したのちスムーズにジャズをめぐる様々な言説に入り易いと考えてのことです。(もっとも、マイルス・デイヴィスを「デイヴィス」と呼ぶことは、筆者の長い習慣からなかなか難しいというのが最大の理由ですが。)
チャーリー・ミンガスCharlie Mingus と通称されているベーシストは、バンドメンバーに「俺のことを『チャーリー』と呼ぶな。『チャールズ』と呼べ。」と言ったそうです。確かに本名はCharles MIngus なのですが、ほとんど常に愛称のチャーリーの方が用いられ、チャーリー・ミンガスが芸名のように扱われています。チャーリー・パーカーCharlie Parker (本名Charles Christopher Jr. Parker)も同様です。「チャーリー」も大変多い愛称なので「チャーリー」だけではどのチャーリーかわかりません。(チャーリー・パーカーの生涯をもとにした、クリント・イーストウッド監督の映画『BIRD』で、まだ駆け出しの頃のパーカーがジャズクラブの店主に「どこにでもいるチャーリーだ」と嘲笑されるシーンがありました。)ジャズファンの間では「チャーリー・パーカー」でなければ愛称の「バード」Birdというのが一番通りがいいようです。(もちろん、彼を話題にしている最中なら「パーカー」だけで通じるでしょう。)こうした例を含め、本稿では、人名は全て、通り名で表記します。デユーク・エリントン、カウント・ベイシー、ディジー・ガレスピーといった調子です。
(2)思想?
まず、タイトルを見て失笑された方は決して少なくないでしょう。
これが、例えば「ジョン・コルトレーンの思想実践」というなら一応わかる。だが、ソニー・ロリンズに思想なんか無いよ、と。
しかし、特に最近、筆者は、コルトレーン John Coltraneに思想があったとは言い難いという思いに傾いています。(「またぞろコルトレーンとの対比かよ。いい加減にしてもらいたい。」という人は多いでしょう。筆者自身、コルトレーンとの比較でばかりロリンズを語るようなかつての風潮にはうんざりさせられました。しかし、一応、ここは、ジャズに関して「思想」らしきものが盛んに語られた事例として、コルトレーンに言及させてください。)彼には、際立った「生き方」があったのは間違い無いし、その生き方の反映が彼のジャズだったと思います。(いやむしろ、彼のジャズの反映が彼の生き方だったと言いたくなるくらいです。)その類まれな求道性をしかし、彼の「思想」として語る事は、筆者には躊躇されます。「神に向かって吹き続けた」と評されたりもするコルトレーンですが、彼の音楽活動の展開に「思想」を読み取り、その思想と結びつけて彼の音楽活動の具体的場面を語ることは、実際にはなかなか困難ではないかと思います。少なくとも筆者には不可能に近いと思えます。もし、「思想」の文脈でコルトレーンを語るとすれば、コルトレーンは思想をもって音楽を追求したのではなく、常に思想の一歩手前の地点にいて、思想を拓こうとするかのように懸命に音楽したのではないか、そこに彼の、稀有にしてかつ過剰な誠実さの迸る音楽があったのだろう、と言うのが妥当に思えます。(*1)
この発言は、ジャズの新しい様式や演奏法の創出について(おそらくは特に文学との対比を念頭に)言われたものだったと記憶しますが、広く音楽活動全般に渡って、かなりの程度まで当てはまるものではないでしょうか。
留意したいのは、上の言説がまさに当てはまるような活動や作品の方が、そうでない活動や作品よりも音楽的に優れていると評価される(または評価できる)ケースが圧倒的に多いことです。筆者はクラシック音楽には全く蒙いのですが、モーツァルトやショパンが自らの倫理思想を反映すべくあれらの作曲をしていたとは考えられません。(その証拠に、と言ったらおかしいですが、彼らの記譜した音の配列を倫理思想に翻訳することは不可能です。)むしろ、倫理思想などに邪魔されていたら、あのように過去の音楽遺産の必然的かつ偶然的な十全の開花を齎すことなど出来なかっただろうと思われます。(*3)これを要するに、音楽は言葉ではないから、音楽の中に思想は無い、ということになるかと思います。
引用1は、多くのソニー・ロリンズ愛好者には、ロリンズの音楽活動にももちろん当てはまると受け止められることでしょう。例えば油井正一が「歌もののうまい50年代ロリンズ」という時、それは、1950年代のロリンズが、大衆的歌謡を素材に優れたジャズ演奏を聴かせた、というような意味でしょう。では優れたジャズとはどんなジャズでしょう?歌ものが「うまい」とはどのようなことを指しているのでしょうか?これは大変説明の難しいところでしょう。が、聴き手が「うまい」と感じるのは、一般的には「とてもいい感じで音楽特有の魅力を呈示してくれているように聞こえる」ぐらいのことでしかないはずです。そこに何かの「思想」があるなどと感じているわけではもちろんないでしょう。
同様に、「豪放磊落」だとか「男性的なトーン」とか「悠揚迫らざる」とか「ユーモア感覚」とか「バリバリモリモリ吹きまくるハッピー・ロリンズ」あるいは「最後のモダン・ジャズ・ジャイアンツ」といった紋切り型の評言は、ロリンズの音楽を何らかの「思想」の発露と受けとめての言葉ではないでしょう。ソニー・ロリンズの音楽に「思想」を云々する必要は誰も感じていないように見えます。それどころか、「ロリンズの楽しい音楽に『思想』なんて穢らわしいもん持ち込むなんざ、ジャズ聴きの風上にも置けねえ」と息巻くロリンズファンも少なくないかも知れません。
そのように、ただ純粋にジャズの魅力を満喫させてくれる、(あるいは、見方によってはジャズの魅力を自らほとんど放棄してしまうに至った)とお考えの向きも多いソニー・ロリンズの音楽に、彼の思想のありようを聞いてしまう、というのが本稿です。これは、あるいは世界に類例の無い奇論となるやもしれません。
なお、予め断っておきます。ロリンズは一時期薔薇十字会に入ったりヨガや東洋思想(特に禅)に関心を示したりしたようです。こうしたことは、もしかすると本稿の主題内容に無関係ではないのかもしれません。(おそらく何らかの関係はあることでしょう。)わたしたちは、このようなロリンズの行跡から、彼の思想を憶測することはいくらでもできるでしょう。しかし、そのような憶測を述べることが本稿の趣旨ではありません。なぜなら、わたしたちにとって意味があるのは、ロリンズの音楽の聴こえ方だからです。わたしたちは彼の音楽から聴き取れる彼の思想を汲もうとするのであり、憶測される彼の思想から彼の音楽を解説しようとするものではありません。この点、ロリンズは一種の潔さがあり、自分がどのような思想に基づいて音楽をやっているかをほとんど語りません。それこそ、なぜ自分の音楽がこのようになるのかを熱烈に語ったコルトレーンとは大きく違っています。
ここでは、あくまでもロリンズのサックスから奏でられた音楽の聞こえ方によってのみ、彼の思想を考えます。
(3)誤解がひらく世界
さて、本稿のテーマですが、ジャズの巨人と言われるソニー・ロリンズの音楽に思想を聴くなどということがなぜ起こってしまうのでしょう?
