新興宗教にはまった昔のわたしの話 1
宗教団体Aに出会った時のことを思い出してみる。記憶が朧げなので昔の日記を読み返しながら。
高校生の時に同級生から「まきおちゃんは優しいからこういうのわかるんじゃないかなって」というニュアンスで冊子にようなものをもらった。「ほう、宗教か」とあっさりした感想で、ヤダー!という拒絶感もなかった。読んだ時の感想や感情は覚えてない…
その後、「支部集まりがあるから行かない?」と同級生に誘われた。すごく興味がある訳ではないけど断るのも苦手なので行くことにした。
断るのが苦手だけど行ってみようと決めたのはわたし。その気持ちはなんなのか?ちょっと立ち止まって見つめてみる。
わたしは小さいころから疎外感みたいな感覚を感じていた。周りにうまく馴染んでいないし、周りの人から愛されていないと思ってた。
両親は自分のことで精一杯で、父はキレると感情的に暴力をふるったり、物を壊す。母はヒステリックだった。母の愚痴と悪口を聞くが、母にわたしの話をした記憶はあんまりない。帰ってきて家の玄関を開けるたびに家の中の空気を確認していた。「今日は機嫌悪いな。気をつけよう。」
2LDKに4人暮しの我が家は逃げ場所がなく、くつろげる場所ではなかった。
そして両親に愛されていると感じることができなかった。
周りの人からないがしろにされた記憶もある。近所のおばちゃんが一緒に遊んでた友達に「いまから遊びにおいでよ。まきおちゃんは…いいわ。」と言ったことは強烈に覚えている。
なんだか人や環境のせいにばかりしているようだけど、わたし自身にも問題があると今ではわかる。かわいげのない子どもだったんだ。何を考えているのかわからない、なんか変わった子。
高校生の頃のわたしに戻ろう。その頃も家は変わらずピリピリして辛かった。音楽や絵、物作りに没頭してやり過ごしていた。
学校生活は好きな音楽を一緒に楽しめる友人がいて、新しい世界を知っていった時期だったと思う。ただ、集団に溶けこめず、うまくやっていけない感は多々あった。
ふと…自分は愛されていない、周りに必要とされていないという思いがこみあげ、なんでこんなわたしが生きてるんだろう、生きてる意味ってなんだろう、と唯一、一人になれるお風呂でよく泣いていた。
同級生の誘いに行こうと決めたのは、そこに行くことで何かしら生きる意味がわかるかもしれない、という期待があったのかもしれない。
つづく
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