沈む町
私が子供の頃、私の住む街は台風や梅雨の末期の大雨でよく水害に見はまわれた。
桃畑で書いた農家さんも近くの川が反乱し桃の木の背丈の半分まで水に浸かったのを覚えている。
そして持ち上がったのが上流の街を集団移転させてダムを作る計画だった。
子供だっただけに内容までは聞いてはいないのだが一つの街が丸々集団移転、川を堰き止めダムを作り町が水に沈むと言う事を父から聞いて凄く驚いた。
家は?人は?車は?畑は?犬は?牛は?
「全部ダムから上にみんなで移るんだと。政府が家も納屋も新しく作ってくれるらしいんだ。牛も犬も猫もみんなで引っ越しだな。」
鉄砲水で町一つ飲み込まれたような不安な口ぶりの私を見て父は少し戯けて言った。
そんな父の様子から大なお金が動くのを察知して
みんなお金持ちになるんだね
そう言った私に父は苦笑いしながら
「生まれ育った家も畑も全部ダムの底に沈むんだ、お父さんは幾らお金を積まれても嫌だなぁ。全部沈むんだど?○○町の人達は何年も掛けて話し合って泣く泣く決心したんだ。お金はそのお礼なんだ。」
多分私が聞いた時点で既にダム計画は決定され、移転が始まっていたのだと思う。
いつだったか父の友達が家に来て飲み会をしていたとき、到底容認出来ない。納得出来ない。と激しく怒りを爆発させていたのは多分この町の友達だったんだと思う。
○○町、ダムに沈むんだ。
山形県まで行く途中に何度か通った事のある町だった。桜が咲いていたのを覚えている。売店でアイスも買って貰った。
家の解体やアスファルトの道路の処理とかどうするのかとかブロック塀とか犬小屋とか売店の事とか私は色々考えてみたけど小学低学年の私には全くわからなかった。
そして見納めとしてダムがある程度完成に近付いたら通行止めになるその前に、ドライブがてら見に行く事にした。
寂しくもあり、ドライブが待ち遠しくありちょっと複雑な気持ちになった。
そしてそれから間もなくダムが完成し、通行止めの日付けも決った。
その日は持病を持つ末の弟が風邪気味で私達姉弟は母や祖母から静かにしなさいと邪魔にされていた。
多分日曜日だったと思う。日曜日に姉弟揃っているのに静かになんて到底出来ないし怒られるのも嫌だった。今とは違いスマホやゲーム等とない時代。ファミコンは初代が出た辺りだったが父がゲーム嫌いだったのもあり家には無かった。
祖母から叱られしょんぼりする私達を見かねた父がドライブに連れて行くと言い出したのだ。
「ダムば見に行くべ」
私と上の妹と父の3人で行くことにした。
下の妹は先日父の車でお出掛け中に車に酔ってしこたま吐いてしまったと言う事でまだ長距離のドライブは早いと留守番になってしまった。
ダムに向かう前に近くのお弁当屋さんでハンバーグ弁当を買って貰いダムに行く道すがらあるブランコがある公園で食べようと言う事になった。
ハンバーグはたまにしか食べられないメニューだったので私も妹もワクワクしながら公園までの道のりをハンバーグのいい匂いにキャッキャうふふしながら燥いで上機嫌だった。
公園に着くと早速、ブランコに乗ったり父対私と妹でシーソーで遊んだり、小学校のジャングルジムより一回り大きなジャングルジムの一番上の段まで登ったりと人がまばらの公園を思いっきり楽しんだ。
そしてお待ちかねのハンバーグ弁当を3人でベンチに座って食べ小学校での事や友達の事、留守番の妹や弟の事など、そしてこれから向かうダムの事を楽しくお喋りし、ちょっと落ち着くまでゆっくりしてから(私も妹も車酔いし易い体質だった)
目的地のダムに向って走り出した。
113号線沿いを左へ。少し坂道になっていた。坂を下っている時、父が言った
「ここからは水の中だな」
貯水予定域に私達はついに入りこんだらしい。
そして建物の解体が進む街中へ。
もともと家があった所は解体され基礎部分だけになっている。早くに転居したのか既に空き地で草が生い茂っている場所もあった。
「自動販売機しか無いね」
妹が見晴らしの良くなった街中を見廻して言った。
「んだなぁ。ここはダムの底になる所だから綺麗にしなきゃなぁ」
木もだいぶ伐採が進み、重機など疎らにまだあるものの町民の姿はなく作業員がチラホラといるばかりだった。
時折すれ違う車は私達と同様に、沈む町を見に来た人だったのかも知れない。
「今水の底にいるんだ」
妹が空を見上げてポツリと言った。
それを聞いた私は本当にダムに沈むんだなぁ。と、天気の良い青空を見ながらぼんやり思った。
魚はこんな風に空が見えてるのかと想像するととても不思議な気持ちになった。
いま、うちらは魚だね。
私がそう言うと妹が
「クジラが来るかも」
と笑った。
「クジラは来ないなぁ。鯉や岩魚や虹鱒が住み着くかもな」
父も笑った。
「魚になったようだな龍宮城だ」
父が戯けて言った。ちょっと前にまんが日本昔ばなしで龍宮城のお話を見たのを思い出した。すぐに海の底の龍宮城に迷い込んだみたいなワクワクした気持ちになった。
「ザブーン」
妹が魚になったつもりか水しぶきの真似をした。
「次はみんなでダムを一周してみっぺ。ぐるっとトンネルいっぱいあるんだぞ」
次は母と留守番だった姉弟も一緒に連れてのドライブらしい。
お弁当持って広場でたべるの?