この論考の内容は、おそらくは筆者の誤解と思い込みに端を発しています。その意味では、筆者の個人的体験と個人的感覚・個人的考察の域を一歩も出ないものです。流行りの言い方をすれば「それってあなたの感想ですよね」と言われても仕方がありません。(しかも、由々しきことに筆者は音楽に関しては無知そのものと言うべき完全なド素人です。すなわち、本稿の骨格になっているのは、音楽に疎い者がたまたまある音楽に出会ったせいでそこに重要な意味を勝手に受け取ってしまった、という類の、いかにもありそうな錯覚であるかもしれません。筆者とロリンズの音楽との出会いについては、「ロリンズとの邂逅と対話」篇に詳述する予定です。)ただそれでも、この思い込みが、同時期に聴いた他のミュージシャンの音楽では起こらなかったのに、なぜロリンズで、そしてロリンズでだけ、起こったのか、という問題は残ります。そこには、誤解なら誤解を筆者に生じさせるだけの、他のミュージシャンに無い特徴があったからだ、ということは言えるでしょう。
そして、強調してみたいのは、筆者が、この思い込みを後生大事に抱えたまま、それをほとんど修正する必要を感じることもなく、ロリンズの音楽の変遷と展開を追いかけることができた、という事実です。ロリンズの音楽は、彼の批評展開を「理解」する必要があるような変遷を遂げたのであり、そこにはロリンズの倫理思想(あるいは少なくとも倫理感覚)がある、というのが筆者のロリンズ理解です。
もちろん、さすがの筆者も、ロリンズの音楽活動の「根底」に倫理思想があった、とまで主張するつもりはありません。その「根底」にあったのは、サクソフォンsaxophone(略してサックスsax)を吹奏する悦び(と、サックスを演奏する以外に自分の生きる術と生きる意義とを思い描き得ない苦しみ)でしょう。もし、彼に倫理思想があったとすれば、それは、その音楽のあり方を決定づける大きな要素としてあった、というべきでしょうか。
本稿におけるロリンズの「思想」は、筆者自身の(おそらくは愚かな)指向によって捉えられたものです。それを「筆者自らの声と言葉と口調で、筆者の歌として歌う」ことは、大変難しいことですが、まだしも実現の可能性があるかもしれません。しかし、ロリンズの「思想」を、誰でも読み解ける類いの言葉で、誰でもロリンズの音楽を聴いて確認・検証できるように、いわゆる客観的な記述の形で叙述しようとする本稿のような試みは、本来完全に無謀な企図だと筆者には思われます。げんに、これまで筆者は周囲のどんな人にもロリンズの「思想」を語ることができませんでした。が、このように「平たい」言葉で語れない限り、ロリンズの音楽はついに「思想」として聴かれることができないのではないかと思われます。
(3)音楽の素養も無く
上にちらりと述べたように、筆者には音楽の素養というものが完全に欠如しています。クラシック音楽に蒙いことはもちろん、音楽史にも楽理にもまるで通じていません。さらに遠慮無く白状させて頂くなら、天下無敵の大音痴です。そんな奴がなぜモダンジャズの巨人について語るんだ、とのご批判は甘んじて受ける他ありません。
しかし、ジャズと呼ばれる音楽は、少なくとも1970年代頃までの日本で見ると、筆者とさして違わない人々によって楽しまれていたように思われます。
周囲の人間とジャズについて語っている時、楽理を振り翳して来る人は殆どいませんでしたし、音楽的素養が乏しいから話に困るなどということはまずありませんでした。
確かにジャズジャーナリズムでは、コードやモードやフリーという用語は頻出していましたが、それ以外に取り立てて楽理がらみの話が出るわけでもなく、むしろ、雑誌などでは「ブルースとは何か」といった類の初歩的解説が企画されたりしている有様でした。そして、大半のレコード・レビューは、そのレコードがどんな印象を与えるか(あるいは聴き手の精神に何をもたらすか、や、他のレコードとどんな特徴の違いがあるかなど)、を中心に展開しているように見えました。
すなわち、ジャズは、楽理に拘らないジャズ愛好家によってその楽しさが語られ、ジャズ好きは音楽の理論に頼らずジャズの聞こえ方を楽しんでいる、と見えました。そこには一種の「精神論」的な風土こそあれ、音楽に関する素養が必要だという空気はありませんでした。これはこれで大変健全な事態と言えるように思います。音楽の楽しみ方は、このように始まり、このように終わるのではないでしょうか。(これは裏を返せば、愛好家たちは、実際のジャズ・ミュージシャンたちの瞬間瞬間の音符選択とは完全に隔たった地点で、しかもその音符選択をあたかも我がことのようにわかる思いで楽しんでいた、ということになるでしょう。そんなことが成立するのがアートという世界だと言えます。)
そして、筆者には一つの仮説があります.
「ソニー・ロリンズの音楽は、常に音楽ゼロの地平から立ち上がろうとしているのではあるまいか」という仮説がそれです。(このように言えば、それは大半の優れた音楽家に共通なことだ、という指摘が上がるかもしれません。筆者の言う意味は、大半の優れた音楽家たちは、音楽ゼロの地平から行動を起こす時、「どんな音を出せばそれが優れた音楽として機能しうるか」というような探索をするであろうのに対し、ロリンズは「出したい音を出すと、それは音楽になるものなのだろうか」というような想いになってしまうような音楽態勢のことです。)
「人がミュージシャンになるのは、誰かの音楽を聴いたからだ」という、よく言われる真実があります。音楽を全く聴かずにミュージシャンになるということは、考えられないでしょう。
そして、誰かの音楽を聴いて音楽を始める時、かれ(彼や彼女やを含めて「かれ」と記します。元々日本語の「かれ」は男性に限定される代名詞ではありませんでした)は、どのような音楽を実践するでしょうか?非常に多くの場合、おそらく聴いた音楽を真似るでしょう。これをもう少し敷衍すれば、ミュージシャンは先行する音楽を前提として(言い換えると、先行する音楽土壌の上で)音楽活動をするでしょう。この時、かれの音楽を楽しむだけにとどまらず、かれが「何をしているのか」をとらえるには、しばしばその先行する音楽のありようを知っていることが必要になります。
しかし、ソニー・ロリンズにあっては、事情がどうも少し違うように思われます。
もちろん彼もまた、先行するジャズミュージシャンの演奏を聴いてジャズを演奏するようになった一人でした。ニューヨークのジャズクラブで、(子供は中に入れないから?さらに入場料も払えないから?)その戸口に佇み、ドアの隙間から漏れてくるコールマン・ホーキンスColeman Hawkinsのサックスの音に耳を傾けながら、「これは何だ、何なんだ」と心の中で呟いていた子供が、憧れのサックスを手にした時の喜びは想像に難くありません。そんな“Sonny”(「坊や」)が、やがて演奏し始める時、普通なら「ホーク(ホーキンスの愛称)のように」サックスを吹こうとするのではないでしょうか。
あるいは、もう少し長じて、レスター・ヤングLester Youngになつき、その最期にはずっと一緒にいてやりたいと思った、と述懐したほど敬愛してやまなかったレスター(*8)のようにサックスを吹くのではないでしょうか?
