終、忍の半蔵
封魔の双頭、小太郎は不敵な笑みを浮かべる蜥蜴と睨み合う。
どう逃げるつもりだ。弟の大子郎も異変を察知し構えた。
蜥蜴は不敵な笑みを浮かべたまま立っている。
蜥蜴の盗みの技がどういった物なのか小太郎はそれを見たことはない、だがそれがいかなる技であろうと封魔の双頭を前にしているのだ、逃げ果せるわけがない。
だが蜥蜴は逃げるどころか一歩踏み進めた。
小太郎は蜥蜴が向かってくるとは思っていない。
蜥蜴は信康様との御目通りの後なのだ。刀や苦無、寸鉄すら帯びていないはずだ。
そうか。小太郎は蜥蜴の逃げの技が少し見えた。
端から戦う気の無い蜥蜴は逃げるために少しでも身を軽くするのだ。蜥蜴が羽二重の地で盲に苦無を打ったというのは重い鋼を捨てて逃げるためだったのだ。苦無をその場に捨てたら逃げると見抜かれるだろう、だから蜥蜴は一応は苦無を放ったのだ。
苦無を捨てたら逃げを悟られるが、盲に放てば侮られる。侮る者から逃げるのは容易い。そういう事か。
蜥蜴は小太郎に見せつけるようにもう一歩を踏みしめた。
「無駄だ、逃げれるものなら逃げてみせい」蜥蜴の狙いを見透かしている小太郎は言った。
挑発するように更に一歩踏み出したのはこちらをカッとさせるためなのだ。
怒りは時に膂力を増すが身体は硬くなる。あの一歩はそれが狙いなのだ。
蜥蜴などと侮っておったが、あの年まで指の一本も失わずに来ているのだ。
「蜥蜴、歳はいくつだ」
「四ツ半廻り」不敵な笑みを浮かべたまま蜥蜴は答えた。
一ツが十二、四ツで四十八。それに半の六を足して五十四歳くらいだろうという意味だ。生まれを知らぬ黒山置きの歳は曖昧なのだ。
猫でさえ五十年生きると妖気を得て猫又になると言う。
「蜥蜴も五十を越えれば怪異となるか」もう小太郎は蜥蜴が何をしても侮ることは無い。その術を見定めてやろうという構えだ。刀に手を掛けはするが抜きはしない、抜けば追うに邪魔になる。
だが蜥蜴はまた一歩、もう一歩と踏みしめてくる。
横に立つ大子郎が一歩下がり刀を抜いた。咄嗟に小太郎も刀を抜いた。
大子郎は知恵は足りぬが勘は鋭い。その大子郎が一歩下がり刀を抜いた、まさか蜥蜴に恐れを抱いたのか。
「貴様!何者だ!」
「街が見えました」
御者から声がかかった。
「なんや、ええとこやったのに」半蔵は舌を打つ。
「四ツ蔵様、あそこはドルマの街。竜の巣まう地の最初の宿場です」
「なんや嬢、四ツじいでええて」
「私ももう十八です」
「そうかい、好きにせえ」
ちいと前まで儂の団子をねだっておったのにな。孫のように思っていた嬢ももう十八か、儂も歳を取るわけや。半蔵は少し寂しくなった。
半蔵とリンは大西海を渡り竜の国を進んでいた。目指すは遥か西の機械都市という街らしい。
半蔵は竜と聞いて大蛇の身体に麒麟の頭、鷲の脚に珠を持ち空を駆ける姿を想像していたのだが、今、リンと半蔵が乗る車を引いているのも竜なのだと言う。
足の生えた巨大なツチノコと言うか、毛の代わりに鱗を持つ牛と言った感じだった。牛よりも二回りも大きいが牛と同じく草を食むらしい。
二本足で地を駆ける竜もいるらしいし、蝙蝠のように翼を持ち空を飛び火を吐く巨大な竜もいると言う。
「続きは宿で」
半蔵はこの地に渡り牛車ならぬ竜車に揺られる中でリンに己の昔話をしていたのだ。物心ついた頃からの黒山での生活、大殿との出会い、そして一人で関を西に越えてからの事を。
「ええで」
半蔵はそう言って一つ大きな欠伸をついた。
宿屋の食堂では半蔵の出番はなかった。この地は訛りがひどく半蔵では半分も話が出来ない。
ここはリンに任せる他なかった。リンはこの地に二年もいただけにすでにこの地の酷い訛りを苦も無く話している。
「四ツ蔵様、何を食べますか」
「牡丹鍋は、ないやろうな」
「猪はおりませぬゆえ」
「儂はわからん。嬢、頼むわ」
半蔵は初めて竜の肉を口にした。
火の源の国、いや日ノ下の国では肉と言えば雉か猪、それに熊や兎だったが竜の肉と言うのは臭みの無い柔らかい熊肉と言った感じだった。
しかし肉を煮るのではなく焼くと言うのは初めてだった。
「四ツ蔵様、竜の肉はどうですか」
