岩魚捕り
あれは暑い暑い夏の事だ。
夏休み真っ盛り。朝から早起きしてラジオ体操に行き、帰り道に雑木林でカブトムシを捕まえては持って帰っていた小学校中学年辺り。
その日も朝早くに叩き起こされラジオ体操に行き、帰り道のカブトムシスポットのチェックを行い今日はカナブンしかいなかったとがっかりして帰って来た1日の始まり。
豆腐と納豆と冷し味噌汁と言う何とも大豆塗れの朝ご飯を食べた後、ジリジリと気温が上がる茶の間に寝転んで曾祖母の小言を漫画を読みながら聞き流していた。
母は仕事へ行き祖母は洗濯物を干していた。
あっつい。
クーラーなど無論、無い。
扇風機の風が寒いから風力を弱めろだの漫画ばっかり読んでねぇで勉強しろだのこんなに生意気なオナゴ見たことないだの曾祖母は今日もいちいちうるさかった。
ちょっとでも言い返すと死んでやるだの死んだら一番先にお前ん所に化けて出てやるだの偏屈で面倒くさい部類の年寄りでしかもヘビースモーカー。大伯母が金華山のお土産で買って来たと言う大きな巻き貝の形の灰皿はいつも吸い殻で満杯だった。
茶の間にいたくなくて曾祖母を無視して風通しの良い縁側に出てみると父が朝仕事から戻った所だった。
「上の田んぼの側溝さ岩魚いたな。網持って獲りさ行くべ」
お父さんごはんは?
「食ってからやぁ。お父さん干からびっつまう」
お父さんの朝ご飯は大豆塗れプラス胡瓜の味噌炒めとこの前ちょっと早めのお中元として親戚から貰ったハムだった。
胡瓜の味噌炒めは大嫌いだったけどハムもその当時は肉々しい食感がダメで食べれなかったからやはり私の朝ご飯はアレで良かったのだ。
曾祖母は今日はバスで内科(と言う名の年寄りの憩いの広場)に通院するらしく着替え始めた。
この曾祖母は病院の帰りにタバコをカートンで買って来る悪い婆さんだ。
お金を管理している祖母からその分のお金も受け取り一言二言嫌味を行って目の前のバス停に下って行った。
物凄く清々した。
朝ご飯を食べ終えた父は少しの休憩の後、納屋から大きな網を出して来て私を呼んだ。
「ほれ、暑くなる前に行くぞ。バケツ持ってこ」
もう暑いよ。
しぶしぶ項垂れながら外水道横にある銀色のバケツを持って父の後を追った。
実家は田舎で敷地内に小さな山を所有している。その山を外回りに一番遠い田んぼの側溝目掛け歩く。
舗装などされていないトラクターと軽トラがやっと通れる分の幅しかない農道をゼイゼイ言いながら歩く。
セミがジージーミンミン物凄く五月蠅かった。
父にとってはすぐそこくらいの感覚なんだろうが、私にとってはだいぶ歩いたその先にその岩魚がいる側溝が見えた。
「見てみろ。ほれ、いたべ?」
え、本当にいたんだけど。
本当に岩魚がいたのだ。灰色の様なエメラルドグリーンの様な黒い丸い模様がある様な何とも言えない川魚の色。
ちょっと大きい。
早速側溝でバケツに水を汲み、そばに落ちていた杉の葉をそのバケツに入れた。
「杉っ葉で隠れる場所やんねどな」
へー。
私は人間の気配に気付きすばしっこく四角い側溝の分岐点部分で動き回る岩魚に釘付けだった。
父は迷いもなく網を側溝に入れると素早く、10秒も掛からず岩魚を捕まえてバケツに入れてしまった。
バケツからは水しぶきが上がる。
でっか!
「でかいな。昨日の雷の時、下って来たんだな」
バシャバシャと暴れる岩魚は間もなく静かに杉の葉の下に隠れてしまった。
帰りは私が網を持たされ父が岩魚入のバケツを持った。
山から帰って来る私達を祖母が玄関先に立って見ていた。
「どれ。どだ魚いだんだ」
「岩魚だな。明日みか子(叔母、仮名)がやろめら連れて来っからそん時串さ刺して焼くべ」
「んだな」
そう、明日はやはり暇を持て余したいとこ達が家にお泊りに来る予定だった。
明日は炭火で岩魚を焼くのか。そんな事を思っていると父が
「これだけじゃ足りないからな。○○もっと岩魚を採って来なっけな」
どこでよ。釣り堀にみんなで行けば?