……実は、ロリンズは記録された最も早い(10代の)演奏からすでに、ホークともレスターともはっきり異なる特徴を聴かせています。やがては一種の類似性を帯びるワーデル・グレイWardell Grayやデクスター・ゴードンDexter Gordonとも違う特徴です。これは、単に技術が未熟で、尊敬する先輩たちのような演奏ができなかっただけなのでしょうか?筆者の考えは少し異なります。
ロリンズは、ホークやレスターの演奏が自分にもたらした効果を反芻し、音楽不在の空間に音楽という行為が顕ち現れるとき、人間に何が起こるのか、という、その点に思いを巡らし続けたのではあるまいかと思えてなりません。繰り返しそこの不思議に立ち返り、その不思議を片時も忘れまいとしていたのではないか、と思われるのです。言い換えると、ロリンズにとって音楽は無条件の前提ではなく、したがって「よりよい音楽」や「より美しい音楽」ではなく、まず無音楽状態から「音楽というもの」が立ち上がることの最も基本的なおもしろさと悦びこそが大切なものであった、と思われるのです。ミュージシャンとしてスタートしたばかりの頃から、押しも押されぬ名声を確立した後々に至るまで、ロリンズのあらゆる時期に渡って一貫して演奏の底を流れ、折に触れて表面におどけた顔を出す、一種の幼さ・素朴さは、そこから説明できるもののように思われます。
音楽という幼く素朴な喜びを、時代の複雑な文化状況の中で聴き取れるように、恐ろしく複雑な形で繰り広げるほかなかった生涯、それがロリンズの演奏家としての生涯だ、と言えるのではないでしょうか。
そして、もしこの理解が外れていないとすれば、筆者のように、ほとんど音楽ゼロの環境で育ち、成人して後も絶えず音楽と非音楽との境界を浅く去来している人間もまた、「ロリンズの特質」について語る余地がありはしないだろうか、と思われるのです。
ソニー・ロリンズはどこにいるか
記録された音楽
ソニー・ロリンズはどこにいるか?この問に対する筆者の答えははっきりしています。
これを書いている現在、すなわち西暦2023年9月末の時点で、齢93歳のロリンズは未だアメリカ合衆国内に生きています。(その詳細な居住地を筆者は詳らかにしません。)その生きている人にずっと付き添っていたい、という思いは筆者に確かにあります。しかし、たとえ彼の尊い身体がそこにあるとしても、わたしたちの聴き込む音楽の表現主体としてのロリンズはそこにはいません。
ジャズファンと言われる多くの人々にとって、ソニー・ロリンズはどこにいるでしょうか?昨今のロリンズの語られ方からすると、多くのジャズファンにとって、ロリンズは1950年代のレコードアルバム群の中で、ハード・バップと通称される様式のジャズの魅力を滾々と溢れさせて熄まないのではないでしょうか。「モダン・ジャズ史上に燦然と輝くソニー・ロリンズの最高傑作」(*4)と謳われた『サキソフォン・コロッサス』“Saxophone Colossus”を初めとするアルバム群(*5)は、確かに「ソニー・ロリンズの時代」(*6)を私たちの耳に響かせてくれます。
いや、そうではない、という少数派もあるでしょう。ロリンズの真価は何といってもインパルス時代の傑作『アルフィー』(“Alfie”)だと。いやいや、それも違う、実はマイルストーン時代のライヴ盤『カッティング・エッジ』(“The Cutting Edge”)こそはロリンズの名演中の名演だ、という人も、稀にはあるかもしれません。この辺りからは議論百出して、”Easy Living”だ、“Sonny Rollins +3”だ、“The Solo Album”だ、“Milestone Jazz Stars in Concert” だ、いやいや、実はRCA時代の“What’s New”こそロリンズだ、それを言うなら“Our Man in Jazz”だろ、などと収拾がつかなくなることでしょう。
ここまでの議論には、一つの誠実な共通項があります。それは、ロリンズの価値の精髄は彼のアルバムで聴くべし、という態度です。これは誠実であるばかりではなく、極めて現実的な指針でもあります。存命中のソニー・ロリンズに面会しても、その音楽の核心を感得するのは至難でしょう。ならば、既に演奏活動を退いてしまっているソニー・ロリンズの音楽は、彼の演奏の記録に頼って鑑賞する他に手だてがありません。すなわち、音楽表現主体としてのロリンズは、彼の数々のアルバムの中にしかいない、というわけです。そして、私たちにとって繰り返し確認できるロリンズとは、それらのアルバムにおいて展開されている不思議な時間芸術であることは否めないでしょう。
実際、本稿においても、その音楽を語るときには、現実にはアルバムを例に挙げる以外に誰もが確認できる演奏例というものは示し様が無いわけです。
日本でロリンズの音楽が聴かれ始めてから少なくとも20年ほどの間、ソニー・ロリンズを聴くということは、実質的には、彼のアルバムを聴くことでした。(これはロリンズに限ったことではありません。ジャズを聴くことは、ジャズアルバムを聴くことであり、ジャズを論じることは、ジャズアルバムを論じることでした。ロリンズや、とりわけマイルスやコルトレーンの音楽的変遷は、アルバムによって辿られていました。そして、アルバムという「作品」を批評することが、ジャズを批評することでした。)これは当時の日本のジャズ事情からすれば致し方のないところでした。
これに対して、確か1990年前後だったか、来日した折に、ロリンズが「日本人はアルバムを重視し過ぎる」と苦言を呈しました。ロリンズのジャズ活動を、アルバム作成活動と同一視してしまうという、今日からするとほとんど心得違いと断罪すべき事態に対しての、ロリンズの抗議だったと言えましょう。当時の日本人からすると多少驚かされるようなこの発言は、むしろ、日本人のアルバム偏重に対するロリンズのごく当たり前の反応だったと思われます。
音楽記録以外の情報・記録・経験・記憶
ただ、さまざまなアルバムや、さらには若干のライヴ映像の音源に触れるにしても、わたしたちはそうした音楽活動中のロリンズの演奏だけをソニー・ロリンズだと思っているかと言えば、必ずしもそうだとは言えないのが現実でしょう。
わたしたちは、さまざまな媒体によって、数多くのロリンズの写真を見る機会があります。とても1人の人間の写真とは思えないほど様々な顔のロリンズが捉えられています。例えばマイルス・デイヴィスMiles Davisがいつも惚れ惚れするほどに安定して確固たるマイルスの風貌であるのに比べると、ロリンズは、一体どうなってるんだろ、と思われるほど一つ一つがまるで別人のような顔つきだったりします。たとえ時期的に1ヶ月程しか違わないものでも、これほど印象の異なる多くの顔が撮られたミュージシャンは稀ではないでしょうか。それら様々な写真のロリンズは、時にわたしたちのロリンズの捉え方に影響を及ぼしているかも知れません。……ありていに言えば、ロリンズのどんな写真を見ようと、ロリンズのサックスから迸る鮮烈な音は、そうした写真の印象を駆逐するに十分なものではあります。しかし、「ソニー・ロリンズは…」とわたしたちが語る時、頭の片隅にロリンズの顔写真が浮かんでいることがないとは言えません。
写真や映像以上にロリンズだと思えるものとして、インタビューなどの際の実際のロリンズの談話や述懐があります。それが誌面などに印刷されて掲載されているだけのものでも、そしてさらには彼の(一種懐かしい感じの)嗄れ声が記録された音源によってなら尚更のこと、わたしたちはそこにロリンズの真情や思想を聞き取ろうとし、またはその状況でそのような言葉を語る彼の真意を憶測したりするでしょう。談話や発言には、彼の周囲にいた誰彼の聞きとったり記憶に残ったりしているロリンズの発言も含まれるでしょう。
そして、ロリンズに関する夥しい証言や報告や訪問記・会見記やレビューなどの記事や伝説があります。
さらには、現実のソニー・ロリンズを実際に目撃したり彼と握手したり彼にサインをもらったりという経験を持つ場合すらあるでしょう。筆者にとっては、夢の中で筆者のために目の前でサックスを吹いてくれた時の音色すらソニー・ロリンズです。
ジャズやロリンズに関心を持って生きていれば、こうした、デジタルとアナログとを問わぬ、また言語と非言語とを問わぬ、更には現実と夢想とを問わぬ、あまたの情報や経験は、知らず知らずわたしたちのロリンズ観の形成に影響することでしょう。
ひとりのミュージシャンについて考える時、わたしたちはつい、これらと音楽とをごちゃ混ぜにした形でその人を捉えてしまうことを、完全に避けるのは、今日では実質的に難しいと言わざるを得ません。本稿で考えたいのはあくまでも音楽活動主体としてのロリンズで、そこの判断に挟雑物を紛れ込ませたくはありません。しかし、筆者が時として叙述の中でこうした様々な情報などに触れることがあるのはお断りしておかなければなりません。それは、それら音源以外の情報によってロリンズを捉えているからではなく、それらに触れる方が議論をわかりやすくできる場合があるからだとお考えください。(話のついでにお断りします。ロリンズをはじめ、さまざまな人物の談話の類などを引用するとき、それが厳密にいつどこに発表されたものかを、本稿ではいちいちきちんと記しません。これはひとえに、筆者がそれを確認する手間を省くためです。)
しかしそれでも、例えば実際のロリンズと握手した、会話した、というような生々しい体験や記憶であったにしても、筆者はそこに本稿で考える音楽家ロリンズがいるとは思いません。(実は筆者はロリンズと会話し握手しサインをもらっていますが。)ここまでに述べた、演奏の記録、様々な情報のどこにも、筆者の考えるロリンズはいません。
では、本稿のソニー・ロリンズはどこにいるのか?
