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極悪女王を観た!(鑑賞報告)

やるねぇ、ネトフリ。今回もいい映画(動画)体験でしたこと。

私が生まれたのが1979年。今回の物語の80年代には、幼いながらもテレビやメディアに触れる機会はありました。が、私がプロレスに触れたのは漫画「キン肉マン」くらいで、実際のプロレスや女子プロにほぼ触れずな今まででしたもので、ダンプ松本さんもクラッシュギャルズも、存在は知ってましたが試合も専門誌での活躍も未見でした。
※そういえば姉がクラッシュギャルズの7インチ持ってたかなー?

だもんで、内容に関しては事前情報も知識もなくでしたが、劇中に見られる80年代な服装や髪型、あの時代独特のフレーバーが、なんか懐かしくて楽しく見入りました。

そして、作品に没頭していきつつも、とても「現代的な既視感」も覚えました。ってか、それが狙いだとしたら、、この作品とんでもねえぞ!!と。

ユリアン扮するダンプ松本が極悪同盟としてリング上でやった事ってのは、プロレスからは逸脱した残酷なリンチまがいの暴力。ダンプ松本さんは、所属する全女という団体にいながらも、全くコントロールされておらず、むしろ会社に「より過激に、より強烈に」とけしかけられ、剥き出しの暴力はブラウン管(当時のテレビ)を通じてお茶の間を激怒させ、若者たちを興奮させた。

‥これって、80年代のこの物語に限った話ではなくて、現代にも脈々と受け継がれてませんか?「配信者」や「インフルエンサー」及び「アイドル」と、所属する発信媒体(SNS)や団体と、それらに反応してコメントしたり拡散したりする「視聴者」とのの関係そのものなのではない?

リングの上の過激な暴力に絶叫し、ダンプ松本に憎しみの感情を剥き出しで「帰れコール」を叫び、罵る。ダンプ松本の車や家族の所有物に落書きしたり、傷つけたり。カミソリを仕込まれたファンレターは、時を経て2024年では「誹謗中傷」「クソリプ」として発信者を傷つけ、心身を追い詰める。バブルに浮かれた当時のメチャクチャな、あらゆる点で杜撰ともいえる80年代から、「メディアリテラシー」という点では、何ら進歩していない我々の存在に気付かされる。。

そしてもう一点。確かに私はユリアン扮するダンプ松本の暴力に顔をしかめたが、同時に一時も目を離せなかった。痛快であった。「もうやめてくれよ」と思いながらも、「ダンプ、もっと暴れろ!」とも思っていた。

この作品は、見る人の「暴力的な、ダンプ松本的な内面」をあぶり出して来る、ある意味意地悪な仕掛けがある。

そう考えると、「悪性のエンタテイメント」ってのはいつの時代も社会をかき乱す。目くじら立てた時点で、その虜であり、結果、まんまと引っかかっているのだ。

もう一度言おう。やるねぇ、ネトフリ。

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