「んだな。それもいいな」
私達を乗せた車はあっという間にまた113号線に戻ってしまった。
「さぁ陸さ上がったからアイスでも食べて帰っペ」
父がアイスと言う素敵な提案をするので帰りたくはなかったけれど頷くしか無かった。妹も私と同じようだった。
ダム移転区域外の売店で3色の三角アイスと板チョコを買って貰い会計をしているとき父とお店のお婆ちゃんが何やら話をしだした。
多分どこから来たのか聞かれたんだと思う。
「ダム見さ来たんだぃ」
「こっから下み〜んな上さ行ってしまってさみしくなってしまったやぁ。」
白髪のお婆ちゃんは家の気難しい曾祖母と同じくらいの年齢で曾祖母より穏やかで優しそうにニコニコしていた。
「んでもバス出るって言うからバスさ乗って友達に会いにいくのよぅ」
離れ離れじゃないなら良かった。話を聞いてきゅっと寒くなった気持ちがゆっくりほどけるように和らいだ。バスに乗って友達に会いに行くって楽しそうだな。
遠足みたい
私が小さな声でモジモジ言うとお婆ちゃんはアハハと笑って
「んだぁ。遠足やぁ」
と楽しそうに笑った。
私と妹はそれから暫くの間、天気が晴れるとあのお婆ちゃんがバスに乗って遠足に行ったかどうか予想するようになった。
家の気難しい曾祖母ですら天気がいいと近所にお茶飲みに行ってしまうんだからきっとあのお婆ちゃんも行くに違いないと妹とクスクス笑いながら予想を立てた。
白髪のお婆ちゃんがバスから降りるとお友達がニコニコしながらお婆ちゃんを迎える様子を考えるとすごく幸せな気持ちになった。
ちなみにダム周りのトンネルには山菜が採れる季節に行った。父はタラの芽等の山菜を採りながら
「ここはタラの芽出っと思ってたんだ〜」
と、上機嫌だった。
あれから何十年も経った今ではそのダムはただただ大きな湖でエメラルドグリーンの水を沢山貯え県内有数の貯水ダムになった。綺麗に整備された湖畔には桜の木も沢山植えられ春は薄いピンク色に染まる。
公園も小さな道の駅も出来て週末にはだいぶ賑やかに人が集まる場所になった。
子供達が小さかった頃、よく湖畔の公園にお弁当を持ってピクニックに行った。楽しい思い出になった場所だ。
あのお婆ちゃんは友達に会いに行ったのかな。
公園の中には大きな石の碑があってそこに移転した人々の名前が刻んである。
あのお婆ちゃんのお友達の名前もきっとあるはずだ。
“○○○のわが古里は沈むとも県民を潤す水みなぎらん”
父がいつの日か言っていた詩が刻まれていた。
だいぶ思いがこもった色んな感情が溢れて泣きそうになるような詩だ。
そして今日も、歯ぁ磨く時は水止めなさい! とかシャワーの水出しっぱで頭洗うな! とか水の無駄遣いを細かく注意する私がいる。
人々の思いが沢山詰まった水は、大切に。
ちなみにそのダムが出来てから水害は全くありません。
たまにヤバい台風が来た時ちょっと溢れるくらいです。