この答えははっきりしています。
Sonny Rolllins on the Stage before the Audience
ソニー・ロリンズは、ライヴ演奏のステージ上にいます。
これは、とりわけ1979年以降のロリンズのライヴに実際に接した人の多くが無条件に同意されるのではないかと思います。念の為に付け加えますが、ここでいう「実際に接する」とは、ロリンズのライヴ会場に足を運び実地にその生の演奏をリアルタイムで聴いた、ということを意味します。
もちろん、少数派だとは思いますが、この言い方には否定的見解の人もあるだろうと判断せざるを得ない材料を、筆者自身が持っています。
1986年、ロリンズが某地方都市の大きなホールで公演を行いました。その時、筆者は最前列と最後列のほぼ中間よりも僅かに後ろよりの、ステージ中央から見てセンターラインより30°ほど右にずれた座席で公演を聴きました。筆者の座席の前の座席とその右隣の2座席に、初老と思しき2人の男性が陣取っていました。インターミッションの後、筆者の前の座席が空いていましたが、曲の切れ目になると、その座席にいた男性が姿を現し、もう1人の連れに「おい、おい、こっちへ来い。1番後ろの方がよっぽどよく聞こえる。ここで聴いてても、何をやってるかさっぱりわからん。」と(そんな内容を実際にはその土地の訛りを遺憾なく発揮して)言います。そして、2人連れ立って最後部の座席脇の通路に立って聴いていました。
ははあ、と私は覚りました。……おそらく、この2人は1950年代のロリンズのアルバムを聴き耽ったロリンズファンだろう。この大会場の、大スピーカーから飛び出す各種楽器の混然となった音響の洪水から、50年代のワンポイントマイクで拾われたロリンズの幽玄の響きが聞こえないことに苛立っていたに違いない……。
おそらく、それまで、この2人がロリンズを聴いたのは、自宅か友人の家かあるいはジャズ喫茶のオーディオ装置でのことで、一緒に耳を傾けるのは多くても十数人という規模だったことでしょう。大会場の、ステージからはかなり隔った席で聴く、大スピーカーからのPAを駆使した音は、「こんなものはロリンズじゃない」と思われたことでしょう。彼らにとっては、ロリンズはアルバム「サキソフォン・コロッサス」の演奏にこそ永遠に生きているのでしょう。そのロリンズを生で聴けるのを楽しみに公演チケットを買い、足を運んだに違いありません。
当日のPAは、確かにそんなによくはなかったと思います。少なくとも、その前日、東京・新宿の厚生年金会館大ホールの、最前列ほぼ中央の席で聴いた音に比べると、ずいぶんぼやけくすんだ音に思われました。しかし、PAなどどうでも良かったのです。その日のロリンズは前日よりも更にスケールの大きい絶好調のパフォーマンスを繰り広げました。まるで新宿と地方都市との地域性の違いに対応するかのように異質の演奏をそれぞれ見事にやってのけるロリンズに、筆者はこれでこそロリンズだと感銘を新たにしたものです。筆者にとっては、この日の演奏は、ロリンズらしさの一精髄を満喫できた、決して忘れることのできない演奏です。
そう、ソニー・ロリンズの、1979年以後のライヴは本当に圧倒的でした。(*7)
私たちはそこで演奏された音の一端をCDその他の音源(しばしば映像付き音源)で確認することができます。しかし、もしできるならば、その音源の演奏会場でその演奏を聴いた人に、「これがあなたがこの時聴いた演奏か」と確認してみてください。おそらく、そう尋ねられた人は、100人いれば100人全員が「確かにこの演奏だったろうが、しかし、実際の会場で聴く感じはこんなもんじゃなかった、全然違うものだった。あの凄さは、とてもこの収録音源(や映像)ではわかるものではない」と答えるだろうと思います。(*9)
ここが大切な点です。
ソニー・ロリンズの生のステージに接したことのない人でも、ロリンズの音楽を楽しむこと、それに感嘆したり感動したりすることは、もちろん大いにできます。ぜひそのようにして頂きたくて、筆者は本稿を書いています。そこからロリンズ音楽の本質を捉えることも出来るかも知れないし、もしかするとロリンズの価値を誰よりも深く捉えることさえ出来るかも知れません。
しかしそれでも、と、あえて言わないわけにはいきません、ライヴステージに実際に接したことのない人は、本当のロリンズを知りません。どんなに優れた録音や映像で、どんなに優れた音響装置音響環境で聴いても、ライヴのロリンズの圧倒的パフォーマンスの迫力は経験できない性質のものです。
これを抽象的言い回しで表現しきる能力を筆者は持ちません。やむをえず喩え話でお許し願います。筆名からお察し頂ける通り、筆者の現住所は雪国の某地方都市ですが、この地では、とりわけ冬の晴天の朝または夕方に、息を呑むような山脈の光景に打たれることが何度かあります。その迫力は文字通り筆舌に尽くし難い圧倒的なもので、その山脈に日々親しんでいる住民でもただただ呆然としてなす術を失います。ああ、なんと素晴らしい所に自分は住んでいるんだろう、と何歳になっても感嘆せずにいられません。むしろ、歳とともにその感嘆が深まります。その山々が何か人生の大切なことを教えてくれるとか、大自然の雄大さなり厳しさなり美しさなりを教えてくれるとか、そんなありきたりの生易しい言葉を吹き飛ばすものすごい景観です。この圧倒的な景観を他郷にいる友人その他に伝えようとしても、どんな手段でも絶対に伝えることができません。自分で撮った写真はもちろんのこと、練達のプロが撮った傑作写真をもってしても、または超絶技巧の画家の絵をもってしても、あるいはVR等の最新技術を駆使しても、その気温その湿度の大気に包まれ、その時刻に、巨大な山脈の迫るその距離に立ち、刻々に移ろう空と山々の色や光と影の具合に見とれる経験は、絶対に伝わらないと断言できます。この景観のものすごさを体験するにはここで暮らすしかないのだろうな、と本気で思います。その時間にその空間に立っていなくては経験できないことというのが人間にはあります。
逆に言うと、さまざまな録音媒体でのロリンズの演奏記録に関心が向かない人でも、あるいはこれまでにどのような音楽体験や音楽非体験?を持つ人でも、ひとたびロリンズのあれらのライヴ会場に身を置けば、ほぼ間違いなく、その演奏に圧倒されるだろうと断言できます。本稿の問題にするロリンズは、そのような有無を言わせぬ圧倒的ライヴを繰り広げたロリンズです。
そして、ライヴパフォーマンスに接した誰もが、はっきり思い知ったはずです。ソニー・ロリンズにとって、生きることはジャズを実践することであり、ジャズを実践するということは、ただただ聴衆のいる現場で一期一会の演奏をすることだったのだ、と。ロリンズは、ある時空を他者と共有し、その固有の時空限りでの遊びを他者と共有するために生きて来たのだ、と、おそらくライヴに接した誰もが感じ取っただろうと筆者は確信しています。
なお、本節の見出しを、Sonny Rollins on the Stage before the Audience としていますが、(この2個の定冠詞theに異論が出がちであろうことはともかくとして)ここの前置詞は本当にbeforeでいいのか、という問はあり得るだろうと思われます。職業芸能人としてのロリンズは、とりわけ活動の後期になればなるほど、before the audience という感覚が強かったでしょう。しかし、ステージ上で展開される彼の音の連なりは、among the audienceでありたがっているように聞こえてなりません。その意味では、むしろこの章の表題を、Sonny Rollins among People としたいくらいです。
筆者はロリンズの幾つものライヴを経験しています。そのライヴの記憶は決定的です。ロリンズについて語るとき、そうしたライヴの記憶を離れて語ることは筆者には不可能です。また、10代から80代に至るロリンズの音楽が、最後期の彼のライヴ演奏へと展開してゆく所以を語れないなら、本稿に意義は無いと考えます。アルバムその他記録された媒体でのみロリンズの演奏を聴いて来た方には、納得し難い議論が出て来るかも知れないことは、お断りしておかなくてはなりません。
以上で、本稿の必要な準備はほぼできたことにして良いかと思います。
次回から、ソニー・ロリンズの音楽に何を聴くか、を考察する作業に入ります。
註
*1) これを書いている最中に、雑誌「Jazz Japan」最終号(2023年9月刊)に掲載された次の文章が目に止まりました。これはもちろんコルトレーンの音楽観を示す発言でしょう。思想とはかくの如きを指す、と考える方もあるのでしょうか。筆者にはこれは信仰の領域の発言と思われます。