「いや、いけるやんか。そうやあれや、大山椒魚に似とるんや。うむ旨いの」
「それは良かった。この先は牡丹肉も雉肉もありませぬから」リンはそう言って半蔵に肉を切り分けてやる。
「ええで気に入ったわ。しかしこの芥子は日ノ下の山椒とはちょいと違うんやな」
「これは胡椒と言います」
「ほうか、いけるのう」
半蔵は思わずニヤけながら焼けた竜の肉を口に運んだ。
「なにか」
「いやな・・・まあええ」
「なんですか四ツ蔵様、気になります」
「いやな、鍋奉行ならこん肉をどう采配するんかと思うてな」
「鍋奉行・・・あ、高田様」
「せや、これをどう愛でるんかな」
二人は笑い竜の肉を堪能した。
「で、四ツ蔵様、封魔の双頭は」
「おお、ええで」
半蔵は腕を組み話を続けた。
「貴様!何者だ!」小太郎はそう叫ぶと同時に苦無を放った。二本同時に、もちろん殺すつもりでだ。
しかし蜥蜴は苦も無く二本の苦無を素手で払い落した。
蜥蜴はそこで歩みを止め地に落ちた苦無を拾おうと身を屈めた。
大子郎がそこに苦無を放つが蜥蜴はそれをも払い落した。蜥蜴は四本の苦無を拾うとまた一歩、もう一歩と歩み進めてくる。
「苦無は放つんやない、打つんや」
「大子郎!行くぞ!」
猿の小太郎と樋熊の大子郎が一匹の蜥蜴に襲い掛かった。しかし樋熊の轟刀は空を斬り猿の瞬刀は蜥蜴が手にした苦無で防がれた。
「まあまあやな、しかしお前らはなんで二本を差すんや」
小太郎と大子郎は二本差し、太刀と脇差を帯びており大子郎は太刀を抜き、小太郎は脇差を抜いている。
本来、獣の持つ刀に鍔はない。獣が持つ刀は鍔はなく鞘と柄が合うので合口とも言われる。獣は刀を腰に差すことは無く背や懐に忍ばせる。鍔があっては邪魔になる。
「封魔は坂ノ家信康様に仕える忍軍、獣ではない」
「そうそうそれや。何が忍軍や、けたクソ悪い。まあええ、良いこと教えたるわ。坂の信康な、あれはもうすぐ死ぬんや」
「馬鹿な、今頃信康様は名児耶の二山を取っておるわ、石ノ家なぞ踏み潰す」
「いや二山の片は落ちる、石ノ家義経はんが切り均すやろ。なあ、なんで大殿が名児耶を決戦の地に選んだかわかるか、あん人は山を屠に変えるからや」
「義経などが一騎当千などと嘯いても信康様の軍勢は五万を超すわ」
「無駄や。大殿が名児耶に地を求めたのは坂を一纏めにするためや。名児耶には大殿しかおらんやろうな。二山の両は無理やろうが片は落ちるやろ。大殿は一騎当千ではないんや、大殿は万を切り均す山屠者なんや」
「大殿などと、そうか貴様は坂東の忍びか」
「そうや、やっと気が付いたんか。儂が大殿の命で関西を坂の下に纏めてやったんや。名児耶で坂をまとめて切り均すためにや。お前らは大殿の幽世の剣を知らんのやな」
「蜥蜴如きが関西を纏めたなどと!もうよい!死ね!」小太郎は叫び蜥蜴も叫び返す。
「よっしゃ秘術三つ返し受けてみい!」
蜥蜴が同時二本の苦無を小太郎に打った。小太郎は難なく交わすがそこにもすでに二本の苦無が打たれている。小太郎は上に飛んで交わしたところに蜥蜴がさらに上から襲い掛かる。だが四本の苦無は既に使ったはず、返り討ちにと小太郎は構えたが蜥蜴はまだ苦無を手にしていた。
小太郎は斬り捨てようと構えていた脇差で何とか蜥蜴が手にする苦無の刺突を防いだ。宙で翻り地に立った瞬間に丸太で叩き伏せられたような一撃を食らい、吹き飛び地を転がった。
大子郎の剛腕の一撃を食らったのだった。
「大、何を!?」
大子郎自身何が起きたか分かっていない様子で困惑している。
蜥蜴が腹を抱えて笑っていた。
「傀儡の術や」
小太郎は癇筋を浮かべ憤激している。
「お主が大を操ったのか!?」
「そうやて言うてるやろ。まあ、一度しか使えんがな」
何が起きたのか、自身の兄を叩き伏せたとも分からぬ封魔の弟、大子郎は心配そうに兄、小太郎を見ている。
「大!行くぞ!」小太郎は叫び、その声に大子郎が応え蜥蜴に向き直ると小太郎はその背を斬り裂いた。
「兄者!?」驚愕し倒れた大子郎の首に小太郎は脇差を突き立てた。
「許さぬ!!」小太郎は慟哭を叫び苦無を放った。