「それでもいんだがお父さん岩魚の方が好きだからや」
当時好き嫌いが多く、川魚の味の違いなんかさっぱりもわからない私は父のこれから川に行って岩魚を捕まえて来ようとワクワクした顔にちょっとゲンナリした。
この暑い中私を連れてちょっと下った所にある川まで岩魚捕りに行きたいらしい。
妹は隣の幼馴染と小学校のプールに行くとウキウキ出掛けて行ってしまった。
えぇ〜
「ほれ、いべ。お父さん午後は集まりさ行かねばならん」
まだ午前中なのにくっそ暑い中、父と徒歩で川まで向かった。
父の魚の捕り方は本流に合流する農水用の小川に網を立てて置き、ちょっと上流から足でガサガサ小川に足を踏み込んでそこにいる魚を網まで追い込むスタイルの漁だった。
網はドショウすくい音頭に使うような形の網で父がカスタムしてだいぶ大きく頑丈になっていた。
網を立てて置くのにその網を持っている役割の人間が1人いないと駄目だったので今回は私が網を持つ係に任命されたのだった。
「んでわここで待ってろな。お父さん上から岩魚追って来っから」
そう言って田んぼの畦道を50メートル程上流へ移動し、ジャポンと小川に入る音がした。
綺麗に草刈りをしてある田んぼの畦道。チョロチョロと水の流れる音が心地良い。サンダルを履いてきたから冷たい水に冷やされてスネから下がさわさわと涼しくなった。
水の音に混ざってガボガボと父が小川を踏みしめる音がする。右へ左へ動いているように聞こえるので小川を満遍なく足で踏みしめて魚を追い出しているのだろう。
程なくして透明に澄んでいた水が茶色に濁りだした。
一瞬、白い腹の様な物が見えた。
魚だ。
今私が持っている網に少なくとも一匹の魚が入ったのかと思うとワクワクして飛び跳ねそうになるのを必死に堪えた。正直、捕れるとは思っていなかったのだ。
お父さん!魚はいったかも!
すぐそこまで来ている父にハイテンションで伝える。
「離すなよ〜」
父は最後に網に押し込む様に足を動かしそっと網を持上げた。
2匹の魚が網に入っていた。
「一匹は岩魚だ、もう一匹は山女魚だなラッキー」
父が燥いだ。山女魚はラッキーな魚なのだそうだ。
持ってきた魚籠に2匹の魚を入れるとポイントを変えてもう1回。
ガボガボざばざば。
父がさっきので勢いが付いたのか前回より更に強めに足を動かして小川を踏みしめている。
またさっきと同じ様に水が茶色に濁りだした。今度は良く目を凝らして茶色い水を凝視した。
「どれ、入ったかなぁ」
父がニコニコと網を上げる。
今回は3匹。
うわ。3匹だ。
「2匹岩魚で1匹虹鱒だな。養殖場から逃げたか」
また父は3匹の魚を魚籠に入れ、またポイントを変えてガボガボバシャバシャ…。
いい加減暑くなり山の陰が無くなってジリジリ太陽が照りつけ出した頃ようやく岩魚獲りが終わった。
多分、父が飽きたんだと思う。
合計9匹の岩魚、山女魚、虹鱒。家にいる1匹を入れると10匹の大漁だった。
「暑くなって来たから帰るぞ。」
うん。大漁で良かったね。
また父と来道を暑さでゼイゼイ言いながら戻る。父がこれしきの暑さでナンタラカンタラと言っていたけど暑いから軽く無視した。
魚はタライに水を張って入れられて祖母の手であっという間に内臓を処理され冷蔵庫に入れられた。
私は軽くお風呂に入った後、氷アイスを食べながら扇風機の前を陣取って誰にも文句を言われない風を独り占めして、一仕事終えた満足感に浸っていた。
今日の絵日記は岩魚獲りをした事を書こうと思う。
父も軽く体を洗って着替えると竹串を作る為に裏の山に竹を取りに行った。
「着替えたのにまた汗びったびたで帰って来るんだ」
祖母が洗濯したてねぇとがっかりしていた。
そうこうしているうちに曾祖母が帰って来た。
タバコもカートンで2つ買って来ていた。
「ばばいね間何ばすった?」
お父さんの手伝いで魚捕り。
「んだが。んでは、駄賃けっから」
そう言って私に板チョコをくれた。ケチケチな曾祖母はたまにこうやって私にこっそりお駄賃をくれる。
うぇぇええ?!良いの大ばばちゃん?!
「何だそいつもやんだが?」
ん〜ん。大好き。
「んだべ。ばばは○○の事は何でもわかるんだ」
どう言う風の吹き回しか曾祖母の気まぐれで大好きなチョコを貰った。またには父と魚捕りをするのも悪くないなと思った暑い暑い夏。
大ばばちゃん大好き。
「そだの当たり前だ」
曾祖母は魚は何匹捕れたかとか、明日は何人来るのかとか聞いてきたから久しぶりに曾祖母と穏やかに会話をした。
お昼ご飯のそうめんをみんなで食べてお昼寝をした曾祖母は疲れたかのか4時くらいまでウトウトしていた。
そして起きてくるとまたタバコを吸い開口一番に一言二言嫌味を言う嫌なイジワル婆に戻っていたのだった。
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