ここにある有名なコルトレーンの言葉は、この発言の当時おそらく真実そのもののように聞こえたのではないでしょうか。あたかも、 コルトレーンこそがこの宇宙全体を音楽に変換して聴かせてくれる、というふうに多くのコルトレーンファンが思ったかもしれません。(そして、ソニー・ロリンズはおそらくこうしたコルトレーンの発想に馴染めないものを感じていたと思われます。)しかし、落ち着いて考えてみると、 コルトレーンはどうして「宇宙を音で語る」ことができるのでしょうか。われわれの住む宇宙は、偉大ですばらしいでしょうか。そして、それを音楽で語ればこの頃のコルトレーンの音楽になるでしょうか。全世界が反映された音楽、人生の縮図の音楽は、コルトレーンの音楽のようでしょうか。生活の一場面や人間の感情を掬い上げて音楽という言葉に移し変えると、コルトレーンの音楽のようになるのでしょうか。コルトレーンが音楽をやりながらこのような思いでいたとすれば、それは思想というよりは情感や信仰に近いのではないでしょうか。(音楽思想と認める必要はあるかもしれませんが。)
*2) この発言者はマイルスのファンでした。現在、明治学院大学の教授との情報が入りました。アメリカ文学者です。
*3)ただし、彼らが作曲している時、あるいは演奏家が演奏している時、「この音に続く音はこんな音でなくてはならない」とか「ここでの音の配列はこのようでなくてはならない」「この音の長さはこれだけでなくてはならない」といった類の「〜でなくてはならない」が連続する現場に音楽家は身を置くことになるでしょう。この時、音楽家は自らの音楽の実現を完全に自由に決定できるという一種の全能感のような感覚と同時に、それ以外の選択の余地が全く無いという逃れ難い必然の感覚を味わっていると推測されます。このような事態は、実際には、そこまでに蓄積され共有されている音楽の遺産や様式が、表現者の個別的で特殊な経験や意図や嗜好とスパークして新しい音楽が出現していることになるでしょう。音楽表現の現場で生じる、このように非論理的で排他的な表現決定の機能を、筆者は「音楽の中ではたらく、音楽に固有の倫理」、略して「音楽倫理」と呼ぶことにします。これを一般的に拡大して、あらゆる表現行為におけるこうした機能を、「表現の中ではたらく、表現に固有の倫理」略して「表現倫理」と呼びます。(ここで「倫理」という言葉を用いるのは適切とは言えませんが、条理の事柄としてではなく、あるいはしばしば論理を媒介とすることなく直観的に、「これはこうであるべきだ」という当為の事柄としてそれが生じるからに他なりません。言うまでもありませんが、これは人間社界の所謂道徳とは全く無関係です。むしろ、例えば「道徳問題を芸術に持ち込むべきではない」と言った類の判断が生じる場を表現倫理と呼ぶ訳です。)この表現倫理は、表現者の模索の度合いが高まるにつれて急速に高まると言えます。所謂芸術にうるさい人々が絶賛してやまない芸術は、極度に強い表現倫理の結果としての芸術だと言える場合が多いでしょう。(ただし、「強い表現倫理が優れた芸術に直結している」とは全く言えないでしょう。)
この「音楽倫理」や「表現倫理」という言葉は非常に誤解を招き易いので、ここでの文脈を外れて用いるのは危険でしょう。「表現倫理」などという言葉は、一般には、「社会(人々の間)に対して表現が引き受けるべき、表現という行為に対する社会的責任の内容」のように受け止められるでしょう。それは、ほとんどの場合、筆者の謂う「表現倫理」のほぼ対極に位置することでしょう。
*4)まだCDが存在しなかった頃、筆者の買い求めたLPレコードのライナー・ノーツ(筆者は佐藤秀樹氏)の見出しにあった文句。これは「宣伝文句史上に燦然と輝く傑作コピー」だったと見え、その後、アルバム『サキソフォン・コロッサス』が再発売される度に、あるいはこのアルバムが商業的分野で言及される度に、さまざまな場面で(時に多少の変化をつけて)お目にかかりました。ことほどさように、このアルバムは、多くの評者にとって傑作と認められてきた作品です。しかし、もしこの謳い文句に惹かれて実際にアルバムを聴く人がいたりすれば、おそらく、これのどこがそんなに傑作なのか、と拍子抜けされ失望される場合がかなり多いのではないかと惧れます。その意味では、この謳い文句の内容の正否は暫く措いて、あらゆるジャズの謳い文句中で最も罪深いもののひとつと筆者には感じられます。
5)ここで筆者が思い浮かべている1950年代のアルバムとは、以下の様なものを指します。
かっこ内の数字は録音年で、発表年とは大きなずれのあるものもあります。
順序は必ずしも録音順ではありません。
数字の後の人名は、アルバムのリーダーです。(記載無しはロリンズのアルバム)
誤り等発見された方はご指摘願えると有り難いです。
1.Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet (1951 ロリンズの初リーダーアルバム)
2.Moving Out (1953)
3.Thelonious Monk Quintet (1953 セロにアス・モンク)
4.Bag’s Groove (1954 マイルス・デイヴィスMiles Davis)
5.Thelonious Monk and Sonny Rollins (1955 セロニアス・モンク)
6.Work Time (1955)
7.Study in Brown (1955 クリフォード・ブラウンとマックス・ローチ)
8.Clliford Brown and Max Roach at Basin Street (1956 同上)
9.Sonny Rollins Plus 4 (1956)
10.Saxophone Colossus (1956)
11.Brilliant Corners (1956 セロニアス・モンク)
12.Jazz in 3/4 Time (1956 マックス・ローチ)
13.Max Roach +4 (1956 同上)
14.Rollins Plays for Bird (1956)
15.Tour de Force (1956 17.と重複あり)
16.Sonny Boy (1956 16.と重複あり)
17.Collector’s Items (1953, 1956 マイルス・デイヴィス)
18.Tenor Madness (1956)
19.Sonny Rollins vol.1 (1956)
20.That’s Him (1957 アビー・リンカーンAbbey Linkoln)
21.Duets (1957 ディジー・ガレスピーDizzy Gillespie)
22.Sonny Side Up (1957 同上)
23.A Night at the Village Vanguard (1957)
24.Sonny Rollins Plays (1957)
25.Way out West (1957)
26.Sonny Rollins vol.2 (1957)
27.The Sound of Sonny (1957)
28.Newk’s Time (1957)
29.Freedom Suite (1958)
30.Sonny Rollins Brass/Sonny Rollins Trio (1958)
31.The Modern Jazz Quartet at Music Inn vol.2 (1958 モダン・ジャズ・カルテット)
32,Sonny Rollins and the Contemporary Leaders
他に、ブラウン=ローチのバンドの未発表テープが後にアルバム化された“Raw Genius”,“Jams2”, “Pure Genius”“More Study in Brown”の4点などがあります。
この他、番外編としては、ファッツ・ナヴァロの“The Fabulous Fats Navarro vol.1”, “同vol.2”(1947〜1949)、バド・パウエルの “The Amaizing Bad Powell vol.1”, “同vol.2”(1949〜1953)、マイルス・デイヴィスの “Dig”(1951)などが挙げられます。
『ザ・ファビュラス〜』は、夭折が惜しまれるナヴァロの数少ない録音のうちの2枚です。トランペットは奏者による音色の違いが大変大きく、この楽器を好めない人でもナヴァロの音色は支持できるかも知れないと思います。『ジ・アメイジング〜』はモダン・ジャズ・ピアノの本流を拓いたバド・パウエル絶頂期の溌剌とした演奏が収められています。(バド・パウエルは『ファビュラス〜』でも快演を聞かせます。)これらはビ・バップの熱気をまざまざと伝える好盤で、ジャズを語る上では必聴アルバム群と言えます。マイルスの『ディグ』を含め、ロリンズはまだ粗削りで(特に『ディグ』ではリードミスを頻発しています)、後の演奏には程遠いのですが、それでも当時のどのサックス奏者とも違う響きを聴かせます。ロリンズがどのような状況の中からどの様な様相で頭角を表して来たかを知るには貴重です。音質の悪さもあって、今日のジャズに慣れた耳には隔世の感があるのは否めませんが、これらからロリンズを聴き始める人は、以後のロリンズにほとんど失望せずに済むのではないでしょうか。(しかも、『ディグ』や『アメイジン〜』のアルバム・ジャケットはカッコ良過ぎます。)
いかがでしょうか。「ソニー・ロリンズの時代」の雰囲気が多少なりとも感じ取れるでしょうか?
