岡村智樹(KUN)

《防災は生きること》 そう思い、それを信じて生きています。 赤ちゃんを含む要支援者目線で日々の防災活動に取り組む自称「ローカルジャーナリスト」です。

岡村智樹(KUN)

《防災は生きること》 そう思い、それを信じて生きています。 赤ちゃんを含む要支援者目線で日々の防災活動に取り組む自称「ローカルジャーナリスト」です。

最近の記事

なぜ私が防災の世界に?(後編)

27歳の頃までに想った事が私の人生の転機になる「このままでは救える命も救えない時がくる」 消防用設備とは火災の時に100%の機能を必要とする設備です。それが時期に分かるのですが、メンテナンス(保守点検)の価格破壊により本来必要な点検や手入れがどんどん省かれ、誤作動を繰り返したり違う場所が発報するなど考えられない事象を想定していました。 その後一度は食品宅配業に就職し、札幌市中央市場に朝買い付けしたものをその日のうちにお宅に届けるサービス開発しそれなりに楽しかったのですが、や

    • 私の出来る防災教育 #未来のためにできること

      教育ってなんだろう 教育は私たちの社会にとってとても大切なものです。人々の考える力や判断する力、そして自分の意見を表現する力を育てます。しかし、政治が教育に介入すると、本来の目的が阻まれることがあります。 教育は、自分の考えを持ち、それを自由に表現する能力を育てるべきです。違った意見を持つことや、それについて議論することは、人々の成長や社会の進歩に欠かせません。でも、政治が教育に影響を与えると、自由に意見を言えなくなることがあります。先生や学校が特定の考えを押し付けると、

      • なぜ私が防災の世界に?(前編)

        私が生を受けたのは昭和43年1月。 北海道上川管内の「お米と観光と写真の町」東川町。家が兼業農家の環境でほぼ勉強をすることをしない大自然を相手に自由に生きていました。 高校進学の話題が聞こえ始めたころ、私は農家の世界しか見えず周辺の農業高校の希望はありました。 勉強をしなかったので当然学力はなく、中学生の実力は学力テストの順位が130人中120位程度でした。それでも高校進学の圧力がなくなりもせず、中3の冬頃から2か月間の家庭教師の指導を受けることになりました。 目指していた公

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          防災は生きること

          防災は生きること(挨拶)

          はじめまして。 防災を追いかけて今年(2024年)で38年を迎えますクン岡村です。 高校卒業後、北海道の消防設備業に就職し様々な消防用設備のメンテナンスや工事を行いながら、各事業所の防災訓練の指導に携わりました。 その時に味わった環境に違和感を覚え、まだ学びたかった私は関東圏に移動しました。そこで経験したのが13年前の東日本大震災でした。 震源域からは離れていた関東圏でしたが、被災地の様子や身の回りでの出来事に直にふれ、そのうちに南海トラフ巨大地震の話を聞き始めました。

          防災は生きること(挨拶)