神はなぜこの世界を創造したのか
「神との対話」について(おそらく)日本で一番詳しい、ヒューマニティ・チーム・ジャパン国内代表の野川さんから、「神との対話」の教えの核心部分について、スピ歴40年である曲者の私がお話を伺うセッションの、第3回目です。
今回は、「神対的神話①」というタイトルで、神がこの世界を創造した理由について切り込んでいます。
今回の話をまとめるにあたり、野川さんとは数時間の打ち合わせを、3回ほどしました。
今回の話をまとめる作業を通して、「神の壮大な計画」の文脈で、神の概念、輪廻転生、宇宙の法則、自由意志の問題がどう位置付けられるのか理解が深まりました。
実は、個人的には、このテーマでは、もっと話したいこと、主張したいことがたくさんあるのですが、マニアックすぎるので、動画の中では触れていません。
ここでは、そのことを、少しお話ししたいと思います。
ここ十数年、スピ界隈では、非二元論が流行っています。非二元が好きな方は、「自由意志はあるのか?」という問題で悩まれると思いますが、悩むこと自体に「自由意志はある」という本音が垣間見えている気がします。
今回の話から、私自身は、この問題を、次のように整理しました。
(1)まず、非二元論者の方が目指している境地は、「神との対話」でいう「我が家」だと考えられます。ここは神の境地なので、もちろん個性もなく、霊的世界でもありません。
(2)非二元論者の方が実在を否定している「霊的世界」は、「神との対話」でいう、「魂が個別化した、エネルギーの世界」だと考えられます。それは、非二元論者の方が言うように、もちろん幻想ですが、それは、神が神自身を体験するために、神がしつらえたシステムの一部です。否定すべき理由はないと考えます。
(1)の「我が家」は、「神との対話」では、何億年もの膨大な時間の転生を繰り返して、あらゆる「体験」を味わうことを経て、戻る場所です。その間、神の資質のあらゆる側面を体験することが重要だと考えます。「体験」による「気づき」を経ることなく到達できる境地ではないと思います。
それぞれの転生には「アジェンダ」があり、それぞれの体験は、必ずしも楽なものではなく、むしろ苦しいことが多いかもしれませんが、否定すべきものではないと考えます。「アジェンダ」については、次回の「神対的神話②」で説明します。
「自由意志」については、以下の二つの理解が必要だと考えます。
(1)「自由意志」を与えているのは神であること。
(2)「自由意志」は「体験すること」を可能にするために与えられているものであること。
生まれてくる前の、魂だけの世界では、もちろん、「自分は何を体験したいのか」を全て知っています。それを体験するために、地上に降りてくるからです。すでに知っていた「気づき」を思い出すために、地上で試行錯誤を繰り返すわけです。
私が理解しているスピリチュアリズムの教えでは、自分の魂が「正解」を知っていても、それを地上にいる自分に知らせることはありません。それをやってしまうと、本人の「自由意志」を奪うことになるからです。
思うに、わざわざ地球という、宇宙の中でも厳しい環境をあえて用意したことの意味を考えると、「答えを教えない」のは、困難をバネにして、眠っている魂の力を掘り起こすためだと思うのです。
非二元論者が、「自由意志はない」と言うのは、自分の「自由意志」で選択した結果が、自分が望むものではなかったので、「もともと自由意志はなかったのだ」(つまり自分は間違っていない)と言いたくなるのではないかと思います。
どのような信念を持つことも自由なのですが、ここでの問題は何かというと、素直な反省ができなくなる可能性があるということだと思います。自分が体験している結果には必ず何らかの原因があるので、望まない結果が起きたら、それが些細なことであっても、自分の内側の原因を分析して、同じことを繰り返さないように、自分の思いを修正することが必要になります。(仏教的なアプローチはそういうことだと思います)
一般論としてはこういうことなのですが、これがなかなかできないのは、「原因を分析する」には「何が問題か」という原理的な理解が必要だからで、「問題の所在を理解していないから問題をくりかえす」「問題の所在を理解していないから問題が起きても分析ができない」という悪循環が起きてしまう可能性があります。
いずれにしても、同じことを繰り返してしまうのは、「思いの傾向性」があるからで、そこに今世の「アジェンダ」があると思わなければならないと思っています。
「神との対話」は、スピリチュアル系の方だけでなく、一般の方にも、伝統宗教を学ばれている方にも、必ず役に立つ教えだと思っています。
よろしければぜひご視聴ください。