以下、ロリンズに馴染みのない方、ジャズに全く疎い方のために少しコメントを加えておきます。註にしてはコメントが膨大すぎる、というご批判は当然ですが、本編ではここに載せる類のコメントは基本的に述べない予定です。実はこうしたコメント内容を読者とある程度共有することは本編の下地として必要かとも思われるので、ここで処理させて頂く次第です。
もし、これらのアルバムをどれでもオリジナルそのままの完全な形で聴けるとしたら、50年代のロリンズを聴き倒そうと目論んだ場合、どれからどんな順番に聴くのが望ましいでしょうか?これは大変な難問で、ロリンズファンの間でも十人十色の意見が出ることでしょう。ここでは、リストを挙げたついでに、筆者現在のあくまで個人的な提案を参考までに記します。この註はロリンズ考察の場ではないので、紹介が月並みな表現に終始することをご容赦下さい。
筆者の、ロリンズ入門イチオシは、13.のマックス・ローチMax Roachのアルバムです。これはハード・バップジャズの一典型と言うべき凛々しい一枚で、ロリンズの聴ける最もきちんとしたアルバムと言っても過言ではないでしょう。劈頭の『エズ・セティック』“Ezz-Thetic”と、バラードの『身も心も(ボディ・アンド・ソウル)』“Body and Soul”における、ロリンズのどっしり肚の座った音色、潔く迫力ある快演を堪能してほしいです。
次いで、特にクラシック的な嗜好の人には、アルバム・ジャケットに怯むことなく、24.をお薦めしたいです。これはロリンズのアルバムと銘打ちつつ、ロリンズのコンボの演奏は半分しか無く、残り半分はサド・ジョーンズ Thad Jones コンボの演奏で、ロリンズを直ぐに聴き終われるという美点があります笑。この時期にしては音質も良好で、名盤23.の録音翌日!に超マイナー・レーベルに吹き込まれた、聴きようによってはサキソフォン・コロッサスを凌ぐ演奏です。
以上2枚の次が難しいです。どれを聴いても、どこかでロリンズに落胆しないとは言い切れません。
威風堂々、文句言わせぬ名演なら、26.でしょうか。これは、かつて(1960年代?)日本では、ロリンズの名盤の第2位にあげる批評家が圧倒的に多かったアルバムです。(第1位は問答無用で10.です。)2人のピアニスト(セロニアス・モンクとホレス・シルヴァーHorace Silver)が参加し、しかもモンクの同一曲を2人交代で演奏しているという珍しさも話題に上ることが多いです。第一級の奏者ばかりによる、文字通りの名演揃いで、名録音技師ルディ・ヴァン・ゲルダーRudy Van Gelderの代表作の一枚にも上げられる、モダンジャズの大輪の花と言うべき一枚です。ただ、これが今日の聴き手に支持されるかとなると、そこは簡単ではないでしょう。というのは、余りに堂々と立派な演奏が大時代的で親近感が湧きにくく、大向こう受けのしそうな看板みたいな演奏と音響は、聴き手の「ひとりの時間」に親密に訴える感じに乏しく、「私の愛聴盤」というふうにはなりにくいかも知れないのです。(1990年代以降、ロリンズの名演としてこの盤が挙がることはほぼ皆無になったのは興味深い現象です。)ミュージシャンによって演奏される音楽は、奏者と聴き手とのコミュニケーションが成立の本質ですが、26.は聴き手に語りかける様な感じがありません。このことは、1957年頃のアメリカにおけるジャズの聴かれ方(聞かれ方)を考えさせます。何でも、当時アメリカへ行って見た人の体験談では、多くの人がたむろする広大な広場の空の下で、巨大なスピーカーから耳を聾する様な大音響でガンガンジャズを轟かせていたりする様子に衝撃を受けたそうです。そのように聞かれることが前提のアルバムかも知れません。
ここらで、名演の誉高い傾向の演奏から一旦離れ、27.を聴いておきましょうか。これを聴くと、ロリンズのカルさ・いい加減さにがっかりして、ナニこの変なサックス!と、2度とロリンズを聴く気がしなくなる人も多いかも知れません。そもそも肝心のサックスの音が、妙に柔らかい癖にガサガサしているという代物です。しかし、ここが我慢のしどころ。ロリンズの真価を知るコツは、特定の演奏だけを聴いてロリンズはこんなミュージシャンだと決めつけないことです。この一見(一聴)easy極まる選曲とケッタイなノリは、これもロリンズの重要な特質の一面です。実はこのアルバムは、ロリンズの特異なリズム感覚がよく発揮され、かつ後々のロリンズの柔軟で豊かな音楽基盤の形成に貢献した優れた試みのアルバムではないかと思われます。なかなかこの存在意義はわかりにくいかも知れませんが、わかりにくいおかしなアルバムなのだと覚悟し、違和感が湧いても安心して聴いておいてください。ロリンズの変なアルバムを耳にする機会があったら、ぜひ注目して頂きたいです。それはきっとこのミュージシャンが現状を打破するために苦闘している姿だからです。なお、このアルバムにはもうひとつ、重要な点があります。それは、一曲、無伴奏のサックス一本だけのトラック(“It Could Happen to You”)があることです。無伴奏ソロは後々までロリンズの重要な特徴の一つになるのですが、1950年代の演奏は極めて少なく、とりわけこの演奏は大きな起伏を持つ構成的な演奏であり、50年代ロリンズの特徴内では非常に優れたものと注目されます。
次は、だらけついで?に、ここで4.を聴いておきましょうか。「だらけついで、とは何事だ!」とマイルス・ファンには叱られるかも知れませんが、この中の『ドキシー』と言う曲が非常にだらけた表情の曲なのです。しかし、マイルス・ファンが怒るとしても無理はなく、このアルバムはモダンジャズ史上の名盤とされる一枚です。(筆者も大好きな一枚です。)ただし、ジャズにおける「名盤」は、必ずしも感動的名演を約束してくれるとは限らないことを予め肝に銘じておいた方がよいでしょう。もちろん、名盤とされるからには、何らかの感銘や感慨をもたらすものには違いないのですが、それがどんな音楽体験・音楽非体験?者にも直ちに感得できるとは限らない場合も多々あります。
『バグス・グルーヴ』が名盤とされるにはいくつかの理由があります。
第一に、何といってもハード・バップ・ジャズ興隆期の勢いを反映する代表的な一枚であり、しかもリーダーはこの後長くジャズ・シーンを牽引するマイルス・デイヴィスであり、ということは、ハード・バップ特有の「自由さ・大胆さ・大雑把さ」が、マイルスらしく潔癖な美意識で統御されており、聴き手はモダンジャズの核心の初々しい魅力をリラックスして楽しめるのです。
第二に、ここには半年ずれた二つのセッションが収録されているのですが、どちらのセッションについても、参加したミュージシャン達はこの後ジャズ界の屋台骨を支えることになる大物揃いです。(まあ、この時期にはそういうアルバムが量産されていて、26.をはじめ、上にあげた多くのアルバムでも大なり小なり同様のことは言えるのですが。)そう言えばここに収録の2つのセッションも、それぞれモンクとシルヴァーが参加しています。
第三に、ロリンズの参加している6月のセッションには、この後ジャズのスタンダード・ナンバーとして様々なミュージシャンに長く愛奏されるロリンズのオリジナルの『エアジン』“Airegin”、『ドキシー』“Doxy”、『オレオ』“Oleo”という3曲の初演が収録されています。いずれもロリンズの曲の特徴(そのひとつがシンコペーション)がよく出ていて、不思議な曲です。これらのどれか一つでも、むしょうに好きだという人は、おそらく、ロリンズの音楽のとりこになる素質のある人だろうと思われます。
第四に、12月のセッション(俗に「クリスマス・セッション」または一名「喧嘩セッション」)には、尾鰭のついた有名な伝説がありました。(マイルスが「オレのソロの時はバックでピアノを弾くな」とモンクに指示した事実から、話が膨らんで出来た伝説です。)
第五に、アルバム・ジャケットが、多少のeasyさは感じさせるものの、時代の空気と収録演奏の内容との双方をよく反映した、一種優れたデザインで、独特の愛着の湧くものです。