二本三本、放たれた苦無を蜥蜴は難なく払い落とす。
小太郎は五本六本と放ち、更に放つ。小太郎は都合八本の苦無を放ち、蜥蜴はその全てを難なく落とした。
「飛苦無の術を・・・」そう驚愕する小太郎に蜥蜴は困惑顔を返す。
「は?どこが術や。ああ、これか。ちんまい苦無を混ぜ放ったんか」
蜥蜴はそう言って足元に転がり落ちた苦無の中で一回り小さい苦無を見つけた。
苦無を放り続け、その中にちんまいモンを混ぜる。
こんなもんを術と言うんか。
封魔忍軍などと偉ぶっている割には大した実力は持ち合わせてはいないと見ていたが、これほどとは。
「苦無は放つんやない、打つんや」
蜥蜴はそう言って手にした苦無を打った。蜥蜴の打った苦無は樵が斧を振るったような音を立て小太郎の傍らの立木に半分ほどまで深く突き刺さった。た。
蜥蜴はハッキリと分かった。
封魔と言う獣はたまたま坂ノ家という由緒正しき華族の下にいたに過ぎなかったのだと。
横八華の坂ノ家に従っていると言うだけで、獣が人になったと言わんばかりに二本を差しているのだ。
その坂ノ家ですら坂東で石ノ家が立ったからと、それに対抗しようと立ったに過ぎない。
「もうええ、去ね」蜥蜴は小太郎に背を向けた。
「逃げるか!」そう叫ぶ小太郎に蜥蜴は振り向き言った。
「見逃してやる言うてるんや、お前は坂東じゃ疾走りも任せられんわ。去ね」
小太郎は顔を真っ赤に激高し、背を向ける蜥蜴に襲い掛かった。猿と言われるだけはある。八間は遠い蜥蜴に瞬に跳んだ。
「阿呆が」
蜥蜴の姿が消えた。小太郎の脇差は空を斬った。
「馬鹿な・・」そう呟く小太郎の背後には蜥蜴が立っていた。
「何者だ」
「忍の半蔵」
半蔵は小さくつぶやき小太郎の腰の太刀を抜き様にその腰から肩までを断った。
「これが忍びの技・・」小太郎は蜥蜴と見下していた者が坂東を統べた忍者だと知り、そして半蔵が忍びを自称し始めた理由を知った。
「二本など差すからや」
半蔵の言葉は惨めな男の最後にせめてもの慰撫だったが、聞こえたかどうか。
「それでわしは坂東に帰ったんや」半蔵が話を終えるとリンが聞いてくる。
「その、封魔の双頭はそれほどまででしたか」
「まあ、の」半蔵は濁すようにあいまいに答えた。
封魔忍軍などと偉ぶってはいたが、それはたまたま坂ノ家と言う華の下にいたに過ぎない。
黒山の獣と言うのはそこの領主に番犬の様に付き従っているようには見えるがそうではない。
そこを荒らさぬという理由で見逃されている獣にすぎない。
黒山の獣は銭次第でその牙をどこにでも向けるのだ。
だが封魔は違った。
たまたま坂ノ家という華が頭上に咲いていただけなのに小太郎はそれを誉として人になったと勘違いしてしまったのだ。
それは獣が人になったのではない、縄に繋がれ餌を受ける飼われ犬になったに過ぎない。獣と飼われ犬のどちらが良いかは分からない。
だが小太郎は首に縄を掛けられていることを誉と思い、華の前に膝をつけ首を垂れる事を、華の為に疾走ることを。人と成ったと思い違いをしていた。
そんな飼われ犬が獣に敵うはずもない。半蔵はそんな飼われることを誉と信じ切っていた小太郎をあまりに惨めと思いせめてもの慰めに見せる必要もなかった秘術「渡り」を見せてやり、お前は腰に帯びた太刀の重さで負けたのだと言ってやったのだ。
「大殿のおかげや」半蔵は呟いた。
今になって半蔵も理解した。半蔵は銭が欲しくて疾走っていたのではない、疾走るために銭を得ていたのだ。
半蔵は銭に対する欲など微塵もなかった。疾走るための理由に過ぎなかった。だからこそ半蔵は自らの半身すら手にかけ銭に変え半身の半蔵と呼ばれるようになったのだ。
だが大殿はそんな半蔵に疾走る意味を与えてくれたのだ。
もちろん半蔵には火の源の国を戦火を消し均すなどと言う大事は分からなかった。
だがあの時、大殿が気恥ずかし気に顔を背け言った、たった一人の曾孫の為と言う言葉に漸く疾走る意味を得ていたのだ。
半蔵は目の前で不思議そうに首をかしげる嬢を見て思う。
疾走り終えた。
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