1950年代のプレステッジ・レーベル特有の、安っぽさの印象を拭えない音質も、このアルバムではご愛嬌とすら感じられなくもありません。後の、パンチの利いた演奏はまだ聴かせてくれるに至りませんが、ロリンズは早くも独特のearthyな音色と余りに自然なノリの良さでもって、時代の熱気とニューヨークの文化的混沌の色彩をこのアルバムに加えているように聞こえます。6月のセッションはアルバムとしてはやや添えもの扱いで、ロリンズの演奏時間は3曲合計しても僅かですが、「ロリンズを聴くぞ」と思って聴いて最も失望する怖れの少ないアルバムの一枚かもしれません。
4.の次には3.を聴いておきましょう。これはロリンズを聴くにはやや物足りなさが残るかも知れませんが、モダンジャズ期で最もユニークな光芒を放ったモンクThelonious Monkの瑞々しい音楽を楽しめます。ロリンズも何故かマイルスとの共演よりは伸びやかに演奏を楽しんでいるようです。
モンクついでに、5.と12.を聴いておきましょうか。5.は、モンクが、いよいよロリンズに軽みを加え闊達自在に弾むように歌わせるに至った好盤として、もっと注目されていいアルバムです。3.と5.を聴き、その前後のロリンズを聴くと、実はロリンズをモダンジャズ・ジャイアンツたらしめた最大の功績者はモンクであるように思われます。11.は、ロリンズを把握する上では必ずしも聴く必要のないものかも知れませんが、モンクが管楽器を入れたセッションとしてはおそらく最重要アルバムで、ユニークさではチャーリー・ミンガスの『直立猿人』“Pithecanthropus Erectus”(1956年)をも凌ぐほどの、モダンジャズの必聴盤の一枚です。誰が聴いてもわかるように、ここではアーニー・ヘンリーErnie Henryの水際だったアルト・サックスに比べると、ロリンズのテナーはやや影が薄く感じられ、ここには別段ロリンズは要らなかったのでは、と思えたりもします。モンクの独自性が図らずもロリンズのこの時点での音楽的限界を浮かび上げた格好でしょうか。ただし、それでもここでモンクが起用したのがロリンズだった、という事実は重要でしょう。他のテナー奏者を入れることなど、モンクの頭にはおそらく微塵も浮かばなかったでしょう。当時ロリンズのように吹けるテナー奏者はいなかったのです。
もし、これをも聴いてみようという熱心な人は、この辺りで17.を聴いてしまうのがいいかも知れません。これは不思議なアルバムで、ジャケットを見ても聴くのが躊躇されるのではないでしょうか。ここでサックスを吹いているチャーリー・チャンCharie Chanとは、妻の偽名を使って参加しているチャーリー・パーカーその人です。マイルスはパーカーのバンドに在籍していたことがあり、その縁でここにパーカーが招聘されたものでしょう。そういう「コレクターズ・アイテム」な訳です。ここでの1956年のセッションでは、ロリンズが優れたソロを聴かせます。マイルスもパーカーもいるこのアルバムで、最も鮮やかな演奏をしているのはロリンズのように聞こえてしまいます。
筆者はあまり良い聴き手ではないと思いますが、マイルの進言で実現した、ロリンズ最初のリーダーアルバム1.は、世評の高い1枚です。(例えば『オン・ア・スロー・ボート・トウ・チャイナ(中国行きのスローボート)』“On a Slow Boat to China”など)確かにここではロリンズのあふれる資質と音楽センスの面白さが随所に光り、後年の特徴の幾つかを早くも垣間見せるのみならず、後年には影を潜めるような種類の調子良ささえ聴けます。曲それぞれのテンポの中で当意即妙のアドリブを惜しみ無く溢れさせる様が鮮やかです。ここでは休止符の活用が不思議な難曲“The Stopper”, “No Moe", “Scoops”, “Newk’s Fadeaway”, そしてとりわけ弾みまくるリズムが後年のロリンズをも凌ぐかと思わせる“Mambo Bounce”という、ロリンズの面白いオリジナル曲の快演が聴けます。ただ、後年のロリンズとはっきり違うのは、サックスの音色が浅いこと、低音域の活用が少ないことと、音のメリハリが抑制され、とりわけ強い音のアタックが抑えられ気味なことです。そのため、曲調による不思議なノリなどで体を揺さぶられるような感覚はあっても、吹奏は概ね滑らかに流れる感じになっています。後年のような凄みは感じさせないとは言え、明確な表現意思を漲らせたひとりのミュージシャンが立っています。本文の内容にはやや矛盾するようですが、ここにはレスター・ヤングとチャーリー・パーカー両者の奏法の残響が聴けます。ロリンズ最初のリーダー・アルバムという点に興味が湧けば、一聴の価値のあるアルバムです。
そして、同時にいつか一度は聴いて見てほしいのが、2.です。これこそ50年代ロリンズ開眼の一枚ではないでしょうか。ロリンズを語る際にこのアルバムに言及された例を筆者は寡聞にして知りませんが、ここに紛れもなく50年代の思い切りのいいロリンズがスタートしています。この長いソロをとるロリンズを是非一度聴いてみて頂きたいです。(未だ構成力・展開力?に乏しくて、長いソロが途中から色褪せる様も興味深いですし、この後よくぞあれだけのさりげない色香漂う演奏家になっていけたものだと驚かされもします。)
2.よりもさらに一聴しておく価値がありそうなのは、12.です。3拍子でのジャズがほとんど行われなかった時代に、突如敢然とワルツ・タイムのアルバムを作る、ここにロリンズやローチの進取の意欲を感じます。ローチは溌剌と3拍子を叩き、ロリンズほかメンバーも快調です。(ただ、何しろ50年代バッパーたちの演奏のこと、優雅さよりもノリの面白さにうつつを抜かしている感じなのはお断りしておきます。3拍子をやると「お里が知れる」と言われるかも知れません。これは、ワルツとは上品な趣味のものであるべし、という先入観を裏切る、「雑駁で躍動的なワルツ」です。)
ほぼこのくらいを聴いておけば、あとはどれをどんな順で聴いても、ロリンズの魅力を捉え損ねることは無くなるように思います。聴き落としていけないのは30.です。ジャケットはやや手抜き感が否めず、もの寂しげに見えます。ロリンズはビッグ・バンドを背景に演奏しており、それを好評価する向きもあるのですが、筆者はそれよりもここに収められたトリオ演奏と、そしてそれ以上に無伴奏のソロ演奏(“Body and Soul”)に注目します。27.について記した通り、無伴奏ソロはいずれロリンズにとって必然の形式の一つになりますが、筆者の知る限りでは、27.と30.の二例だけが1950年代の貴重な記録例です。50年代無伴奏ソロの名演を味わって頂きたいです。
更に、聴き逃したくないのは22.です。ここでは、日本でも人気の“On the Sunny Side of the Street”『明るい表通りで』(先ごろのNHKの朝の連続ドラマでは『ひなたの道を』と訳していました。この訳が原詞の内容からして不適切なのは論を俟ちません。『明るい表通りで』が正しいわけではありませんが。)で、ロリンズとスティットという2人のSonnyが痛快なテナー・バトル(バトルという表現はやや不適切です)を展開します。この時代のハードバップ・ジャズにおいて、管楽器の演奏技術とはどのようなものを意味したか、の大変適切な一解答例がここに聴けます。因みに、このアルバムタイトルはもちろん、sunny-side up、すなわち「片面焼きの目玉焼き」、の駄洒落です。御大ガレスピーの両サイドにサニー(Sonny)を配し、二人をフィーチャーした、卵2個の目玉焼き、というわけです。駄洒落の多いヴァーヴのアルバムタイトル中でも出色の出来ではないでしょうか。しかも一曲目が“On the Sunny Side of the Street”と来ています。プロデューサー、ノーマン・グランツの「ジャズは楽しむもんでっせ」と言いたげな得意顔が目に浮かぶようです。名匠ガレスピーのタメの利いたトランペットのアドリブと歌唱、日陰の辛さが体に染み付いているからこその日なたの歓びを、メンバー全員が鍛え抜かれた膝の跳躍力で歌い上げるような一曲を、是非ご堪能願いたいです。なお、このアルバムのメンバーで同じ時に収録されたのが22.です。こちらはスティットとロリンズの二人が同時に演奏するトラックはなく、ガレスピーとロリンズ、ガレスピーとスティットという、それぞれ2管編成の「デユエット」の演奏集となっています。筆者の印象では、21.は興味のある方が聴けばいいアルバムだと思います。
他に絶対に忘れて頂きたくないのは、14.です。タイトルにあるBirdとはチャーリー・パーカーの愛称で、ロリンズがパーカーに捧げたという形のアルバムです。オリジナルLPはA面全体がパーカー作の曲やパーカーの愛想曲のメドレーになっています。ロリンズが語られる時にこれに言及された例を筆者は知りませんが、これは1980年代まで、筆者が最も大切に思っていたアルバムの一枚です。確か1990年前後だったかと思いますが、ロリンズがあるインタビューで、50年代の自分の演奏でいいと思うのはどのアルバムか、と問われました。こうした問いには大抵、「あの頃よりも現在の方がはるかにテナー・サックスの様々な可能性を引き出せていると思う」と反発することの多かったロリンズですが、この時は質問の仕方がうまかったせいか、『サキソフォン・コロッサス』と、「バードの演奏曲をメドレーで吹き込んだ、『ロリンズ・プレイズ・フォア・バード』というアルバム」の2枚を挙げました。当時、真にロリンズを理解できるのは世界中で自分ひとりではないか、と思っていた筆者は、それ見ろ、と胸中快哉を叫んだものでした。
しかし、14.はそんなに素晴らしいアルバムでしょうか?筆者はメドレー中の“They Can’t Take That Away from Me”にシビれて、このたわいない曲の虜になってしまいました。(その後、“Charie Parker with Strings”での、サラサラサラーッと駆け抜けるパーカーのアルト・サックスに驚嘆し、パーカーに開眼しました。)奏者26歳とはとても思えない、落ち着き払って何の衒いもなく曲想をたっぷり増幅してみせる成熟のアドリブは何度聞いても参ります。メドレーは“My Little Suede Shoes”から“Star Eyes”に移って幕を閉じます。この『スター・アイズ』の、音楽の原点と言ってもみたい素朴さをそっと手に掬い上げるような最後に、感嘆せずにいられる人がいるのは筆者にはまこと不思議の眺めです。
28.は近年とみに評価が高まってきている一枚です。迷いのないロリンズの威勢のいい、しかし不思議なリズム乗りの演奏が聴けます。
32.が、50年代最後のスタジオ録音であり、そしてロリンズが2度目の引退(「隠遁」?「雲隠れ」?)生活に入る前の最後のアルバムです。これは関心のある人が聴けば良いと思います。何やら苦味を感じる珍しい1枚。収録された“I Found a New Baby”では、油井正一が「モールス信号ふうアドリブ」と名付けたものが聴けます。何小節にも渡ってシングル・ノートだけを長短自在に吹き続けるアドリブで、のちにこれを活用して大いに聴衆を沸かせることになるものです。
ロリンズ1度目の引退(バンドに呼び戻そうとしてマイルスが探したら、ビルの掃除夫をやっていた、という逸話が残されています)からの復帰を促すことになったのは、クリーンな(麻薬と無縁な)天才トランペッター、クリフォード・ブラウンの存在であったと言われています。これが事実であれば、ブラウニー(ブラウンの愛称)がいなければ後のモダンジャズ・ジャイアンツとしてのソニー・ロリンズは存在しなかったかも知れない訳です。自動車事故で夭折しなければモダンジャズの歴史は変わっていただろう、という人もあるブラウンですが、そのブラウンとの共演盤が8.9.13.及び3枚の発掘盤です。これらはしかし、ロリンズを知る上では、必ずしも聞く必要は無いかと思います。
31.はM.J.Q.との共演ライヴになります。60年代のロリンズに通じる要素が感じられる点で注目されます。60年代のロリンズは、スタジオ録音のアルバムだけ聴くと、50年代との大きな断絶ばかり目立つように思われますが、実はライヴを追跡すると、断絶ばかりではなく、通底するものがあることがわかります。これは60年代と70年代に関しても言えることです。当然と言えば当然かも知れませんが。
ここまで触れていないもののうち、6.,10.,23.,25.,29.は、本編で論じる対象になるはずなので、ここでは言及せずにおきます。もちろん、ロリンズの真価を捉えるためには絶対に欠かせないアルバム群です。
ここまで一度も触れなかったアルバムに関しては、関心の向いた時点で聴きたければ聴けばいいでしょう。聞かなかったからロリンズ理解に欠陥が生じる、というほどのことはないと思います。筆者は20.を聴き返すことはほぼないのですが、こうしてリストを作ると、妙に懐かしさが込み上げます。
6)「ソニー・ロリンズの時代というのがあった」と、油井正一はその著『ジャズの歴史物語』に記しています。それに該当する時期は、1950年代前半のうちに始まり、1955〜1957年にピークに達し、1959年ぐらいまで持続したかと思われます。
7) ここで1979年以後と断ったのには理由があります。1973年の文京公会堂でのライヴは、その後に筆者が体験したライヴとは随分趣の異なるものでした。これについてはいずれどこかで触れるつもりです。が、どんなに以後の演奏と印象が異なるものであったとしても、ロリンズがライヴ演奏をこそ音楽と心得て大切にしているというのは、この時も同様であった、と筆者は考えています。1973年のライヴの後、79年まで筆者はロリンズのライヴを体験していないため、その中間のライヴについて言及できません。
8)レスター・ヤングの愛称は「プレス」Pressでした。サックス奏者のpresidentだ、とビリー・ホリデイBillie Holidayがつけた愛称とのことです。ホーキンスを「ホーク」と呼ぶなら、レスターは「プレス」となる理屈です。しかし、筆者の知るところでは、ロリンズは「プレス」と言わず「レスター」と呼んでいたようです。「最後の頃は、ずっとレスターに付き添っていてやりたいと思ったよ。レスターほどの偉大な芸術家が、あんな惨めな状態でひとりで死んでいかなくちゃならない。ほんとうにつらかった。」と回想したことがありました。
9)このような感想に対しては、一部から反論が上がるかも知れません。その最たるものとして予想されるのが、コルトレーンのライヴを経験した人々からのものです。すなわち、「ロリンズのステージが圧倒的だ」などどというのは、コルトレーンのステージを知らない輩のたわ言だ、コルトレーンのライヴの凄まじさはロリンズのそれの比ではない、というわけです。筆者がこんな予想をするのは、たとえばコルトレーンの「ライヴ・イン・ジャパン」“Live in Japan”などのアルバムに収録された演奏を思い浮かべるからです。このアルバムを聴くと、いったい会場はこの時どうなっていたんだろう、と思われるほどの激烈な演奏の嵐が吹き荒れています。たとえ会場に足を運んでいなくても、その凄まじさはアルバムからでも否応なしに噴き出しています。そして、「アルバムを聴いて、そのステージの凄さが、たとえ実感はできなくとも想像はできる」という、まさにその点が、筆者が強調したい点です。コルトレーンはおそらくこのアルバムで与える印象を何万倍にも増幅した興奮を聴衆に与えたかもしれない、と「想像」できます。それに対して、ロリンズのライヴの記録からは、そのライヴの凄さが「想像し難い」ことが、筆者の力説したい点なのです。これはロリンズの実践した音楽の、一つの重要な特色に関連するものです。それをきちんと解明できるかどうか、現時点ではなんとも言えないのですが、ほとんど筆者の力量を超えた非常に難しい作業であることは間違いありません。
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